第1話

 警報が続けて三度鳴った。

 重度警戒指定エリア、ということである。

 人々は避難を完了し、街一つは廃墟のように静まりかえっていた。比較的アルトの国は裕福であり、逃げればなんとかなる、という意見が大半だった。逃げた先には親類が待っている。そこでもう一度やり直せばいい。そんな考えで暮らす人々がほとんどだった。いつまでも逃げ続ける訳にはいかない、それは分かっていたが、かといってどうしようもない。空色の機体に乗ったヒーローの噂が広まっているのも当然のことだった。

 そんな大通りを、二人の少女が寄り添うようにして歩いている。一人は自分の体ほどもあるバッグを肩から斜めに提げ、もう一人の手をしっかりと握り締めている。表情には疲労がにじんでいたが、それでも瞳には強い意志が込められていた。

「おねえちゃん、おなかすいた……」

 手を引かれた少女が哀しげに呟く。大きな瞳は今にも泣き出しそうだが、それでも姉に置いていかれないよう、小さな体で懸命に歩いていた。

「ヒナ、もう少しだから。今日はごはんいっぱい食べられるから安心して、ね?」

 姉のサクラが表情を緩め、目が合ったヒナがにっこりと微笑む。無邪気な笑みに、サクラは胸を撫で下ろした。

 もう少し先に食料品を扱っていた大きなお店があったはずだ。

 そこに潜り込めば、当分の生活は凌げる。空襲なんて、空腹に比べたら全然怖くない。花屋の二階に住み込みで、たいしたお金も貰えずに、おかずを分け合って暮らしてた生活とはおさらばだ。ハルバル空軍さまさまだ。サクラはこんな状況に、むしろ感謝していた。

 二人は、重度警戒指定エリアまで歩いてきていた。肩から提げたバッグには、人の居ない店から盗った服やら貴金属やらが詰まっていた。これは、親のない二人に神様が与えてくれたチャンスなのだとサクラは考えていた。だから貰ってもいいのだ。どうせ要らないものなのだ。置いていったということは、そういうことなのだ。

 小さな妹の姿をちらりと見る。

 お下がりのワンピースは、袖と襟のあたりがかなりくたびれている。羽織っているコートこそ比較的新しいが、それでもワンピースと不釣合いで哀しくなってくる。でも、これでようやく新しい服を着せてやれるのだ。髪だって綺麗にとかしてやらなきゃいけない。だってヒナは可愛いから。私の可愛い妹なんだから。

 自分の服が、ごみ箱からあさったぼろぼろのカーディガンだということは気にもとめない。バッグの中に入っている服は、ヒナのためのものばかりだった。

「ヒナは、どんな服が着てみたい?」

 姉の質問に、ヒナは小さく首を傾げて、

「……それより、ごはん……」

 サクラは苦笑する。色気よりはまず食い気だ。自分もこんな年頃のころはそうだった。もっとも、その時はパパもママも健在で、幸せだったな、と思い出す。だけど、今はもう居ないから。だからヒナのことは、自分が幸せにしなくちゃいけない。

 サクラは背筋を伸ばして歩き出す。

 目的の大規模食料品店はもう目の前。ブタを抱いた女の子の看板は、背景が黄色でよく目立つ。


 当然のように、正面入口は閉められていた。

 しかしこんなことは予測済み。裏に回って従業員用の入口を探す。もしここも閉まってるなら、力ずくでこじ開けるしかない。何度か石でもぶつければ開くだろう。それは今までの店でも経験済みだった。

「ここかな?」

 とサクラは呟いて、言葉を失う。

 ドアは、既に何者かによって開かれていた。ドアノブは、明らかに何かによって強引に壊され、木くずが散らばっている。

 先客か? とサクラは思う。一緒に食べ物を分け合って、なんて穏やかなことになればいいが、それは考えが甘いかもしれない。凶暴なヤツが中に居たら一大事だ。

 唇に手をやり、ヒナを黙らせる。

 ヒナはこくこくと大きく頷く。

「……ここで待ってて」

 小さく囁くと、サクラは、静かに足を踏み入れる。中はひんやりとして薄暗く、不気味なほど静かだった。フルーツやら肉やらパンやらは山積みのままで、誰も居ないように思えてくる。それでもゆっくりと歩を進め――


 ぎにゃあ!


「ひっ!」

 漏れた声を咄嗟に塞ぐ。足元にぐにゃりとした感触。飛び退いたそこに居たのは、顔半分が綺麗に黒と茶に分かれた三毛猫で、

 ふー!

 とサクラを威嚇している。牙を剥き出しにして、毛をいっぱいに逆立てる。

 サクラは静かに姿勢を低くして、「ごめんね」と右手を差し出す。三毛猫は甘えるように、その手をぺろぺろと舐める。

 まさか、この猫がドアを?

「……ってそんな訳ないか」

 サクラは三毛猫の喉を撫でる。ゴロゴロと気持ち良さそうな声が、緊張を和らげてくれる。ほっと息を吐いた、その瞬間。

 がしゃん!

 大きな音が響いて、続けざまにフルーツの山が崩れる。リンゴやキウイやオレンジがごろごろと不規則に転がっていく。

 崩れた山はすぐ近い。瞬時にサクラはいくつもの思考をめぐらす。偶然か? にしては不自然すぎる。誰かいる? なら逃げるか? でもこれだけの宝の山を前にして逃げるのはもったいなさすぎる。ここまで来た苦労が水の泡だ。でももし怪しいやつが居て、ヒナが危険な目にあったら――

「ハルぅー、助けて……」

 幼い声だった。ヒナの声にも似た、小さな女の子の声だった。

 三毛猫は、たん! と地面を蹴って、オレンジの山近くで、


 にゃにゃあー


 と長く鳴いた。

 こっちに来てくれ、と言っているように思えた。サクラは震える足を抑えて、その場所にゆっくりと近付く。オレンジの山が不意にがさりと動いて、そこから、ぽこと現れたのは、ヒナと同じくらいの、十歳ぐらいの女の子だった。まるで麻袋に穴を開けて頭から被ったような奇怪な服に、額には大きなゴーグルをつけている。髪は自分で切ったのか外にぴょこぴょこ跳ねているが、目鼻立ちのすっきりした容姿のせいか不恰好には見えなかった。

「ぷはー、びっくりした。なんだか体中がすっぱいよぅ。やだなぁ――って」

 女の子は、サクラとぱちりと目を合わすと、

「ぎゃあ!」

 叫んで、後ろ向きにばたりと倒れた。

 半分まで齧ったオレンジが無造作に転がる。ハルと呼ばれた三毛猫が、「大丈夫?」とでも言うように、その頬をぺろぺろと舐める。

 そんな様子がおかしくて、サクラは思わず声を出して笑っていた。笑いすぎのお腹の痛みは、ひどく久々のことだった。

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