狐面の男(2)

 表向き用の仮面「好青年」からは想像しにくいが、青龍寺しょうりゅうじの裏の顔は非道ともいえる言動を見せる。


 ことに仕事に対しては冷淡で、依頼者に対して同情をもたず、なんの感情も動かず、ただ仕事として任務に徹する。


 彼の言動は同業者である寺の関係者からもクレームがくるほどだが、もともとがそうだったわけではない。青龍寺が非情な態度をとるようになった発端は、幼少期にさかのぼる。




*** ***



 たまきは生まれながらにして強い霊力チカラをもって世に誕生した。気づけば親という存在は近くになく、青龍寺総本家の大きな屋敷で育てられていた。


 屋敷には外部からやって来る大人たちが、環に読み書きや計算などの教育を行った。身の回りのことは誰かがしてくれるので衣食住には困らない。環の周囲はすべてが機械的なもので、人情が足りていないこと以外は十分な環境だった。


 環は物心がついたころには、すでにアヤカシなどの『はらえ』の場に引っ張り出されていた。


「環、お願いがあるんだ。あのアヤカシは悪いやつなんだ。やっつけてくれるかな」

「いい子だ。ありがとう」

「環がいてくれるから助かっているよ」


 『祓』のために迎えに来たときからアヤカシを祓うまで、大人たちは環に愛想を振りまき、成功するとほめたたえた。だが『祓』が終わるとすぐに去っていき、『祓』のとき以外は環とは接点をもとうとしなかった。


 環は『祓』のとき以外に大人が近づかないのは、自分になにか欠点があって嫌われているものだと考え、自分を責めて過ごしていた。


 そんなある日、環は大人たちが自分のことを陰で「忌み子」と呼んでいることを知る。


(『忌み子』? なんだろう……)


 不思議な単語に興味をもつが、大人は環には悟られないように隠しているようだ。察しのいい環は、子ども心ながら聞いてはいけないことだろうと意味を問うことはしなかった。


 一族の中では「忌み子」として恐れられている環。生まれたときから霊力チカラが強く、なんの訓練を受けることもなく、じゃを祓い、意のままに白銀のキツネを操った。



 これを恐れたのだ――



 『霊力チカラ』―― 霊力チカラ自体はそれほど珍しいものではない。

 ほら、読者の近くにもいませんか? 「幽霊が視える」という人。


 他人と違うことを恐れて公言していないだけで、「視える」「聴こえる」「におう」「感じる」などの霊力チカラをもっている人は世の中にわりといる。


 霊力チカラもさまざまで、幽霊が日常的に視える人、たまに視える人など「強弱」があったり、幽霊の姿は視えるし声も聴こえるなど「幅」の違いがあったりするようだ。


 霊力チカラをもっている人はそこそこいる。しかし霊力チカラを自分の意思で自在に扱える人というのは少ない。例えば、『呪術』と呼ばれるものを使って人を幸せにしたり不幸にしたり、『式』という意のままに操れる霊体を扱う異能者は数が少ない。だが存在するのだ。


 この霊力チカラというもの。いまだによくわからない部分は多いが、古くから重要視されるのは「素質」だ。訓練を積めばスキルは上がるかもしれないが、もって生まれた才能というのは時間をかける手間が省ける。そのため異能者は血統を重視する。


 ある程度の霊力チカラがある場合は、訓練次第ではスキルを上げられる。まずは自分の持っている霊力チカラがどんな特質なのかを知り、なにに使えるかを把握する。あとはアスリートたちと同じように、経験を積んで能力を伸ばしていくだけだ。


 ただ―― 気をつけなければならない。霊力チカラを使うときは相応のリスクが伴う。


 『呪術』や『式』は、自在に使っているように見えても霊力チカラでもって制御している。言い換えれば制御できなくなれば、自身が『呪術』や『式』に食われることになる。それを知っているから異能者は精神と肉体を鍛える。


 たいていの者は先人が残してくれた知識をもとに『呪術』を学び、厳しい修行を積んで体得していく。自在に扱えるようになるまで霊力チカラを大きくし、自身の身の安全を保証できてから行使する。


 それなのに環は異なる。大きな霊力チカラをもって生まれた環は、修行という経過を踏まずに、いとも簡単に霊力チカラと『式』を操る。苦労してきた大人たちから見れば、環は異形の者として扱われ、裏では異質すぎると恐れられていた。


 幼かった環は気味悪がられているとは気づかずにいた。大人たちは素直に頼みを聞いてくれることをこれ幸いとし、彼をそそのかして、難題がもち上がれば呼び出して『祓』をしてきた。


 だが成長していくに従い、会話の空気が読めるようになり、難しい単語の意味も理解して、会話の内容がわかるようになる。大人が自分を「忌み子」として避けていた真相を知る。


 大人の期待に応えて要望を聞いてきたが、周りが求めているのは「自分」ではなく、霊力チカラや白銀のキツネ。必要とされていたのは「自分」ではない。


 また『祓』を続けていくうちに、ことの始まりは、好奇心や欲望など人間の都合から発生し、人間の都合で祓われていることにも気がついて、自己中心的な人間が多いことを嫌悪した。


 期待に応えていたつもりが、実は「カネ」のため。悪いモノを排除してきたつもりが、「用がなくなったから消し去る」役目をしていると理解したら、いいように使われてきた自分の無知ぶりに腹が立った。


 人の都合に振り回されている自分。なんのために存在しているのか価値がわからず、いいように使ってくる大人に怒りが爆発して、大勢の人を怪我けがを負わせる事件を起こしてしまう。


「やはり忌み子だ、恐ろしい」

「本性がでた。やはりけものよ」


 大人は自分をいいように使っておいて、一度の反抗で化け物扱いする。この一件で大人たちは隠すことなく環をののしるようになり、大人の豹変ぶりに幻滅する。


 環は大人の気を引くこともなくなり、こびを売ることもない冷めた目で世の中を見る子どもとなって人間を嫌悪する。


 かわいげのない子どもだが、それでも大人たちは自分たちが対処できない案件がくると、恥ずかしげもなく環に『祓』をお願いしてきた。


 環は『祓』の道具として扱われてきたことや、人の欲のために行う『祓』自体に嫌気が差していた。協力を拒んだこともあったが、今度は「生きていけないぞ」と大人は脅し、「生活のためにカネが必要だ」と言う。


 幼いなりにも環は生きていくためにカネは必要だと理解している。大人の言いなりになるのはしゃくだが「カネ」は要る。環は割り切るようになり、生きるための手段として『祓』を行い、相応のカネを要求した。そうしていくうちに、『祓』を行うときは感情が動かなくなった。




 一族の中で腫れ物扱いされてきた環。あるとき、遠縁にあたる現在の青龍寺の住職が養子として引き取る。青龍寺に引き取られてから環は多くを学んだ。


 はじめは寺で学んでいたが、そのうち学校へ通うことになり、実社会と関わりをもつようになる。そこで人間社会の仕組みを知り、人を知る。


 「父親」は養子となった環を子ども扱いせず、「人」として向き合い、彼が生まれもった力についても正直に教える。それから社会に出ても生活に支障がないよう、霊力チカラについての知識や使い方なども惜しみなく伝え、万が一に備えて体術を教えるなど体を鍛えることもした。


 環はなんの見返りも求めず親切にしてくる「父親」に、はじめは警戒した。あからさまに嫌悪感を出したし悪態もついた。それなのに「父親」の態度は変わらず、また「兄」と区別することなく同等に扱ってくれる。


 甘やかすことはなかったが、環は自分のことを気にかけてくれる「父親」と「兄」という存在を信頼するようになり、数年かけて人並みに近い家族関係にまでなっていった。


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