第5話 滝澤拓史、衝突

 伊波川の向こうにあるともえ高校は、大きな道路に出てしまえば緩いカーブの一本道だ。けれど、そこに出るまでの住宅街には当然のように曲がり角がある。

 

 果たしてDKはどの角で現れるのか。

 まだ住宅街であれば、速度だってかなり落としているし、直前で止めることは可能だ。この滝澤、自慢ではないが、初めて免許を取得してからいまのいままで無事故無違反でやってきたのである。いわゆる超優良ドライバーというやつだ。だからこそ、この個人タクシーという職業を選んだといっても過言ではない。このゴールド免許に裏付けされた卓越したDドライビングTテクニックを持ってすれば、すれすれのところで急停止することだって容易いはず。そう、ぶつけなければ良いのである。なぁに簡単――なわけはない。


 一瞬の油断がとんでもない事故を引き起こすのだ。『だろう運転』ではなく『かもしれない運転』を心掛けなくてはならない。

 つまり、『回避能力に長けた運動神経抜群のDKが現れてくれる』ではなく、『こちらも遅刻ギリギリであるなどし、左右の確認を怠りまくって飛び出してくるような粗忽者のDK』という意識で臨まなければならない、ということである。


 これは気を引き締めてかからねばならん。何せ未来あるDKの命と、私の善良な市民としての余生がかかっているのだから。


 と、そろりそろりと車を走らせていたところ、後部座席のJKが「あ!」と声を発した。


 ――何、現れたか!?

 さすがは恋を控えたJK、老眼の進みまくったおっさんよりはるかに優れた動体視力を有している! 未来の恋人となるラブコメ相手をもう察知したというわけか!!


 慌てて急ブレーキを踏む。

 想定ではもっと余裕を持ったポンピングブレーキで、危なげなく彼の腰辺りにちょんと触れる予定だったのだが。


 その急ブレーキが良くなかったのだろう。


 第2話でも書いたが、季節は冬なのである。

 きりりと冷えた冬の朝。

 日中に溶けた雪が夜に冷えて固まり、路面はスケートリンク並みにつるつるなのである。そんなところへ急ブレーキをかけたらどうなるか。想像に難くないだろう。


 我が愛車WDホワイトドルフィン号は私の意思とは裏腹に、この狭い住宅街で大きく弧を描いた。これがフィギュアスケート選手なら、優雅なターンですねと褒められるところなのだが、いかんせんこちらは普通乗用車、しかもお客様をinした状態だ。到底許される動きではない。


 まずい、このままでは壁に激突だ、と思った瞬間、JKが「ヤバッ、スマホ忘れてきた」と呟いたのが聞こえた。よくもまぁこの状況でのんきなことを言ってられるものだと思ったが、これが現代っ子なのかもしれない。


 ドラララララララァッ! と心の中で叫んでみるも、そんなことで状況がひっくり返るわけもなく、いや、このままだとこのWD号が物理的にひっくり返る事態に陥ってしまう。さてどうしたものかとやけに冷静な自分に気付く。


 おや、何だか、周りの風景がやけにスローモーションで――、っていや、これヤバいやつ。


 そんな何もかもがスローな視界の隅で、やたらオッスオッスしたヴィジュアルの野球部員か柔道部員が見えた。この寒空にも拘わらずノーガードの坊主頭から野球部ではとアタリをつけたわけだが、身体の大きさが尋常じゃない。野球部だとしたらキャッチャーではなかろうか、とこれまた野球漫画から得た偏見でそう判断したが、坊主頭の柔道部という線もある。いずれにしてもテニス部ではあるまい。もちろんこれも漫画で得た偏見だ。


 ええ、彼がこのJKのミーツするボーイ? と首を傾げたのが良くなかったかもしれない。

 

 私が首を傾げるのに連動して我が愛車WD号もさらにくるりと曲がり、我々は『鬼塚』という表札のかかった、コメディならまず間違いなく鬼瓦みたいな顔の雷親父が住んでいるだろうと思われる平屋の塀に衝突したのである。

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