第2話

 広くて薄暗いホールの中に三人と一匹。

 三毛猫のハルは、ヒナの膝の上でパンを分けてもらっては、嬉しそうに喉を鳴らしていた。

 ヒナが楽しげに、

「ねこさん、ねこさん」

 と唄うように話し掛けると、

 にゃうん

 と楽しげにしっぽを揺らす。

 そんな様子に、サクラはくすと笑うと、

「ねえ、アキって何でここに来てるの?」

 その言葉に、アキはびくりと体を震わせる。

 ぶるぶる震えたままのアキに、サクラはなるほどと納得した様子で、

「怖がらなくていいよ、安心して。盗みなんてちっとも悪いことじゃないんだから。なんていうのかな、正当な報酬? 神様からの贈り物? ま、なんだっていいよね。とにかく私たち仲間だから。ちょっとの間だけど仲良くやろうよ。ヒナとも、友達になってね?」

 サクラが差し出した手に、恐る恐るアキは手を伸ばす。触れた瞬間、びくりと体を震わせて、それでもゆっくりと握り締める。

 サクラはアキの顔を下から覗き込むと、その嬉しそうな表情を確かめて、綺麗に微笑む。

 三毛猫のハルを膝に乗せたヒナもまた、アキに満面の笑みを向ける。友達が出来たことを心から喜んでいる、そんなふうに見える。その長い髪が楽しげに揺れている。

 アキはといえば、真っ赤な顔で俯いたまま、ぶつぶつと「ともだちともだちともだち」と何回も何回も、その言葉を反芻している。

 些細な言葉を、何気無いひとことを。

 まるで大切な宝物のように、何回も何回も。

 ホールの向こうに空いた大穴と、ちらりと覗く青い機体に、サクラもヒナも気付いていなかったのは、三人と一匹にとって、とても幸せなことだった。


 音頭をとったのはサクラだった。

 床に座る中央には、色とりどりのフルーツが綺麗に盛り付けられている。ジュースもあった。紙コップもあった。ならばパーティーだった。決定だった。反対する者が居るはずも無かった。

 アキは三毛猫のハルのために、ミルクを小皿に注いだ。三人と一匹は輪になって、ささやかな出逢いの日を記念日にする。雑貨屋からサクラが盗んだロウソクを三つ立てる。柔らかな光が、パーティーをあたたかくしてくれる。

 こほん、とサクラはわざとらしく咳をすると、

「新しい友達が出来たこの日に、乾杯っ!」

「かんぱーいっ!」

 ヒナは元気一杯に言って、

「か、かんぱい……」

 慣れないアキは照れ臭そうに、それでも凄く嬉しそうに、紙コップを高く掲げる。

 三毛猫のハルがそれに合わせて、


 にゃあ――――――っ!


 高らかに、開会を宣言する。

 三人が顔を合わせて、くすと笑った。


 一番手はサクラだった。

 不意に立ち上がると、伸びやかな声で歌い始める。高音でも途切れることなく、優しい歌が響き渡る。明日も明後日もその次も、みんなが幸せでありますように、歌はそんな言葉で締めくくられる。

 アキが真っ赤な顔で拍手をして、サクラは照れ臭そうにすとんと座る。

「昔ね、聖歌隊に居たんだ」

 サクラは懐かしそうに話し始めた。

「ちょうどね、私がヒナやアキぐらいの歳だったころ、ずっと神様に歌をうたってた。ずっと祈りを捧げてた。でも神様は残酷でさ、パパとママを連れてっちゃった。なんだよちくしょーって思ったよ。あんなに一生懸命だったのに! って。馬鹿にしてんのかって。神様なんて居ないんだって、そう思った」

 サクラはヒナを手招きすると、その膝に妹を乗せる。ヒナの長い髪を優しく撫でながら、小さく微笑む。

「でもね、最近は居るかもって思ってる。居るって思ったほうが楽ってこともあるかな。やっぱ救われるよ、時々縋るものが欲しくなるから。一人だと、辛くない?」

 その言葉に、アキはぶんぶんと首を振り、小皿を舐める三毛猫のハルを指差す。

「なるほど」

 とサクラは妹の頭をぺし! と叩くと、

「ヒナも見習わなきゃだよ。いつもぴーぴー泣いてばっかりで、ホントに」

「うぅ、痛いよ、おねえちゃん……」

 ヒナはおでこを抑えて、瞳にいっぱい涙を溜めている。

「ほら次、ヒナの番!」

「わかった!」

 ヒナは立ち上がると、ぺこりと大げさにお辞儀をする。服は少し前に、綺麗なドレスに変えていた。サクラが盗んだものである。

 たん、たん、たん。

 軽くリズムを取って、くるりとくるりと回りだす。ふわりとスカートが揺れて、

 たたん、たたん、たん。

 楽しげなダンスに、アキも思わず立ち上がる。食事中のハルを抱き上げて、一緒にでたらめなダンスを踊る。真っ赤な顔でぎこちなく、それでも楽しそうに、満面の笑顔で。

 サクラも立ち上がり、妹の手を取る。三人とも、いっぱいの笑顔だった。幸せな、音楽の無い舞踏会は、皆が疲れて眠るまで続いた。

 唯一幸せで無いものがあったとすれば、それは三毛猫のハルだろう。アキにぎゅうと抱き締められるたび、ふぎゃふぎゃふぎゃー、と潰れた声が夜に響いていた。

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