降霊(4)

 アサミは動かなくなった自分の体の横でへたりこんでいる。彼女はぼうぜんとしたようすで数分前に起きた出来事を回想していた。


 黒いキツネによって体から意識を抜かれたアサミは、はじめのうち状況に気づいていなかった。そこへキツネから今のアサミが霊体になっていることを聞かされる。


 アサミは自分のおかれた現状を理解して失意でいると、突然パーカーをかぶった狐面がやって来た。


 通路に入ってきた狐面の人物は、歩きながら地面に横たわるアサミの体を見たが、驚くようすもなく、ただ眺めて関心を示さずにいた。そのまま半透明になったアサミの近くまでくると、しゃがみこんで霊体となっているアサミの顔を視てから言った。


「ホーント、自分勝手だよなぁ。

 なんで『自分は特別』、『大丈夫』だって思えるのかねぇ?」


(お面で表情はわからないけど…… この人、わたしのことを蔑んでいる。

 初めて会う人なのになぜ? でも今はそんなことよりも――

 もしかして…… わたしやキツネが視えている?)


 アサミは狐面の話しぶりから希望がわいた。だが確証がもてなくて、ようすを見ていたら、狐面を外した男が黒いキツネのいる方角を向いて、キツネと会話を始めたことで確信を得る。


(この人、わたしたちが視えている! 話をすることができる人だ!

 わたし、体に戻れるかもしれない!!)


 希望がでてきたアサミは、男に事情を話して助けてもらおうと、立ち上がって駆け寄ったが、途中で足を止めて動けなくなった。


 なぜならアサミの前に立つ男の背中から、白に近い銀色の毛皮をした大きなキツネの上体が出ていて、前足を男の肩に乗せた状態でいたからだ。


 白銀のキツネは男の背中から徐々に全身を現し、すべてが表に出ると、フワリと飛んで男の前へ降り立った。


 白銀のキツネの毛並みは風になびいてキラキラと光って美しく、大きな尾は丸くふっくらとしている。


 男の前に立った白銀のキツネと黒ギツネが対峙たいじすると、男は黒ギツネに向かって右腕を突き出し、手のひらをキツネへ向けて「黒ギツネが欲しい」と言う。白銀のキツネはその言葉を聞くと、黒ギツネに向かって歩み出した。


「なんだ? おまえは。人間を味方するのか?」


「少々違うな。この男は私の『うつわ』だ」


「『器』……。おまえは『器』頼りのふぬけか」


「なんとでも言え。すまぬが『絵』になってもらおう」


「人間の力を借りぬと存在できぬやつに、ワシが倒せるものか」


 キツネたちは毛を逆立さかだてて飛びかかり、地上に空中と、移動しながらみ合いを始めた。怒号や牙がぶつかる音、物に当たる音や地面にたたきつけられる音などが狭い通路で響く。


 二匹のアヤカシが激しく戦っている間、男はキツネたちに興味を示すようすもなく、建物の壁に寄りかかってスマホを操作している。


 アサミはアヤカシ同士の死闘の激しさに、巻きこまれないかと恐れながらも、地面をいずるようなかたちで男に近づいていき、足にすがりついて話した。


「ねえ、お兄さん! わたしのこと、視えているんでしょ?」


「あ?」


「やっぱり視えているんだ!

 お兄さん、わたし、体から離れて戻れないの。助けて!!」


 男はスマホから目を移して足元にいるアサミを視ている。アサミは白銀のキツネを出し、操っているように見えるこの男に助けを期待した。目は希望に満ちて輝いている。


 男は黙ってアサミを視ていたが、表情を変えずにアサミからスマホへ視線を戻して、再びスマホをいじり出した。


「えっ――」


 アサミは予想していなかった男の態度に動転して、すがりついていた男の足を這いのぼって立ち上がり、男の服をつかんで懇願こんがんする。


「お兄さん、助けてよ。わたしのこと、視えているんでしょ。

 なんとかできるんでしょ? 助けてよ!!」


 アサミの目に怯えが見え始めて涙で潤んでくる。大声で頼みこみ、手を取ってゆすると、男はチッと舌打ちして突き飛ばした。尻もちをついて倒れたアサミは驚き、涙でぐちゃぐちゃになった顔で男を見上げる。


「待たせた」


 後ろから声がしてアサミが振り向くと、白銀のキツネが黒ギツネの後ろ首をくわえて引きずってくる。あわててアサミが道を開けると、白銀のキツネは悠々と横と通り過ぎ、男の足元に黒いキツネを置いた。


 足元に置かれた黒ギツネの姿を視ると、男は「あんがと」と言って、うれしそうな顔をしてスマホをしまい、ポケットから和紙を取り出した。それからしゃがみこんで和紙を黒いキツネの体に押し当てる。


 黒いキツネは「ギャン!!」と大きな声を上げたあと、姿がどんどん薄くなって消えてしまった。代わりに白紙だった和紙に、じんわりとすみがにじんできて、水墨画が浮かんできた。


 和紙には黒毛に毛先だけが灰色になった美しい毛並みのキツネの姿がある。ピンと立った耳、首から肩あたりの毛は少し逆立ち、尾は大きくてフサフサと丸みをおびており、二つに分かれている。正面を向いた顔はバランスが良く、切れ長の目は射貫くように真っすぐ見ている。水墨画の中の黒ギツネは凛々しい姿をしていた。



「やっぱりな~。大物っぽい感じがしたから美形狐だ」


 宝物でも見るような目で男は水墨画を見ている。しばし絵に見入っていたが、満足すると男は絵を御朱印帳の間に和紙をはさみこんで、ポケットへ入れた。


 それから鼻歌を歌いながら、細い通路の出口へ歩き出す。白銀のキツネは男の後ろ姿に向かってポーンとジャンプすると、そのまま吸いこまれるように消えていった。


 座りこんでいたアサミは男が去っていくのを見て、われに返り、あわてて立ち上がってあとを追う。


「待って! 待ってよ、お兄さん!

 お願い! 助けて! 体に戻りたいの!!」


 アサミは走って追いかけるも、一定の場所までくると体がピタリと止まって、先へ進めなくなる。


(なに? ここから先へ行けない。

 なにかとつながっているみたいで先へ進めない)


 アサミが振り返って背後をよく見ると、白くうっすらと発光している糸のようなものが倒れている自分の体から伸びていて、半透明の自分の体とつながっている。糸をさわってみてアサミは直感する。


(あ…… これ、切れたらダメなやつだ。

 糸が切れちゃうと二度と体には戻れなくなる)


 アサミはこれ以上は進めない場所で立ちすくみ、遠ざかる男の姿を見て、涙があふれ出てくる。その場から動けずとも大声をはり上げて男にすがる。


「お兄さんっ! お願い、なんとかしてえぇ!!」


 恥ずかしげもなく大泣きしながらアサミは懇願し続ける。男は通路の出口で振り向き、冷ややかな顔をして冷淡な口調でアサミに言う。


「自分の好奇心でやったことの結果だろ? なら責任は自分でとれよ。じゃあな」


「いやああぁあ! 行かないでえぇ!!」


 絶叫が薄暗い通路に響く。アサミは何度も男に「戻ってきて」と叫んでいたが、男は戻ってはこなかった。


 しばらくして通行人が倒れているアサミを発見し、すぐに周囲の人たちが駆けつけて救急車を手配してくれた。


 アサミは介抱してくれる人たちに話しかけるが声は届かず、ふれて知らせようとするも体を通り抜けてしまう。


 どうすることもできないまま、救急車に乗せられて移動する自分の体についていくしかなかった。


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