第4話 セレナに見捨てられるリアナ

 いつの間にか、馬車は王都の外れの、人気のない森の前にやってきていた。

 あたりはすっかり真っ暗になっていた。


 窓の外が真っ暗な森なのを見て、お城に向かっていたと思っていたリアナは嫌な予感がしていた。


「さっさと、降りなさい。あなたは私の所有物なのだから」


 先に馬車を降りた姉は、先ほど見せた聖女の微笑とは違う、氷のような無表情で、リアナに外に出るように促した。さっきまでの優しい雰囲気はすでになかった。

 こんな真っ暗な森の入り口で降りるのは気がすすまないけれど、逆らってセレナの機嫌を損ねてはいけないと、リアナは素直に従った。

 今は、セレナしか頼る人がいないのだから。


「すぐ、もどるから」


 セレナは御者にそう告げてから、リアナを連れて、森の中へ歩き出した。

 しばらく歩いた先には、灰色のフードをかぶったオーク族の男が、家畜運搬用の粗末な馬車の前で待機していた。


 そして、茂みからあゆみ寄ってくると、断りもなく私のあごをぐいとつかんで、値踏みするように、その血走った目で、嘗め回すように眺めた。


「実の妹を売るとは、とんだ聖女さまもいたもんだ」


 どうやらこのオークの男は、奴隷商人のようだ。


「うふふ、私に妹なんていなくてよ?」


 セレナはオークの男に、冗談めかして返事をする。


「なら、取引成立だな。それにしても、1ゴールドで売ってくれるなんて、聖女さまも気前がいいな」


 オークの男は、セレナに向けて、一枚の金貨をピンと指で弾いて寄越した。


「はあ? こんなクズ、1ゴールドだって高いくらいよ」


 セレナははじかれた金貨をパシッと手のひらで受け取ると、しかめ面で男を見返した。


 売るってどういことだろう。

 事ここに至って、リアナの中で不安が際限なく広がり始める。そして、先ほど姉が発した冷たい言葉が、リアナの不安に追い討ちをかけていた。


「お姉ちゃん? どういうこと? 王都で一緒に暮らすんじゃないの?」


 人間よりも、性欲が強いオークに売り飛ばされる。それがどういう意味を持つのか、セレナは身をもって知っているはずだ。

 

「はぁ? あんたにお姉ちゃんなんて呼ばれる筋合いなんだけど? うふふっ、やっとあんたに復讐ができるわ!」


「なら、あの時、売られそうになっていた私を助けてくれたのは、どうして?」


 リアナは泣きながら、訴える。姉の良心にすがりたい気持ちだった。

 でも、セレナは暗闇の中で、氷のような笑みをたたえて、ゴキブリを見るような視線を、リアナに向けた。


「そんなこともわからないの? おめでたいわね。私がされたことと、同じことを味合わせたいに決まってるからじゃないの。人間なんて生ぬるいもんじゃないよ、オークのアレ・・は、うふふっ!」


 セレナは羽付きの扇を取り出して、ゆがんだ口元を覆いながら、笑う。

 それを見たリアナは、もう姉は、自分に対して、ひとかけらも愛情が残っていないことを知った。

 それなら、自分だって、精一杯対抗してやろうと、拳を握りしめて叫んだ。


「今日のこと、バスラ王国に告発してやる! 聖女さまが、実は人身売買に手を染めていて、しかもその商品が実の妹なんだって! それが知られたらどうなるかなぁ~!?」


 リアナのめいっぱい虚勢を張り、セレナに迫った。

 でも、セレナの表情は微動だにしない。


「聖女である私と、お前のような乞食と、どちらが社会的に信用されていると思ってるの? お前がなにをわめこうとも、きちがいの世迷い事としかうけとられないわ、ふふっ」


 分が悪すぎる。バスラ王国の聖女、”薬師のセレナ”と、”乞食のリアナ”では、立場が違いすぎる。

 いつの間に、こんなにも差がついてしまったのだろう。私が学院でろくに勉強もせず、遊び惚けていたからだろうか。

 いや、セレナは子供の頃から、いつも努力して自分を磨いて、人には優しく接していた。この差はきっと、最初からあったものだ。今この場所で、表面に現れたに過ぎない。


 セレナはもうあてにできない。でも、オークにご奉仕するなんて、死んでもいやだ。

 

 リアナはオークの男を振りほどくと、裸足で森に向かって駆け出した。逃げよう、今は逃げるしかない。

 オークの慰み者にされるくらいなら、路上生活のほうがまだました。いっそ、死んだほうがましだ。


 しかし、人間であるリアナが、オークの男性の身体能力に敵うわけもなく、すぐさまつかまってしまった。

 恐怖のあまり、顔からも下からも体液を流し、びしょぬれになりながら、リアナは命乞いをする。


「いやだよおおぉぉぉぉおおお! これならまだ人間のほうがましだったよ! お姉ちゃん、助けて、今までのこと全部謝るからあああぁぁぁあぁぁ!」


 リアナの叫び声が、蔑むように笑みを浮かべているセレナの顔面に向かって、むなしくこだまする。


「うふふ、いまさら謝っても、もう遅い、のよ」


 セレナはリアナの渾身の願いを振りほどくように、冷たく言い放つ。その表情は、やりとげたというすがすがしささえ感じられた。


「そうそう、私の両親は、王宮の地下室に、薬漬けにして放り込んであるの。気持ちいいわよぉ~、毎日私の作る薬を欲しがるの。それはもう、犬みたいに土下座しておしりを振りながら、私すり寄ってくるの…、やべっ、ぷっ…、ぎゃはははは!!」


 もはや聖女とは思えない下品な表情と大きな声で、セレナは勝ち誇ったように、リアナを見下した。

 リアナは両親との懐かしい思い出と、不憫な両親の姿が重なり、ますます泣き叫んだ。


「うわあぁああぁあああん! お姉ちゃん、ひどいよぉおおお!! おとうさん! おかあさん! ぎゃああぁああ!!」


「おらっ! うるせえぞ! 黙りやがれ!」


 発狂して泣き叫ぶリアナに向かって、オークの男は、太い腕を勢いよく振り下ろした。


「うぎゃあぁぁああぁ……あ!」


 そして、ガツンと後頭部に強い衝撃を感じて、リアナは口から泡を吐き出して気を失った。


 セレナの高笑いが、途切れかけたリアナの意識のなかで、響き渡っていた。


(つづく)

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