妖の夜宴(4)

 翌週―― 午前中に清正せいしょうたまきは、柚莉ゆうりの部屋を訪れた。


 二人はマンションで落ち合う約束をしていたのだが、先に環がやって来たので、柚莉は警戒して部屋に入れてくれない。


 環は結界を張りに来たと伝えても清正の姿がないから信用してくれず、玄関でにらみ合いが続いている。そこへ清正が登場する。


「柚莉くん、環、反省しているから許してやってくれないかな」


 清正がお願いしてきたので、不満そうな顔をしつつも柚莉は「わかった……」と言って二人を部屋へ招いた。


 前回と同じように結界を張る作業が始まる。お香を焚く前の準備に取りかかっていると、環の中で白銀のキツネが話しかける。


『環、この部屋で焚く香や結界は私にもキツイ。

 私はおまえの奥に入って終わるのを待つ』


 白銀のキツネが環の中でそう伝えると、いつもは近くに感じているキツネの気配が薄れていき、やがて完全に気配を消した。


(この香はキツネにもキツイのか。いい情報を得たぜ。

 いつもピッタリと監視しやがって邪魔だったんだ。

 なにかのときに使えるかもな)


 環は意外な情報を得て気を良くして作業に入る。今回がいよいよ最後の結界張りとなる。もうすぐ神無月かんなづきは明けるが、最後まで気を抜かないことが肝心だ。


 三人はお香を焚く準備を進めていく。そこへ柚莉のスマホに着信が入り、画面を見た瞬間に、柚莉の顔がパッと笑顔に変わる。すぐに電話に出ると、タタタッとベランダへ駆けていき話し出した。


柊兎しゅうと!」


 第一声から喜んでいることがわかるトーンで、背中からもうれしさがにじみ出ている。環は柚莉が満面の笑みを浮かべて話す姿を見て、ツキンと胸を突かれた気がした。


 柚莉は香の準備を放ったまま電話を続けている。環は黙って作業を続けていたが、そのうちなぜだか腹が立ってきた。電話は終わるようすがなかったので、環は手を止めてズカズカと柚莉に近づいていき、スマホを取り上げた。


「え!? なにっ!? なにするんだ、環! 返せよっ」


 懸命に取り返そうとする柚莉をよそに、環は柚莉に背を向けて電話先の柊兎に話しかける。


「よお、シュウ」

_「なんでおまえがいるんだよ」


「別にぃ? いたら悪いかよ」

_「てめぇ……」


「返せっ!!」


 柚莉が強い口調で言ってきたので環はチラと柚莉を見る。彼の目に怒りの色が見え始めていたので無表情でスマホを渡した。柚莉はスマホを受け取ると、あわててベランダへ出ていく。


「ごめん、柊兎。

 え? 環? 今ちょっと……

 いや、環だけじゃないよ。清正さんも来ている。

 え? 清正さんに? でもっ。……うん……わかった……」


 最後はショボンとした感じでベランダから部屋へ戻ってきて、準備をしていた清正にスマホを差し出して電話に出てくれるよう言う。


 そのあとは柊兎と会話が中断したことがよっぽどショックだったようで、暗い表情をして途中だった香の準備を再開した。


 柚莉は清正が柊兎と電話で話しているようすを、ずっと気にしながら手を動かしている。


 清正が話し終えてスマホを返すと、柚莉はすぐにベランダへ駆けていき、柊兎と話し始める。その顔はとても至福に満ちていて、環はまた胸の奥でツキンとなにかを感じた。


 電話を終えた柚莉は上機嫌となっていて、顔はニコニコと笑ったままだった。お香の準備が整い、部屋の浄化もすんで、結界張りと順調に進んでいった。


 今回の結界張りは環も手伝った。前回の結界張りでつくり方を見ていたから、結界の種類や使う呪術は知っていた。基本の型を清正がつくったあと、環が交代して残りを仕上げていった。


 環が結界づくりの残り半分に取りかかると、清正は『蒼龍そうりゅう』の数珠に霊力チカラを送り始め、効率よく作業を進めていく。


 環は結界張りが終わるとお香の片づけに入った。そのときにソファーの隙間すきまに煙草の箱が落ちているのを見つける。ビニールは取られているが封は切られていない。見たことがないパッケージの煙草だった。


 神無月最後の結界張りは無事に終了し、清正が帰る準備を始めると、環はさっき見つけた煙草の箱を柚莉に差し出した。


「落ちていたぞ」


「ありがとうっ!! 探していたんだ」


 煙草を受け取った柚莉は、目を大きく開いて喜び、環を見てお礼を言い笑顔をこぼす。うれしそうに両手で箱を持ち、ニコニコしながら大事そうに見ている。


「おまえ、煙草吸うのかよ」


「ううん。これは――」


 柚莉は続きを言おうとして言葉を止める。環は柚莉のようすから柊兎のものかと察する。


 胸の奥でチリチリとするなにかを感じながら柚莉を見ていると、ふといい匂いがしてきた。今まで嗅いだことのない心地の良い香りだ。


「なんかいい匂いがする。おまえ、香水でもつけてんのか?」


「オレ? なにもつけてないよ」


「おまえのいるところからしてくるぞ?」


 環は柚莉がいる方角から流れてくる匂いが気になり、彼に近づいていく。ほのかに香る匂いは不思議と落ち着く。誘われるように匂いの元をたどっていくと、やっぱり柚莉がいる。


 環は柚莉の背後に回って頭の匂いを嗅ぎ、それから少しかがんで背中にも鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。さらに前に回って両腕をつかみ、肩に顔を近づけてクンクンと匂いの元を探ってみる。


 帰る準備をしていた清正は、二人のようすを黙って見ていたが、我慢できずに吹き出してしまい、「環、犬みたいだぞ」と言う。


 言われた環はわれに返る。環がおそるおそる柚莉に視線を落とすと、驚いたようすもなく平然と環を見ている。


「なんで嫌がらねえんだ? 反応が変だろっ」


「知らない人じゃなくて、環だし……。もういいか?」


 気恥ずかしくなった環はすぐに柚莉から離れる。一方の柚莉は気にするようすはなく、見つかった煙草を大事そうに見ていた。



 柚莉の部屋を出たあと、環はエレベーターの中で清正が自分を見ていることに気がつく。


「なんだよ、兄貴」


「柚莉くんのこと気に入ったみたいだな」


「んなことねーよ」


「すぐにわかったよ。

 環は世間を冷めた目で見てるし、他人ひとのことには興味をもたないからな」


「…………」


「よかったな。対等な位置に立つ人に出会えて」


「なんだ、それ?」


「環がの自分を出すことって少ないだろ?

 初めて見たよ。会って日が浅い人に隠さずストレートに感情を出している環の姿」


 環は清正に指摘されて気づいたが、柚莉の前では自分を隠す必要はなく、最初からの自分でいる。しかも状況を楽しんでいることに気づいて照れくさくなる。


「そうかあ?」


「でも、あんまり深入りするなよ?」


「わかってるって。もう怪我けがさせるようなことはしない」


 エレベーターが1階に着いて清正と別れてから、環はバイクで自分の住むマンションへ向かう。


 もうすぐ明ける神無月の街には、最後のひと暴れを楽しんでいるアヤカシの姿が視えている。環はバイクを走らせながら横目で通り過ぎていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る