第4話
ここが攻撃を受けたのは、戦闘機があるからだとサクラは言った。
でもそれが間違いだと、アキは知っている。
アルトとハルバルの戦闘は、権力誇示という側面が大きい。つまりは財政的に肥大したアルトに対して、外交上有利なカードを得るためにハルバルは空軍を送っている。
だからこそのエリア指定であり、犠牲になるのは軍人だけのはずだった。退役したナツが死ぬことなんてないはずだった。左眼が見えないナツに、飛行機が扱えるはずなんてなかった。左手がまともに動かないナツが、無敵なはずなんて無かった。
だからそもそも、空色の機体に乗って闘っていたのは――
かつてナツがそうしていたように、アキは膝の上に三毛猫のハルを乗せ、ゴーグルを下げる。本当なら、こんなゴーグルに意味なんてない。旧式の飛行機ならまだしも、量産型とはいえ最新式のこの機体には着脱による影響はない。無論ゼロでは無いが、着けないほうが主流となっているのが空の現状だ。
それでも、ナツは言う。かっこいいからだ、と。
それだけが理由で何がおかしい? と。
もちろん、アキもそう思っている。
何より、これから空に行くという想いが高まってくる。ナツの声が鮮やかに蘇ってくる。それだけで、ゴーグルは何より大切な宝物だった。
ジェットエンジンが声を上げる。
警告サインが消灯。油圧電圧問題無し。離陸ポジションオッケー。
左手に操縦桿。右手でオートのパネルに情報を入力。
「行きま――――――――――――すっ!」
にゃあ――――――――――――んっ!
ひうんっ!
耳に残る高い音。
滑走路は街の大通りを使って――
どん!
いつまで経っても、この衝撃だけは、アキは好きになれない。どんなに頑張ってもシートに後頭部を打ってしまう。
「おっきくなったら、かなぁ」
にゃうん
三毛猫のハルは、もう慣れたよと言わんばかりの表情。それにはアキも言いたいことがある。
「ずるい! だってりりくのときは、アキがちゃんと抱いてるんだもん! そのためのオートだもん! ずるいずるいずるい! そんなのでへいきだなんてずるだもん!」
ハルはしっぽをぱたりと寝かせて、
にゃ
と鳴く。
「むー、まあ、そうだけど……」
ナツと乗ってたときは、ナツが守ってくれていた。つまりはそういうことだ、とハルは言う。
空は快晴、横風は10ノットに満たない。
「ぜっこうのせんとうびより!」
アキが言う。
目の前にならぶのは、ハルバルの黒い戦闘機、その数88。みな同じ型で、一様に同じ隊列を組んでいる。空を埋めんばかりの数にも、アキは動じない。
エースパイロットが出てこなきゃ、アキが負ける要素はゼロだゼロ! アルトのエースだった俺が言うんだから間違い無し! 空ってのは経験じゃねえぞ、天性だ! 全盛期の俺の姿、アキにも見せたかったな。絶対惚れたぞ?
ナツの言葉は、二つの意味で真実だった。
一つは、アキの才能の確かさ。
そしてもう一つは、エースという存在の絶対性。
アキは一度だけ、機体を操るナツの姿を見ている。
それは最初で最後だった。
最初で最後になった、というのが正しいのかもしれない。
左眼と左手が不自由でも、彼はエースだった。
間違い無くアルト最強の、いや、世界最強の飛行機乗りだった。
エース機6機を、まるで寄せ付けなかった。その他15機なんて、まるで問題にしなかった。
燃料さえ保てば、負けなかった。
アキは、そう信じている。
□□□
ヒナは目を閉じ、両手を組んで祈っていた。痛む左足を全く気にすることなく、一心にアキの無事を祈っている。
サクラには、空で繰り広げられていることが信じられない。あれに、アキが乗って――それだけでも驚きなのに、それなのに。
空色の機体は、圧倒的だった。
時に鋭角に空を駆け、旋回し、不意に消え、また現れる。ハルバルの黒い機体は、行儀良く並んでいたぶん、変化には弱かった。
隣の機体同士で羽をぶつけては、よろよろと遠い空へと逃げ帰っていく。それはいかにも滑稽で、みじめな姿だった。
それに比べて、アキの乗った飛行機は華麗に空を舞っていた。飛ぶことを単純に楽しんでいるような、そんな軌跡は、優雅にステップを踏んでいるようにも見えた。
ものの数分で、空を埋めた黒い機体は半分以下になっていく。そうなればもはやハルバルに戦意は無く、残った機体もほうほうの体でアルトの空を後にする。
サクラは、隣で祈るヒナの肩に手を置く。
「終わったよ」
と優しく。それでも、複雑な表情で。
どこか、狐につままれたような気分だった。
ヒナは空を見上げる。
空色の機体は、まるでダンスを踊るように、優雅な旋回を続けている。
くるり、くるりと楽しげに。
あんしんして、と唄うように。
不意に、じ、と街に立つスピーカーからノイズが入る。
また空襲警報? とサクラは身構える。
ヒナは空を見上げて、嬉しそうに手を振っている。
歌が聞こえてくる。
小さな声で、恥ずかしそうに。
それがアキの歌だと、サクラにはすぐ分かった。
祈りの歌だった。
昨日歌ったばかりの、神様に捧げる祈りの歌。
高音は途切れがちで。
音程も少し崩れていて。
小さな声は消え入りそうで。
それでも。
サクラは嬉しくなって、歌に声を合わせる。
両手を広げて、風を吸い込んで。
澄んだ声は、青い空にどこまでも高く。
頭上では、歌に合わせてダンスを踊る空色の機体。
もちろん歌の最後はこう締めくくられる。
今私が望むものは
今私が願うものは
たったひとつの些細なこと
たったひとつのちっぽけなこと
みんなが幸せでありますように
みんなが幸せな朝を迎えますように
明日も明後日もその次も
永遠に、続きますように――
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