虚無(4)
仕事を終えた
部屋に入るとすぐに浴室へ行き無言のままシャワーを浴び始めた。体に当たる水圧に意識を向けるようにして、殴りつけたくなる衝動を抑える。
少し気分が落ち着いてきたのでシャワーを止め浴室を出ると、髪を乾かしながらソファーに座りテレビをつけた。
青龍寺は今回の仕事を受けたことで、たまっていた怒りが頂点に達していた。
(いいように使われたあげくに排除か。
変わらない本家の体制には吐き気がするぜ)
青龍寺は幼いころにいいように使われていた自分を思い出して腹立たしさがわいてくる。怒りの感情が大きくなってきて、どこかへぶつけたくなりギリッと歯を食いしばる。
(あの男はまるでむかしの自分だ。
そして…… オレの未来の姿。
いずれオレもキツネに食われる……)
青龍寺は『
(カネはあって困らない。
なんでもできるし、やればいい。
でもオレの中にある空洞は埋まらない。つらい――)
(『つらい』? なにがつらいんだ?
なにが足りない?)
青龍寺は埋まらない空虚に対して対処法がわからずいら立つ。
気分を落ち着けるために冷蔵庫からビールを取り出して飲み始め、映画のチャンネルに変えてから流し見る。そのうちソファーでうたた寝を始めた。
『
豊満な体つきに妖艶さをまとった女が青龍寺に近づいてきた。
隣に座り色目を使って胸を押しつけてくる。温かくてやわらかい女体。語りかけてくる声は
『環、つらいなら私が代わってやる。
楽になれるぞ、なにも考えなくていい』
ささやくような声の主は白銀のキツネだ。キツネの声に呼応するようにクスリと笑った美しい女はしなだれかかる。そして快楽へ
青龍寺は女のなすがままになっていて、幼いころの記憶がよみがえっていた。
青龍寺本家にいたころ、ヒトとしてではなく都合のいいモノとして扱われていることに気づいた青龍寺は大人に対して憎しみがわいた。
「オレは道具じゃない」―― 無知だった自分に腹が立ち、無知につけこんでずっと利用してきた大人に怒りが増幅する。それでも抑えてきたが、怒りをどこかへぶつけたい衝動が大きくなったときに白銀のキツネが誘惑してきたのだ。
「環、大人が憎いだろう? 私はおまえの味方だ。
利用しているあいつらは許せない。私が復讐してやる。私に任せろ」
いつも従順でいる白銀のキツネの言葉だったので、疑うこともせず身を任せたら、キツネはあっという間に青龍寺の体を支配した。
体を得たキツネは、見境なく攻撃して多くの人に
青龍寺は閉じこめられた身の内から人を傷つけ、物を破壊していくようすを見て、簡単に体を渡したことを後悔する。
白銀のキツネに「体を返せ」と何度も訴えた。だがキツネは耳を貸すことはなく、嬉々として暴挙を続けた。
このときに青龍寺は「排除」されそうになった。ところが察知した白銀のキツネが青龍寺と入れ替わり、再び身の奥にひそんだので排除は直前で取り消しとなった。
体を取り返した青龍寺は、怪我を負わせた人の家族からののしられ、物を投げつけられたりした。それからはあからさまに「忌み子」として嫌われるようになった。
白銀のキツネは青龍寺の手先となって働き、従順そうに振る舞っているが、隙あらば入れ替わろうと常に体を狙っている。青龍寺が負の感情にのまれると、すぐさま察知して闇にまぎれてやって来る。
白銀のキツネの化身の女が、青龍寺の体の上に乗って誘惑してくる。
しばらくすると青龍寺はうたた寝から目を覚ました。
嫌な記憶が戻ったのでチッと舌打ちをした。ぬるくなったビールを手に取ってテレビを向くと、見ていた映画は終わっていてホラー映画が流れている。
青龍寺はチャンネルを変えようとリモコンへ手を伸ばした。そこでふと
(そういや柚莉はホテルでホラー映画を見ていたな。
こんなののどこが面白いんだ?)
柚莉のことが思い浮かんだので一緒に出かけた日のことを思い出す。初めて訪れたという公園で柚莉は目をキラキラさせていた。
(鳥を見ただけで喜んでいた。
見るものすべてが新鮮って感じだったな。
オレにもうれしそうに話しかけてきて……)
柚莉のうれしそうにしている顔や姿が浮かんできて、青龍寺は自然と顔がほころんでやさしい気持ちになる。自然体でのびやかに振る舞う姿。裏表のない真っすぐな瞳に無邪気なようすが思い出されていやされる。
(柚莉は
腹を探る必要もなくてリラックスできる――)
はじめは『器』だから柚莉に興味をもった。同じ『器』ならどんな死に方をするのか知りたかった。どうせ不幸背負ってる悲劇の主人公きどりだろうと想像してたら全然違った。柚莉は真っすぐで明るい。
(オレはこの先、キツネに体を奪われてオレ自身が消滅するのが怖い。
柚莉にも恐怖はあるはずだが、あいつには恐れが見えない。
瞬間を楽しんでいて、それがオレにも伝わって不安がなくなる)
柚莉の存在にいやされる。そばにいると初めて体験したときみたいに物事が新鮮に感じられる。くるくると表情が変わってストレートに感情がでる柚莉。仮面をかぶらなくていいし格好をつける必要もない。
(柚莉といるといつも感じていた虚しさを忘れて楽しめる。
あいつの笑う顔が好きだ。
笑っていてほしい、オレのそばにいてほしい……)
青龍寺は柚莉に会うとこれまでにない感情がわくことがあった。でもそれがなんの感情かわからずにいた。
そこへ後輩と付き合うことになり、別れるときに彼女が言っていた「私を通して『誰か』を見ていた」という言葉が突き刺さった。そのときは認めたくはなかったが誰かは柚莉だと今は確信している。
ずっと感じていた空虚―― 大きな穴を埋めるために快楽を求めたり、暇を感じぬよう
(ああ…… オレに必要なのは柚莉だ)
青龍寺はこれまでずっとモヤモヤしていた感情の正体がわかり、スッキリとして気持ちが落ち着いてきている。
静かな部屋の中に差しこんでいる日の光の暖かさを感じながら、青龍寺は初めて人の心が欲しいと思った。
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