第3話

 目を醒ましたヒナと、アキは目が合った。

 アキはほとんど眠っていなかった。眠れなかった。まだ不安だった。誰かの傍で眠ることは、アキにとって特別なことだった。単純に慣れていないということで、熟睡できなかった。安らかに眠れるのは、もう居ない兄の傍だけだった。

「おはよう、アキ。よく眠れた?」

 ヒナが尋ねて、アキはこくこくと頷く。

「うそ。目が真っ赤」

「……真っ赤」

「うさぎさんみたい」

「……うさぎ」

 オウム返しで応えるアキに、ヒナがぷっと吹き出す。「ひどい……」と落ち込むアキに、「ごめんごめんっ」

 とヒナが微笑む。どこまでも澄んだ笑顔だった。

「アキは、おねえちゃんのこと、好き?」

 ヒナが尋ねて、アキはこくこくと頷く。

「なら、おねえちゃんの妹になろうよ。それでね、いっしょに暮らそう。きっとね、楽しいし、嬉しい」

 まっすぐな瞳をヒナは向ける。

 アキは頷かなかった。きょとん、とした表情のままで固まっている。

「イヤ?」

 ヒナの言葉に、アキは力一杯首を振る。

「じゃあ――」

「……それは、ダメ」

 アキは小さな声で、それでもはっきりと言う。哀しそうな表情になるヒナに、アキはぶんぶんとまた首を振って、「えっと、サクラは、ヒナのおねえさん、だから、ちがって、だから、その」

「でも、アキもいっしょのほうがいいな」

 その時。

 警報が続けて三度。

 サクラが「ん?」と声を漏らして目を醒ます。

「また警報? しつっこいなぁ。ちょっと外見てくるから、そこに居て」

 ふらふらとサクラが歩き出す。

 そんな様子を楽しげに眺めるヒナに、

「サクラとヒナは、ふたりだから、いいんだよ」

 小さく、アキが呟いた。


   □□□


 昨日ははしゃぎすぎた。

 おかげで体があちこち痛い。

 ひょっとしてもう歳なのかな? ってまだ17になったばかりなのに――と首を左右に振りながら、壊れたドアを開ける。

 朝の光を浴びれば、少しは頭がすっきりするかもしれない。うん、と一つ伸びをする。

 ごう、ごう、ごう。

 耳障りな音が聞こえる。

 ぼんやりしたまま、サクラは空を見上げて、

「なに、これ……」

 声を失う。

 空が黒かった。

 何十機、いや、何百機だろうか。戦闘機が列をなして空を埋めていた。その光景は異様で、怖くて、膝が震えた。

 それでも。

 ばたん! とドアを閉じる。それで何かが変わるという訳でも無いのに、強く強く。

 姉の必死の形相に、気付いたヒナが、

「どうしたの、おねえちゃん?」

「今すぐ逃げよう! ヒナ、荷物はいいから急いで! アキも速く!」

「え? だってまだごはんが――」

「とにかく速く!」

「サクラ! 伏せて!」

 叫んだのはアキだった。アキは言葉と同時に、近くに居るヒナを床に押さえつける。サクラも咄嗟に床に伏せる。

 一陣は強烈だった。

 打ち上げ前の花火のような、呑気な音がしたかと思えば、次の瞬間。

 轟音とともに天井が落ちてくる。

 爆音とともに地面が揺れる。

 視界に走る閃光と白煙。

 ずがん! ずがん! ずがん!

 あらゆる物が倒れていく。壊れていく。

 一瞬で瓦礫の山が出来上がる。

 火が上がらなかったことだけが、幸いだった。

 サクラが静かに顔を上げる。土埃で視界が悪い。ヒナとアキは無事だろうか。自分のせいだ。全部、自分のせいだ。こんなところに、こんなところに来たから、私が――

「サクラ! こっちに、ヒナが!」

 アキの声だった。

 手だけで強引に立ち上がって、よろよろと走り出す。ヒナが? そんな、妹まで、そんな、私が、私のせいで、そんな――

「こっち!」

 それでようやく見当違いの方向に走っていることに気付く。

 アキは、ヒナを抱き上げようとしていたが、体が小さいせいか上手くいっていない。ヒナは、左足から血を流していた。

「ヒナが、ヒナが、びょういん、行かなきゃ、びょういん、はやく……」

 サクラは駆け寄る。そっとヒナの左足に触れ、「ここ、痛い?」

「そこは、大丈夫、うん」

「ここは?」

「そこも、うん、大丈夫だよ」

 ヒナが平気そうでほっとする。とりあえず折れてはいない。これなら、包帯を巻いておけば大丈夫だろう。それでも、ここから逃げなきゃいけないのは変わらないけど。

「びょういん、びょういん、いかっ、行かないと、ヒナが……」

 むしろ大変なのはアキの様子だった。涙でぐしゃぐしゃの顔は真っ青だった。まずアキを落ち着かせて、ここから避難しよう、とサクラは思った。

「大丈夫、安心して。あれぐらいなら平気だから、なんでもないから、ね」

 サクラは、ぽん、とアキの頭を撫でる。「大丈夫だよ」とヒナも笑って、そこでようやくアキが平静を取り戻す。

「とにかくここから逃げよう。大丈夫、走ればなんとかなるから。ヒナは私の背中に。アキは走れるよね? このエリアから出ればきっと大丈夫だから、急ごう」

 アキは首を振る。

 サクラにはその意図が分からない。どうして? 逃げなきゃ死んじゃうかもしれないのに。

 にゃあん

 ハルが鳴いた。しっぽをひょいと立て、アキの肩に跳び乗る。

「……そう、だよね、ハル」

 アキは、三毛猫の喉を撫でながら、「もちろん分かってるから、安心して」

 サクラは、ふぅ、と息を吐くと、

「良かった。これで、みんなで逃げて――」

「まにあわない」

「え? アキ、それって」

「次のこうげきのほうが早いから、まにあわない」

 アキは冷たく言った。感情を押し殺した、まるで機械のような声だった。

「でも、逃げなきゃ!」

「死ぬの、やだよう……」

 泣き出しそうなヒナの鼻の頭を、アキが人差し指でつつく。くしゅん! とヒナが声を漏らして、アキが儚く笑う。

「あれ」

 アキが指差した先に、それはあった。

 ホールが崩れたぶん、目立つ姿になっていた。どこまでも澄んだ青の機体。戦闘機。人殺しの機械。その話は、サクラも聞いたことがあった。そんな噂は、信じてない。だけど、でも――

「あれに、乗るの? アキが、そんな」

「乗る」

 アキはこくりと頷く。

「どうして、そんなの無理だよ。あんなにいっぱいいるんだよ? 死んじゃうよ。やめてよ。私、アキに死んで欲しくない。アキが飛行機乗りだって、そんなのいいから、逃げよう? とにかく、急いで」

「乗るから」

 どこまでも頑なな態度に、サクラはかっとなる。思ってもいない言葉が口から出てくる。

「じゃあ勝手にしてよ! 知らないよもう!だいたいここが攻撃受けたのだって、アキのせいなんでしょ! ここに戦闘機があるから。ここに人殺しが居るから、だから――」

「……おねえちゃん」

 ヒナに袖を掴まれる。

 アキは少し哀しげな顔で、小さく笑うと、

「さよなら」

 アキは振り返らなかった。三毛猫のハルが後ろを向いて、

 

 にゃあー

 

 と大きく鳴いた。

 それは別れの挨拶に似て、サクラとヒナは、ただそこに、寄り添って立ったままで居た。

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