第5話 後編【真の竜は、猫の振りをしている】

「くそっ! まだ来るかっ!」


連戦に次ぐ連戦に、さしものアルドたちにも疲れが見え始めた。

その時、デュナリスの励声れいせいが響き渡る。


「みんな! 群れの終わりが見えたようだ!」


その声にいち早く反応したのは魔獣の兄妹。


「うわははは! いまが好機じゃああ!!」

「よーし! 一気にかたづけちゃうぞ!」


勝負どころと見て、ヴァレスとミュルスは魔獣形態をとった。

彼らは今までとは段違いのスピードで、魔物らを蹴散らし始める。

アルドとギルドナもその勢いに続いた。


「気を抜くなよ、アルド!」

「ああ! そっちこそな!」



---



「ハァッ! ……よし。あらかた片付けたか」

「みんな、大丈夫か!?」

「お兄ちゃん! いまのところ、みんな無事だよ!」


戦況はようやく落ち着き始めた。

まさにその時。


に一番初めに気付いたのは、一歩引いて場を俯瞰ふかんしていたディアドラだった。


「なんだ……? あの巨大な影は……?

 おい! まだ何かいるぞ!!」


「あ、あれは……!!」


一安心しかけたアルドの顔に、再び焦りが浮かぶ。


「まずい!! ローテ・リベレだ!!

 まさか、こんなやつまで……!」

「ふん。随分な大物が混ざっていたか」

「こいつには全員で当たらないと、歯が立たない……!!

 みんな、集まってくれ!!!」


散開していた勇者たちが、アルドの叫びに呼応して集まった。


彼らの前方に、大きな影がすぅと現れる。

後を追うように、巨体がゆったりと舞い降りた。

赫々かくかくたる魔物の姿は、その緩慢な動きとは裏腹に、あまりにも禍々まがまがしかった。


「お兄ちゃん……!」

「大丈夫だ!

 オレたちは、何度もこいつを倒したことがある……!」


言い聞かせるようなアルドの言葉は、一面では真実だ。

違いがあるとすれば、今回は明らかに準備不足のうえ、これほどまでに満身創痍で戦ったことはない、ということだった。

しかし、それはえて誰も言葉にはしない。


彼らの間で、いまにもひび割れそうなほど空気が張り詰める。


そしてついに、この戦いの中で、最も厳しい戦いの火蓋が切って落とされた。


――その一方で、当初の脅威であったヴュルガーの姿は、もはや村の中には見えなかった。


群れから遅れてやってきた、を除いて。



◆◆◆



ファビオは今までよりも一段と激しい音を耳にした。

やや遠くで、アルドたちが壮絶な戦いを繰り広げているのだろう。

その音はファビオの恐怖をあおるのに十分だった。


震える膝を何度おさえた頃だろうか。

突然、外から幼い少女の叫び声が聞こえた。


「きゃあああー!!」


体がびくんと震える。

歯の鳴りが止まらない。


だが。

彼の身体は動き出していた。

気づけば外に向かって駆けていた。


自分に何ができると思った訳でもない。

ただ、あの時を繰り返したくない、その想いだけで突き動かされていた。


声のあった方に真っ直ぐ走ると、巨大な鳥が魔獣の少女を追い詰めていた。


「あ、あ……」


少女は一本の木を背に、すくんで動けなくなっている。

勢い込んで来たものの、魔物を実際に目の当たりにして、ファビオにはすべがなかった。


「ど、どうしたら……」


辺りを見回し、思わず目についた足元の石を投げつける。

瞬間、魔物の興味が少年へ向いた。


「こ、こっちだ!! お前なんかにつかまらないぞ!!!」


ここぞとばかりに、ありったけの大声で叫んだ。

中空に羽ばたく魔物が、ぐるりと向きを変え、こちらに正対する。

ファビオはそこで初めて、自分が餌になったような気がした。


――途端に、頭が真っ白になった。


今まで自分が味わっていたのは、恐怖ではなかったのか。


恐怖とは――絶望、震え、冷や汗。

そんなものではなかったか。


これが本当の死の恐怖ならば――それは無だ。


やや遅れて、膝が笑う。


気付かず止まっていた呼吸が、激しく動き出す。


しかし足は動かない。


なんとか数歩だけ、後退あとずさりはしたものの、そこまでだった。


これ以上は、自分の力ではどうしようもない。


もう何も、この身体から出せるものはないと思った。


それでも振り絞れるものは、なにか――。


「だ、誰か……! 誰か助けて!!!!」


無為むいだと分かっていても叫んだ。


しかし、無情にも魔物は一直線にファビオへと飛びかかる。


ファビオの視界が、迫り来る魔物で埋まりかけた、その時。


「ウォオオオオ!!」という雄叫おたけびと同時に、前触れなく魔物が真っ二つに裂けた。


その向こうに見えたのは、まるで咆哮する竜――。

それは雄々おおしき叫びをあげた、アルドだった。


アルドはこちらを見るなり、駆け寄ってこようとする。

そのアルドの背から、もう一体の魔物が襲いかかろうとしているのがファビオの目に入った。


「あっ、あぶな……!」


その次の瞬間、ファビオに見えたのは紫色の閃光。

気づけば、あの魔物の巨躯きょくが、翼の付け根から易々と一刀両断されていた。


いびつな剣をたずさえたディアドラは、ゆっくりと歩みを寄せてくる。


「詰めが甘いぞ、アルド」


「あ、危なかった……。助かったよ、ディアドラ」


「まったく、お前のお人好しは度が過ぎる。

 人を救うのに全力なのは構わんが、

 それで私に助けられていたら世話がないだろう? なあ、英雄どの」


「うっ。そう言われると、立つ瀬がないな……」


トゲのある物言いに、苦い顔をするアルド。


「でも、なんだかんだ言ってディアドラは助けてくれただろ? ありがとうな」

「……チッ」


あっけらかんと答えるアルドに、ディアドラは小さく舌打ちする。


「フィーネが『助けを求める声がする』なんて言うから慌てたけど、間に合ってよかった。

 怪我はないかファビオ? それに、そっちの子も」


少女は腰が抜けて動けない素振りを見せたが、なんとか首を動かして肯定した。


「あ、アルドお兄ちゃん…………ありが……」


ファビオが礼を口にしかけた時、敵を片付けた様子のギルドナたちが歩いてきた。


「ふっ。誇り高き魔獣の里に襲いかかってくるなど、愚かにも程がある」

「がははは! まったくですわ、魔王様!」

「ギルドナ様! 超! 素敵でしたー♪」


ドスドスドスと地響きを立てて、大きなカブトのような頭部の魔獣と、凶悪なウサギのような魔獣がギルドナの脇を固めていた。


すると突然、二体の魔獣は光と共に姿を縮めた。


「えっ……? ええっ……?

 ……ミュルスお姉さん……?」


ファビオは初めて見る彼らの魔獣形態に、戸惑いを隠せなかった。


「あっ? ファビオくーん! こんなところまで来ちゃって! めっ!」

「ギルドナ! ローテ・リベレは片付いたのか?」

「当然だろう? 俺はただ、己の運命(さだめ)を切り拓いただけだ」

「それにしても、ギルドナ様かっこよかった!

 ファビオ君にも見せたかったな、あの決め技!」


ミュルスはファビオに向かって、ギルドナのことを滔々とうとうと語り続けた。


「――ね? ほんとに素敵でしょ!?

 あれ? どしたの?」

「……」

「ファビオくん、だいじょうぶ?」


心配したフィーネも声をかけたが、ファビオは押し黙っている。


「しまったな。怖い思いをさせちゃったか……ごめんな、ファビオ」


アルドもファビオの気持ちを推し量って謝った。


しかし実のところ、ファビオはミュルスたちの変身と、彼女の主への想いに圧倒されていただけだった。

その衝撃は、つい今しがたまで命の危機にひんしていたことを忘れるほどに。


そこへ、デュナリスが声をかける。


「みんな、安心してくれ。

 ブランに辺りを見てもらったけれど、もうあの魔物たちはいないようだよ」

「そうか! やったな!」

「でも、ちょっと村が荒らされちゃったね……。

 これから夜通しで片付けなきゃ。白夜びゃくやなのが不幸中の幸いかなあ」


疲れた素振りでぼやくアルテナ。


「子供もいることだし、アルドくんたちは一度、帰った方がいいんじゃないかな?」

「たしかにな。ファビオを送ったら、また様子を見に来るよ」


デュナリスの提案を受け入れ、アルドたちは帰り支度を進める。


「じゃ、またね~ファビオ君!」

「……」


ミュルスの挨拶にも、返す言葉が見つからないファビオ。

そこに、一人の少女が慌てて駆け寄ってきた。


「あ、あの……!」

「……え?」

「ありがとう!

 魔物からたすけてくれたとき、すごく心強かった!

 わたしの……勇者さま! ……またあそびに来る?」

「ッ!」


突然、自分に向かって思いもよらぬ言葉が放り投げられ、ファビオはなんとか返事をひねり出した。


「……考えとく」



◆◆◆



「レオノルド、ただいま!」

「おかえりなさい、皆さん!」

「……ただいま」

「……? どうしたんだい? ファビオ」

「ごめん、レオノルド。実はさ――」


いぶかるレオノルドに向かって謝るアルド。


「そうですか……魔物の襲撃が……」

「ごめんなさい……レオノルドさん、ファビオくん」


重ねて謝るフィーネに、ディアドラが続ける。


「申し訳なかった。提案したのは私だ。

 まさか、あんなことになるとはな……。

 しかし……」

「ああ、魔獣たちの姿は見てもらえたと思うんだ」


さらに補うようにアルドが問いかける。


「どうだ? あれを見ても、まだ全ての魔獣を滅ぼしたいって思うか?」

「……」

「ファビオの両親だって、そんなことは望んでないはず……」

「!!」


アルドの迂闊うかつな言葉に、ファビオの中でくすぶっていた火花が弾けた。


「アルド兄ちゃんも! 他の大人と同じことを言うのかよ!

 そんなこと分からないだろ! 会ったこともないくせに!

 もういない人が何を考えるかなんて! だれにも分かるワケないんだ!!」


ファビオはいま初めて、自分が何に引っかかっているのか、言葉にできた気がした。

一方で、せきを切ったようにまくし立てたファビオの勢いに、アルドは圧倒された。


「うっ! 確かに……そうかもしれないな……。

 いなくなった人の気持ちは、もう分からないか……」


アルドは何かに思いをせるように続ける。


「オレも、いなくなった人の想いを勝手に想像して、その人を救うって言って勝手に行動して……。でも……」


考え込んだように見えたアルドの瞳は、真正面からファビオを捉えた。


「……ああ、分かったよ。ファビオ」

「……なにがさ?」

「望んでるのはオレだ」

「えっ?」

「オレが、ファビオにそんなことして欲しくないんだ」

「!!」

「オレにも、自分のやってることが正しいかどうかなんて、分からない。

 いや、きっと……誰にも。

 でも、自分の仲間が、大切な人達が、オレを応援したり、助けたりしてくれる。

 オレはそうやって、みんなに救われてるんだ」

「救われてる……?」

「ああ。ファビオの大切な人は、ファビオのやりたいことを、応援してくれてるか?」

「それは……! でも……!

 ボクがやらなかったら、だれがボクの両親を……!」

「それがファビオの本当にやりたいことなら、オレは何も言えないかもな……。

 でも、きっとそうじゃないだろ?」

「ボ、ボクは……」


言葉に詰まったファビオにフィーネが語りかける。


「ファビオくんは、画家になりたいんじゃないかな?」

「なっ! なんでそれを……!!」

「だって、わたしたちが最初に来たとき、パレットの絵の具が乾いていなかったもの。

 きっと、いつも描いてるんじゃないかなって思ったんだ」

「……。

 ……ただの画家じゃないよ」

「えっ?」

「ボクは……世界一の画家になりたいんだ!

 ボクが有名になれば、お父さんもすごい画家だったって、みんなに知ってもらえるかもしれないでしょ……だから……!」

「世界一の画家か……すごいな。

 そんな夢なら、オレは応援したいぞ」

「でも! 画家をめざしたって、いつ魔獣がおそってきて殺されるか分からないじゃないか!

 だから……自分の夢は、自分で守らなきゃ……!」

「ファビオ……」


かける言葉を失った兄妹の想いをいだのは、ディアドラだった。


「それは、私たちに任せてくれないか?」

「ディアドラお姉さん……」

「お前のような者の夢を守るために、私たち騎士がいる」

「お姉さんが強いのは分かったよ……。でも、騎士がいたって、ユニガンはおそわれた……」

「ああ……その通りだ」

「……」

「だが、ミグランスの騎士は信じてもらうことしか、できん」

「だからそんなことできるわけ……!」


叫びかけたファビオを制して、ディアドラは彼を真っ直ぐに見据えて言った。


「その代わり、私は、お前を信じよう」

「えっ?」

「世界一の画家になるという、お前の夢を」

「!!」

「だから、お前ももう一度だけ信じてくれないだろうか?

 私と、私の信じる人たちのことを……」

「そ、そんなの……」

「オレは、ディアドラもファビオも信じるよ!」

「わたしも!」

「うっ……ううっ……」


彼らの言葉に、こらえ切れなくなったファビオの目から涙があふれた。


「そんなの……そんなの……ずるいよ…………う、うわあぁーーーん!!!



---



一頻ひとしきり泣き叫び、落ちつきはじめたファビオに、レオノルドがゆっくりと話しかけた。


「僕は自分の力不足が情けないよ……。

 ファビオ、なにかキミにしてやれることはないかい?」

「レオおじさん……」


考える素振りを見せたファビオが思い付いたように話し始める。


「ボクさ、やっぱり勇者を目指そうと思う」

「ええっ!? 話が違うぞ!」


ファビオの言葉にアルドは戸惑った。


「ちがわないよ。そのためには、お父さんの教えどおり、形から入ろうと思うんだ」

「今さらそんなこと言われてもな……オーガベインはあげられないけど……」

「そんな剣なんていらないよ!」

「そ、そんな剣……」

「ボク、ねこが飼いたいんだ!」

「ねこ?」

「うん。ボク分かったんだ。

 勇者っていうのは、よわいだれかを助ける、やさしいヒトのことなんだ、って。

 アルド兄ちゃんも、きりゅうさんにしゅほうさんも……あの魔王だって!

 みんな強くて、だれかを助けて……それに、ねこに好かれてるでしょ?」

「ああ、まあ……そう言えなくもないかな?」

「だからさ、勇者になるにはねこが必要なんだ!」

「ちょっと飛躍してる気がするけど……ファビオがそれでいいならオレは構わないよ。

 だけど、勇者になるなら、本当は剣が習いたかったんじゃないのか?」

「うん。でもボク、みんなを見てさ。

 それに、あの子に言われて……分かったんだ」

「えっ?」

「剣がなくても勇者にはなれるって。

 勇者ってのは、だれかをころすために生きるんじゃなくて、だれかを生かすために生きる人なんじゃないかなって」

「なるほどな……」

「だから、まずは身近から、ねこいっぴきを幸せにするところからはじめてみようかなって」

「それは、いい考え方だな。オレは好きだよ」

「へへっ、そうでしょ?

 だからレオおじさんにお願いしたいことは他にあるんだよね……」


突然、名を呼ばれたレオノルドは驚いて問う。


「え?」

「そう、絵だよ!」


意を決したように大きく息を継いだファビオは、レオノルドに向かって大きな声で言い放った。


「レオおじさん! ボクに絵を教えてください!」

 ボク、父さんみたいな、立ぱな絵かきになりたいんだ!

 それでお金をかせいで、ねこも、みんなも、幸せにできるようになりたい!」

「ファビオ……!!

 もちろんだよ!

 きっと、お父さんも喜んでくれるはず……」


そこまで言い掛けたレオノルドは、言葉を止めて言い直す。


「……いや。

 なによりも、僕が嬉しいよ!!」

「……うん!」

「よかったな! オレも応援するよ!」

「アルド兄ちゃんもありがとう!」

「にゃー」

「ははっ! ヴァルヲも応援してくれるみたいだな!」

「へへへっ!」


安堵した様子を見せたファビオは、ひとつ、忘れていたことを思い出す。


「あ、アルド兄ちゃん」

「ん、どうした?」

「ボク、アルド兄ちゃんに助けてもらって、なんのおかえしもできないな……」

「そんなこと、子供は気にしなくてもいいと思うけど……」

「それじゃボクの気がすまないよ!

 それに、一人前のオトコならちゃんと借りはかえすものなんだろ?」

「ああ、たしかに主砲がそんなことを言ってたっけ……」


「だからさ、お礼になるかは分からないけど。

 いつかボクが、ちゃんとした絵を描けるようになったら……」











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