女(4)

 小旅行を終えた青龍寺しょうりゅうじ村山むらやまは大学へと向かっている。一泊の旅行明けは月曜日となっていて、村山には午後から抜けられない講義が入っているからだ。


 旅行を提案した時点で、青龍寺はいくつかの候補日を提示していた。それなのに村山は日曜宿泊で午後には学校に戻らないといけないほうを選んだ。青龍寺は妙だなとは思ったが、彼女が望んだことなので深く考えずにいた。


 午後の講義が始まる前に青龍寺と村山は大学に着く。車から彼女のスーツケースだけを降ろして引いていく。青龍寺は村山の講義が始まれば帰る予定だ。


 大学へ行く前にまずは村山の家へ行って荷物を置いてきてはどうかと提案したが、彼女は直接大学でいいと断った。これにも青龍寺は不審に思ったが、彼女が意地を張ったので従った。


 講義開始までは時間があったので、二人は構内のベンチに並んで座り談笑する。


 話の最中、なにかに目がとまった村山は急に立ち上がって青龍寺に近づき、ディープキスをした。奥手だと思っていた村山がいきなり大胆な行動をとったので、青龍寺は珍しく驚いた表情を見せた。


 近くでバタバタと走る足音が聞こえたので青龍寺が振り向くと、走り去っていく篠宮しのみやの姿があった。


 青龍寺は関心を示さず篠宮を見送ったあとに、村山のほうを向き直ると釘づけになった。ニヤリとゆがんだ笑みを浮かべて篠宮を見ていたからだ。


 村山は青龍寺の視線に気づくと「青龍寺先輩、人目ひとめのないところへ行きましょう」と言って歩き出した。青龍寺はいつもと雰囲気が違う村山に違和感をもちつつ、彼女のあとをついていく。


 村山は人気ひとけのない場所で足を止めると切り出してきた。


「先輩、別れましょう」


 急な展開に青龍寺は冗談かと思って黙っていると、振り向いた村山は笑みを浮かべて続けた。


「だって、先輩、私のこと好きじゃないでしょう?」


 青龍寺はいきなり言われてドキリとしたが、確かに村山に対して特別な感情はわかないので言葉が出ない。だが、さっきまで仲良く過ごしていたので、突然別れを切り出した村山の豹変ぶりが理解できない。


「なんでいきなりなの?」


 若干警戒の混じった声で青龍寺は村山に問うと、今度は申し訳なさそうな顔をした。村山は黙りこんで目をふせていたが意を決した表情へと変わって、頭を下げて謝ってきた。


 「篠宮さんへの仕返しのために先輩を利用しました。ごめんなさい」 そう切り出してから村山は頭を下げたまま、ことの経緯を話してくれた。




 村山は大学に入学してから同じ学部の篠宮と友だちになった。


 引っこみ思案の村山にとって篠宮はとても頼りになり信頼していた。村山はたわいない話から悩みごと、色恋の話も篠宮には打ち明けていた。


 村山にとっての篠宮は、家族にさえ話していない事柄を話せる存在となっており、友人に恵まれた大学生活を楽しんでいた。そんな村山は色恋には縁が薄かった。


 村山が篠宮に「好きな男子がいるの」と相談したあと、好きになった男子がいつの間にか篠宮といい関係になっていることがたびたびあった。村山は篠宮が魅力的なので、彼女のことを好きになったのだろうと思い、恋を諦めた。


 そのうち村山にも彼氏ができる。ところが付き合っても長続きせず、彼氏のほうから「別れてほしい」と切り出されて、破局することが何度も続いた。


 村山は好きな男子ができて付き合い始めてから破局するまで、ずっと篠宮に近況を話したり、相談をもちかけたりしていた。別れた日などは一人でいるのがつらかったので、一緒に過ごしてもらったこともあった。


 篠宮に対して心の支えとまで思っていたが、無情な真実が明らかになる。


 心を許して話せる友人に選んではいけない人物、それが篠宮だった。


 ある日、村山が大学のトイレの個室に入っていたときに、手洗い場のほうから女子トークが聞こえてきた。その一つは篠宮の声だ。ほかの学部の友人たちと楽しそうにおしゃべりしている。そのときに――


「村山のオトコ取るのって快感。あんなダサいやつに彼氏なんて早いっつーの」


 篠宮が発したコトバ―― 村山は聞き違いだと思った。自分の耳と頭がおかしくなったのかと疑った。体が硬直して声も出ず、トイレの個室で立ちすくむ。


 篠宮はどんどん過去の話を語り出して、村山の話を面白おかしくみんなに広めていく。周りの女子たちは笑いながら聞いている。


 村山は恥ずかしさと悔しさ、そして信頼していた友人の裏切りに、初めて殺意に近い憎しみを抱いた。その瞬間から目には怒りが、顔は感情が消えてしまい、能面のように篠宮が吐く言葉を聞いていた。


 すべて語り終わってスッキリした篠宮は、友人たちとトイレから出ていった。しばらくして村山も個室から出てきて、手を洗ってトイレから去っていった。


 大学の昼下がり。村山が講義室で座っていると隣の席へ篠宮が座ってきた。彼女は相変わらずの笑顔にやさしい言葉をかけてくる。村山はいつものように笑顔で応える。一見するとさっき村山を毒づいていたことなど、まるでなかったかのような光景だ。


 村山はそのあとも、同じ講義があれば篠宮と行動を共にし、昼休みも一緒に過ごす。篠宮に近況も話しているようだし、以前となんら変わらない関係のように見えた。



 女をあなどるなかれ――



 人は仮面をかぶるのがうまい。とくに女性は自分を隠すことが上手だ。村山の篠宮に対する怒りは消えてはいない。ずっと仕返しの機会を狙っていただけだった。


 長く篠宮のそばにいるから村山には彼女の行動パターンが読めていて、青龍寺を好きになったことに気がつく。村山はこの段階ではなにも行動に移さず、篠宮が青龍寺に入れこむまで待つ。


 そうして機が熟した。篠宮が青龍寺に対して大胆にアプローチを仕掛けたことから、彼に心底入れこんでいると確信する。村山は篠宮が青龍寺に好意をもっていることに気づいてないフリをして青龍寺に告白した。


 村山は青龍寺との付き合いが始まると、これまでのように篠宮にデートの報告をする。こんなところへ行った、青龍寺のここがすてきだったと篠宮の気持ちを知らないフリして自慢話をする。


 篠宮は村山から話を聞いているときは、いつものように親身な感じだ。だがキャンパスでは村山の隙をうかがって青龍寺にモーションをかけ、奪おうと策略している。村山は彼女が必死になっているのを知っていて、ほくそ笑んでいた。


 そして今日。キャンパスにわざわざスーツケースを持っていき、いかにも旅行へ行ってきました感を見せつける。それから篠宮も受講している午後の講義が始まるまで青龍寺と一緒にいて彼女を待ち受ける。


 二人でいるところに篠宮が現れたので、村山は彼女に見せつけるためわざとディープキスをした。篠宮は現場を見て、村山の思惑どおり青龍寺と二人で旅行へ行き、一夜を共にしたとわかってショックを受けて走り去った――




「先輩のこと、利用してしまい本当にすみませんでした」



 説明を終えた村山は、深々と頭を下げた状態でまた青龍寺に謝った。


 青龍寺はあっけにとられたようすで彼女の話を聞いていた。なんの言葉も出てこない青龍寺に、村山は頭を下げたまましばし沈黙していたが、おもむろに頭を上げるとニッコリと笑って言った。


「でも……おあいこですよね? 先輩、私のこと見てなかったし」


「え?」


 妙なことを言われた青龍寺は不思議そうな顔をして村山を見る。彼女はなにも気づいていない青龍寺のようすに少し驚いた顔をして話した。


「先輩、気づいていないんですか?

 私といるとき、先輩はいつも私を通してを見ていましたよ」


 村山に指摘されて思い当たるところがあったようで青龍寺の表情が固まる。変化に気づいた村山は、少しだけ寂しそうな表情を見せて視線を落とした。でもすぐに青龍寺に向き直って、つくり笑顔を向けた。


「じゃ、さようなら」


 村山は振り返りもせずに去っていく。その場に残された青龍寺はなにもない空間を見たまま立ち尽くしていた。


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