第5話 弱肉強食「すべてはいずれ返ってくる」
弱肉強食(1)
朝、乗車率90%くらいとなった通勤電車に乗りこむ。
駅へ停車するたびに車両には人がさらに乗りこみ、乗車率は明らかに100%を超えていて体が圧縮される。圧縮度はどんどん増していって、押しつぶされた肺から息が強制的に吐き出される。
密着する人と人。熱い人の体温。クーラーは入っていてもそれを上回る熱気で、車両内の不快指数はMAX。乗客を見れば誰もが不快な表情をしていて車内は険悪だ。
耐えること25分。目的の駅に到着し、ギュウギュウになった車内で、「すみませーん、すみませーん」と声をかけて人混みをかき分け、やっとの思いでホームに降り立ち、新鮮な空気を肺へ送りこむ。
夏のホームは太陽がギラギラと照りつけて熱く、外気も熱気のこもっていた電車内と変わらない生温さだ。それでも大勢の人の息がない分、車内より空気は新鮮だと大きく息を吸いこむ。
改札を出て、暑い日差しの中を15分ほど歩くと会社へ着いた。
さあ、本日の地獄の始まりだ。
サトウ氏は今年入社の営業マン。新卒採用された大勢のうちの一人だ。彼は今、節電のため必要最低限のエリアしか明かりをつけていない暗いオフィスで、一人残業している。
オフィスは、カタカタとパソコンのキーを打つ音が聞こえるほかに、ウォーターサーバーがコポッと鳴ったくらいでシンとしている。
(えっ、もう夜の8時前かよ、まだ報告書が仕上がらない。
課長には夕方までに提出するって言っていたのに!)
「おい、サトウ! まだ報告書が上がってないじゃないか!
1枚作るのにどれだけ時間かかっているんだ! おまえ待ちだぞ!」
「すみません、すみません。今作っています。5時までには仕上げます!」
「俺は今から営業だ!
9時前には会社に戻ってくるから、それまでに提出しておけっ。
まったく! 行くぞ、キムラ」
そんなやり取りがあってから数時間。提出期限を5時と言っていた書類は、いまだに完成していなくて作成中だ。
(どうして僕はこんなに書類作成が遅いのか。
なぜみんなが簡単にできることができないんだろう)
このサトウ氏のように、悩みながらも懸命に仕事をするビジネスパーソンは多いのではないだろうか。
時をさかのぼってサトウが入社したころを見てみよう。
四月の某会社。入社式を終えたサトウは、同期入社した同僚と同じスタートラインで走り出した。これから新人研修が始まり、ビジネススキルを学ぶ日々を送ることになる。
(これまで学生だったけど、僕もいっぱしの社会人!
会社に役立つ人材として頑張るぞ!)
配られた資料を手にしたサトウは、気合いを入れて新人研修に臨む。
研修はあいさつの仕方から始まり、接客の方法、パソコンを使ったグループウェアの操作や文書作成と目まぐるしく進んでいく。
新入社員には同じ内容の資料に、同じスペックのノートパソコンが支給されていて、平等に与えられた物を使って研修を受けている。
スタートラインは同じだ。でもスキルは人それぞれ違う。
サトウの同期は経験したことがあるかのように、すべての研修内容をスムーズにこなしていく。
(あれ、なんでみんな簡単にできるんだ?)
――電話に出ると、あがってしまってうまく話せない。
(なぜ、教えてもらわずに一人でできるんだ?)
――パソコンに文字を入力するだけで時間がかかってしまう。
サトウはどの作業をしてもいつも最後になる。少し遅いではなく、どれも彼だけが完全に遅れている。新入社員の中には時間を持て余す者が出てくるくらいだ。
新人研修は項目ごとに時間の制限があるので、サトウ一人のために時間をかけるわけにはいかない。時間内に仕上げることができなければ、作業はそこで終了となってしまう。サトウは時間内に終わらせることができなかった研修項目が増えていった。
置いていかれる――
(どうしよう、僕だけ研修についていけてない。
待ってくれないし、マンツーマンで指導してくれない……。
みんなが簡単にできることが僕には難しい)
新人研修が進むにつれて、覚えなくてはいけないことが増えてくると、サトウにはできないことがたまってきて、同期との差が広がっていく。資料を読んでいても、わからない部分があり、研修についていくのがやっとだ。
(資料を家へ持って帰りたい、復習したい。
それなのに社外秘なんて。僕だけみんなに置いていかれる!)
新人研修の一日目が終わった時点では、まだ大丈夫と言い聞かせていたサトウだが、日に日に焦りが募った。会社にいる間は休憩もとらずに、研修の時間内に完成できなかった作業を続けていた。
「なんか…… サトウさん、必死になっていて声かけづらいわ」
「
研修の休憩中、同期たちはこれから一緒に仕事をしていく仲間と、互いにコミュニケーションを取り合って親睦を深めている。その輪の中に入らず、サトウは一人で一心不乱に研修の資料を読んでいる。
同期たちは切羽詰まるサトウを見て、なんだか話しかけづらく、いつしか彼とは距離ができていた。新人研修中に、サトウが同期と取ったコミュニケーションといえば、あいさつ程度だった。
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