呪具(2)

【二日目】


「アイー? まだ寝てるのー?」


 珍しく起きてこない娘に母親は心配して部屋を訪れた。ドアをノックすると、「気分が悪いから学校休んでいい?」と声がした。


 体調が気になり、ようすを見ようとドアに手をかけ、開けようとしたら鍵がかかっていた。


(アイが部屋に鍵をかけるなんて珍しいわ。大丈夫なのかしら)


 母親は不審に思ったが、体調が悪くて邪魔されたくないのだろうと、娘のことを思いやって、そっとしておいた。



 アイの部屋の中は異様な状況となっている。


 ドアに体を寄せてピタリと耳を当てていたアイは、母親が立ち去ったのを確認すると、部屋をグルグルと歩き始めてブツブツとなにか言っている。


 それからギョロギョロと部屋を見回して、目についたポスターを壁から引きちぎり、クローゼットを開けて服をつかむと、素手で引きいていく。力の強さは明らかに異質でとても中学生とは思えない。


 目は焦点が合っておらず、口は少し開いていて食いしばった歯が見える。「フー、フー」と荒い息が歯の間からもれ、口の回りはよだれだらけとなっており、ただならぬ状態だ。


 アイは落ち着きなく部屋を歩き回り、目にとまるものを引きちぎって荒していたが、急にピタリと動きを止めて上を向いた。そしてユラユラと円を描くように上体だけをゆっくりと動かし始める。


 上を向いたままの状態で中空を見ており、だんだんと目が白目へ変わっていく。同時に口が徐々に開いていき、あごが外れそうなほど大きく開いた。そこでゆれていた上体の動きが止まり、ダランと腕を垂らしてピタリと静止した。


 硬直した状態のまま数分が経過していたが、ピクリと体が動くと白目に黒目が戻った。アイはニヤリと不気味な笑みを浮かべて顔を正面に戻した。それから部屋の姿見があるほうへ行き、体を映して身なりを整え始める。クルリと回って全身を確認したら、ました顔で部屋を出た。


「お母さーん、おなかがすいた~」




 部屋から出てきたアイは、食事をとるとすぐに部屋へ戻っていった。キッチンで洗い物をしている母親は、いつもとようすが違う娘が気になっている。


(アイ、やっぱりようすが変だわ。

 いくら体調が悪いといっても、おしゃべりなあの子が黙って食事をするなんて)


 洗い物がすんだあと、アイの大好物のココアを持っていったが、ドアにはまた鍵がかかっていて、ノックをしても返事はなかった。娘のようすに違和感をもつも、体調がすぐれないからだろうと、母親は自分に言い聞かせた。



 深夜を過ぎて父親が帰宅する。玄関で迎えた母親はすぐに娘のことを相談した。


「あなた、今日、アイのようすがおかしくて」


「……疲れているんだけど」


 父親は面倒くさそうに言葉を返す。母親はムッとした顔を見せて黙ってしまった。父親は少し長いため息をつきながら部屋へ向かうと、娘が薄暗い廊下に立っていた。


「び、ビックリした。アイ、そんな暗い所でなにをしてるんだ?」


 娘はうつむき加減で立っていて表情は見えず、返事がない。「アイ?」と父親がもう一度呼びかけると、娘はバッと顔を上げてニヤリと笑った。


「おかえりなさぃ、パパ」


(アイが『パパ』?

 いつもは『お父さん』なのに急にどうしたんだ?)


 父親は娘のようすがいつもと違うことを不審に思って見ていると、娘は急にダッと走り出してキッチンへ向かっていった。


 ダダダッと足音が聞こえてきたので、キッチンにいた母親が向くと、娘がいきおいよく走ってきた。娘は両手でガシリと母親の左腕をつかんだら、思いきり噛みついた。


「キャー!」


 あまりの痛さに母親は悲鳴を上げて娘を見ると、娘は腕に食らいついたまま母親をにらみつけている。顔は確かに自分の娘なのだが、娘の顔に知らない女の顔が重なって見えた気がした。


 母親は娘の突然の奇行と、一瞬見えた知らない女の顔で頭が真っ白になり、娘と向き合ったまま動きが止まっている。


 一部始終を見ていた父親は「アイ、なにしてるんだ!」と、あわてて二人のもとへ駆けつけると、娘は噛みついていた腕から口を離して、力なく床に倒れた。


 両親が娘に呼びかけても返事はなく、スースーと寝息をたてている。激しくゆすっても起きる気配はなく、眠ったままだった。


 おかしな行動をとった娘が心配になり、両親の部屋に娘を寝かせてようすを見ることにした。


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