ほんとうに「うそ」ばかり……だけど?
《ゆびきりげんまん、うそついたら針千本のーます、ゆびきった!》
うそ――それは「針千本のーます」ほどの大罪であることもあるに違いない。わたしは、くだらないうそをたくさんついてきた。しかし、「針千本」をのませるという行為につり合う「うそ」とはなんだろう。そんなことを、こんな朝に考えている。
――――――
少し話は変わるが、わたしはうそをつくことがうまい。うまいというのは、適当な用事がいくつも思いつくのだ。うそを披露する機会なんて、山ほどあった。その中でも多かったのは、授業を抜け出したいときにつく、うそだ。
わたしは、勉強が大好き――というわけではなかった。少なくとも、高校生の時までは。しかし、授業をサボろうと思ったことはない。
〈パニック〉
わたしを悩ませたのは、突然のパニック症状だった。息が苦しくなり、いてもたってもいられなくなる。しかし……「体調が悪くなったので、保健室に行ってもいいですか」というのは、疑われてしまうような気がして、使いにくかったのだ。
周りは、わたしがパニック症状を抱えていることを知らない。だから、「あれ? 前の休み時間は元気やったやん……そんな急に体調が悪くなるん?」と思われてしまうのではないかと、びくびくしていたのだ。
そういうこともあり、わたしは、たくさんのうそを作って、やり過ごしたのだ。
――――――
さて……わたしは、いままでの文章で、ひとつ、うそをついているんですが、気づきましたでしょうか。
>「針千本」をのませるという行為につり合う「うそ」とはなんだろう。そんなことを、こんな朝に考えている。
朝から考えないです。こんなこと。書きだしにこまったので、こんな適当なことを書いたんです。わたしは、べつのことを考えていました。それは、わたしが創作をすることについてのことです。
――――――
《最近、わたしは創作を楽しんでいないのではないか?》
そんな疑問が、ふと頭の中に浮かんだのです。なぜでしょう。思い当たるふしはいくつかあるんです。しかし、最たる理由は、「理想と現実の間にある格差」なんです。
もし「理想」を違う言葉に言い換えるなら、「目標」だと思います。わたしは、プロの作家になたりたいという野望が、いまはないのです。もし、そうした野望が「理想」(目標)だとしたら、対応する「現実」は〈くすぶっている〉になるのでしょう。もしくは〈腕が上がらない〉というのもあるかもしれません。
しかし、わたしの「理想」(目標)は、次のようなものです。
〈ポストモダン化し小さな物語が乱立する現在において、異なるコミュニティ間を架橋するためには、創作の力が必要なのではないか〉
「ポストモダン」とか「小さな物語」とかを説明するには、紙幅がたりないので(研究者の
――――――
わたしはのいまは、図式(?)すると、こんな状態なんです。
現在の位置⇒( )⇒理想(仮説の証明)
つまり、「理想」(目標)はあるのですが、その間になにをすればいいのか、具体的なビジョンがないのです。わたしは「仮説」を「証明」する手段として、文学があるのではないかと思っているので、( )の部分に文学的活動をあてはめようとしているのです。
そして、これがうまくいかない。「現実」は厳しく、なにをしても「理想」に近付いていかない。もどかしてく、いらいらして、いろんなことを試して、失敗してはへこんで。
これは楽しくないですよ。
そして、よく考えればわかる(のになぜかわすれている)のですが、一足飛びで「理想」にたどりつけるはずがないのです。しかし、もうこんな歳なんだから……という焦りはあるんです。それでも、よく考えれば、想定される寿命の四分の一くらいしか生きていないんですけれどね。
――――――
さて、わたしはまた、うそをつきました。
こればかりは見破られなかったでしょう。なぜなら、上記のことを書きながら、たったいま、「これ、うそじゃん!」と思ったからです。あらかじめ意図していないうそなんて、わかりようがないですからね。
わたしは昨年の十一月に、突然、創作活動を再開しました。理由は簡単です。
《やっぱり、創作したいんだよなあ》
その気持ち、ひとつです。結局、そうなんです。先生たちには、「文学的活動により異なるコミュニティ間の~」とか、もっともらしいことを言っているんですが、わたしは、「創作がしたい!」の一点しか、考えていなかったはずなんです。
それなのに、なんでこんなうそをついていたのでしょう。おそらくそれは、高校生の時の「授業を抜け出すためのうそ」と似ているのだと思います。「あんた、なんで急にまた創作するん、研究で食ってくんやないん」――そんな突っ込みが怖かったのです。
――――――
だから、わたしはいま、こう思っています。
《創作、楽しんでいこう!》
こんな前向きな姿勢になれたのだから、今日の朝は、今年一番の朝です。わたしは、九ヶ月ぶりにふとんを敷きました。
――――――
「九ヶ月ぶりにふとんを敷いた……?」――これはうそじゃないんです。わたしは、昨年の3月下旬に下宿に戻ったのですが、それから一度もふとんを敷いていなかったんです。毛布一枚をかけて(最近はうすいかけぶとんも)、床で寝ていたんです、ほとんど。
ふとんを敷くのが、とてもとてもめんどうくさかったんです。「いやいや、簡単なことやん……」――そうです、簡単なんです! でも、敷かないことはもっと簡単なんです! わたしは、怠惰に怠惰を重ねて、適当に寝ていたんです。
しかし、しばらくぶりに、ふとんを敷いたのです。これは、わたしの「前向き」の表れだと思います。臨戦態勢! 元気よく創作活動をがんばるために、生活習慣を豊かにするぞ! みたいな。
――――――
話は少し変わるのですが、「ゆびきりげんまん~」をロマンティックにすると、「騎士の誓い」になるんじゃないでしょうか。
《命にかえても、あなた様をおまもりいたします》
どうなんでしょう。針千本のんでも死んじゃうと思うんですが、「あなた様」が何者かに脅かされたとき、騎士(じゃなくてもいいんですけどね)は死を選択するのです。
しかし、このふたつには、厳然とした違いがありますよね。「針千本のーます」は「のませるぞ」という「他人から脅迫」なんですけれど、この「騎士の誓い」は「自らの意志」なんですよ。あと、こんな「約束」もありますよね。
《殿がなくなられたあかつきには、拙者も切腹いたします》
「切腹」というものは、具体的にいつ消滅したんでしょう。いまでもあるんでしょうか。しかし、切腹は、「殿」を「守る」ことを必ずしも要求していないという点で、「騎士の誓い」とは違いますよね。
「ゆびきりげんまん~」、「騎士の誓い」、「切腹」……死と引き換えに(?)約束を守るという精神は、いったいどこからくるのでしょう。
約束をしたときと、約束を果たさなければならないときとのあいだに、たくさん時間は流れるだろうし、ひとの気分も変わるし、そのときどきで、わたしたちを取り囲む環境も違うので、約束なんて、どうなるかわからない――わたしは、そう考えちゃうんですけれど。だから、すごい覚悟だな……と思うばかりです。
――――――
わたしは、不確実なことを愛したいと思うんです。
《約束は破られるかもしれない――そして、結局、果たされなかった。しかし、果たされなかったことで、別のことができて、そこでいろんな発見をした》
約束が果たされても、果たされなくても、結局は、その時間になにかをすることになるので。だから「約束まもんないのなんでなん!」と一通り怒ってしまったら、(もしそのとき待ち合わせ場所にいたのなら)ちょっといつもとは違う道を歩いてみて、「こんなとこに、こんなお店があるんやな……こんどこよ」という発見をしてみるといいんじゃないでしょうか。
わたしはそうしています。しかし、ため息はでますよね。
――――――
この前、小学生のときに校庭に埋めたタイムカプセルをあけたらしくて、わたしの家に「将来の自分へのメッセージ」が代理人から届きました。気が進まないながら見てみると、こんなことが書かれてあったんです。
《英語の先生になっていますか?》
ごめん! なってない!
これは、約束ではなくメッセージなんですが、当時のわたしは、未来のわたしに英語の先生になってほしかったんかなあ。魅力的でやりがいのある仕事だと思うのですが、いまのわたしのしていることも、楽しいよ。周りから、それなんの役に立つんと思われているかもしれない研究も、創作も、楽しいよ。
――――――
最後に、未来のわたしから、当時のわたしへのメッセージを。
《これから先、めっちゃくちゃたいへんな人生が待っとるけど、生き続けたおかげで、一生をかけて、やりたいことができるから! とにかく生きとけ! あんたが生きていることだけで喜んでくれるひともおるし、支えてくれるひともいっぱいおるから――そんなみんなに、感謝しいや》
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