虚無(3)

 暗い森の中でザザザザッと激しくすれる音が聞こえている。音の鳴る場所には異形のモノがいて草木の間を駆けている。


(休憩もとらず眠りもせず……ずっと走り続けている。

 私の体はおかしい。

 そもそも私の意思で動いているわけではない。

 なにが起こっているんだ?)


 猛スピードで変わる景色は、草木に囲まれているものがほとんどだ。夜が明けて森の中に差しこむ光で日中だとわかり、周りの景色が判別できないほどの闇に覆われることで夜だとわかる。


 幾度か日が変わっていることには気づいているが、体は休むことなくひたすら走り続けている。


 水を飲んでいないのにのどの渇きを感じず、動く景色がずっと見えていることから睡眠もとっていない。通常ではありえないことだ。


 おかしいと思いつつ流れる光景を見ていたら、急にガクンッと視線が傾いて、目の前に地面が迫って真っ暗になった。すぐに視界は戻ったが景色が横に見えている。


(なにが起こった!?)


 急に景色の見え方が変わったので驚くも、体がまったく動かないので状況の確認ができない。視界に映っている光景から可能な範囲を見て情報を集める。


 視界には地面と横に回転した風景が映っている。草木の間にある獣道けものみちを抜けて、少しひらけた場所にいるようだ。


 どうやら走っている途中で体がいきなり硬直し、その拍子ひょうしにつんのめって顔面から地面に倒れこんだらしい。


(動かない、動けない。

 一体どうなっているんだ!?)


 地面に倒れたまま動くことができず、横になっている景色を見ていたら、ガサッガサッガサッと草木をかき分けて近づく音が聞こえてきた。


 音はどんどん近づいてくる。頭のある方角から音は聞こえていて、立ち止まることなく進んでくる。ひらけた場所に出たようで、草木をかき分ける音はなくなり、代わりにカサカサと落ち葉を踏む足音に変わった。


 足音の主は迷いなくこちらへ向かってくる。頭のある位置から1メートルくらいのところまで来たら足音はピタリと止まった。


(なんだ? なにが来たんだ? 森の中だ。動物か?

 足音には体重があった。もしかしてクマか!?)


 硬直したまま動けないため確認することができず怖くなる。森の中に棲む動物で体重のあるものといえば種類は少ない。


 シカなど警戒心の強い草食動物の場合は、気配を消してなるべく足音を鳴らさないように歩く。それに比べてやって来たものは堂々とした歩きぶりだ。ならば肉食動物、クマなのかと考えゾクリとして恐怖が増す。


 やって来た足音は同じ位置から動かずにいて、こちらのようすをうかがっているようだ。


(いやだ! このまま動物に食われてしまうのか!?)


 大声で助けを求めたいが、うかつに声を出すと刺激して攻撃されてしまうかもしれない。もれそうになる悲鳴を懸命にこらえ、息をひそめてようすをうかがう。


「『依代よりしろ』に失敗したのかよ」


 風が吹いて草木がこすれる音のほかに、突然別の音が聞こえてきたのでビクリとして驚く。すぐには人の言葉と認識できず、頭が真っ白になっていたが、「よりしろ」という単語が頭の中でこだまして思い出した。


(そうだ……依頼があったんだ。

 仕事を取りたいから邪魔してくれと……

 だから呪術のため神霊しんれいを降ろそうと『依代』をして――

 ああ……、失敗したのか……)


 倒れていたモノは、「依代」をキーワードに次々と記憶が戻ってきた。そしてこうなる前になにがあったのかをすべて思い出した。




 数日前。青龍寺総本家に依頼が舞いこんだ。とある一流企業からのものだった。


 依頼の内容は大型の仕事を受注したいから、ライバル企業が参入するのを妨害してくれというものだ。依頼の担当となった男は、呪術をかけるため『依代』を行うことにした。


 本家にある専用の堂で『依代』が始まる。


 『依代』の呪術に取りかかった男は、おのれが持つ霊力チカラを使って身の内にからの『うつわ』をつくった。男が身の内に用意した『器』の形は透明な箱だ。現実世界で箱を用意し、神霊を閉じこめることもできるが、自らの肉体が結界となる『依代』のほうが神霊を支配しやすい。そのため青龍寺の術者は『依代』を使う。


 次に霊力チカラをもって呪術に使えそうな神霊を探し出し、呼び寄せてから身に降ろして『器』のふたを閉じた。


 男は自分がつくった『器』の中に捕らえた神霊と身の内で対峙たいじする。今度はこの神霊のチカラを活用して呪術をかける段階だ。


 箱の外から男は神霊に手を貸すよう命令してみたが従わなかった。そこで霊力チカラ傀儡かいらいにしようとしたところ、閉じこめたはずの神霊が暴れ出して『器』にあったわずかな隙間すきまを見つけて食い破った。


 身の内の『器』を壊された瞬間、真っ黒な霧のようなものがものすごいスピードで八方から男を襲ってきて、あっという間にのまれてしまった。自分の姿さえ見ることができない闇に囲まれた男は、床が抜けたように地がなくなり、下へ下へと落ちていった。


 意識が戻ったとき、男は低い視線で森の中を駆けていた。見えてはいるが体の感覚はなく、自分の意思でコントロールすることができない。動物のようにつんいで森を走っていて、必死でなにかから逃げていた。


 食事も水も取らず寝ることもないまま、ひたすら走り続ける体。日の光を見ることで何日かが過ぎていることがわかるが、この状態でどれくらい経っているのか正確な日数はわからない。そろそろ体力が尽きそうだと思っていたころに、急に動きを止められた――



(『依代』に失敗して暴走していたのか。

 そして今の私は…… 呪縛されたのか……)


 術者である男は、体を動かすことができない現状が呪縛であることに気づく。そして呪縛をかけた見えない術者に返答した。


「どうやら…… そうら…し……い」


 倒れた男は息も絶え絶えで、出てきた声はか細くてかすれている。


 男に意識があることがわかると、声をかけた人物は倒れている男が見えるところへ移動した。それからしゃがみこんで顔を見ながら話しかけた。


「本家から『排除』が出た」


「ふ、ふふ。だ…ろうな……。

 失敗すれ……ば、面子めんつにかかわ……るから…な……」


 倒れている男のかすんだ視界に入ってきたのは青龍寺しょうりゅうじだった。


 男は足音の主が人間であったことに安心して、こわばっていた体がゆるんで少し笑みがもれる。青龍寺は倒れている男を見ているが、なんの感情も読みとれない顔だ。


 倒れている男は数日間走り続けてきたので、枝でかれて体のあちこちから出血している。走り続けた手のひらは皮が破れて肉が削れ、骨まで見えている。


 早い段階で身の内にいる神霊を引きはがせば助かっただろうが、森を走り続けたせいで体のほうが先に壊れてしまっていた。



 青龍寺総本家では男が『依代』に失敗するとすぐに気づいた。見守っていたほかの術者がすぐさま男から神霊を取り除こうとしたが、乗っ取られた体は攻撃を始めた。しかも降ろした神霊の妖力が強く、その場にいた術者の霊力チカラでは引きはがしに失敗、男は敷地から飛び出し森へ逃走した。


 すぐに追跡を開始したが、森へ逃げこんだため探し出すことに手間取るうえに、体を乗っ取った神霊の身体能力が高くてうまく呪縛できない。そこで本家の術者たちは広範囲の結界をつくって山を閉じた。


 結界内に男がいることを確認できたら、徐々に結界の範囲をせばめて追い詰めていった。その過程で男とコンタクトを取ろうとしたが、うまくいかなかった。


 さらに結界をせばめて男を探したが、時間が経つごとに神霊は男の精神と体をつないでいる部分を侵食していく。ついには食いきってしまい、体は神霊に完全に支配された。


 事態が大きくなりそうだと判断した総代は、救済をやめて『排除』を決断。そして青龍寺に仕事を依頼した。


 排除という非情な選択をしたことには理由がある。体に自我を取り返すことができず、かれたままでいるとアヤカシに利用されたり、悪霊と化して障りを与える存在となるからだ。



 横たわる男は青龍寺の一門なので自分の運命を悟り、思わず愚痴をこぼした。


「こんなふうに……死ぬとは……。

 本家に……従って…きて……

 いつかは解放さ……れて……普通の人の…ように……」


 会話の途中で男の言葉は途切れる。もはや話す力もなく、か細い息の音だけがもれている。青龍寺は黙って聞いていたが、立ち上がって右腕を男に突き出し、手のひらを向けた。


「こいつに憑くアヤカシを食え」


 青龍寺が言葉を発すると、彼の背中に薄く白い霧のようなものがかかった。霧はすぐに濃くなって形をつくり始め、白銀の毛皮を持つキツネの姿になると、フワリと飛んで出て音もなく地面に舞い降りた。


 白銀のキツネは、倒れている男のところへ向かい体に着くと牙を当てた。牙を立てたままグイッと力強く上へ引き上げると、朽葉くちば色の長い毛を持つ大きな猿のようなものをくわえていた。


 白銀のキツネはそのまま猿を引きずり出し、倒れている男から距離をおいたところで牙を離した。


 全身が現れた猿は2メートル以上もあり四肢は太くて全身が長い毛で覆われている。盛り上がった肩あたりから頭の部分まで毛を逆立さかだてて威嚇している。顔の部分の毛だけは黒く短くなっていて、奥にある朱色の目がにらみつけていた。


 青龍寺が呪縛をかけているので猿は身動きができずにいる。それでも牙をむき出しにして「ガッ! ガッ!」と吠え、怒りをぶつけてきた。


 猿はかなりの妖力があるようで「呪縛ヲ解ケ!」と声を発し、続けざまに青龍寺を脅したり同情を引く言葉をまくしたてて必死でのがれようとあがく。彼は完全に無視して見向きもしない。


 かけられた呪縛を解くことができずに猿がわめくなか、白銀のキツネは猿の頭をくわえ直し、力をこめてくだくと猿はぐったりとなった。キツネは美食の喜びを目に浮かべ、ヘビが獲物をのみこむときのように口を大きく開いて丸のみしていった。


 憑いていた神霊を引きはがされた男はすでに息絶えており、涙の跡のようなものが光っている。


 青龍寺は男の最期を見届けたら表情も変えずにスマホを取り出した。周りの風景がわかるように広域をカメラのフレームに入れて、倒れている男の写メを撮る。それから撮った画像とGPSの情報をつけてデータを本家へ送った。


 すべての作業がすむと、青龍寺はまゆ一つ動かさずにその場を去った。


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