第4話 後編【貴様の顔は猫に引っ掻かれるのがお似合いだ】

「随分と、唐突な訪問だな」


その金髪の魔獣は、ぶっきらぼうに言った。


「悪いな、ギルドナ。お邪魔するよ」


アルド一行は、案内のミュルスに続いて、この村の長の家に入った。


家の中は、ファビオが想像していたよりは広く、家財道具もそれなりに充実しているように見えた。


「ここが家……」

「ふふふ。魔獣の住居に来るのは初めてですか?」


独り言に反応されたこと、そして見知らぬ魔獣の青年にいきなり話し掛けられたことで、少年は驚きに体が強張こわばった。


「あっ、ヴァレスちゃん。その子、ファビオ君!

 あたしが驚かせちゃったから、優しくしてあげてね」

「ふむ。まったく貴女は……仕方ありませんね」


少年の方へ改めて向き直ると、眼鏡を掛けた銀髪の男は、優雅に挨拶をする。


「初めまして、私はヴァレス。ミュルスの双子の兄です。

 そして此方こちらにおわす、魔王様の右腕に御座ございます。どうぞお見知り置きを」


そう言って青年は柔らかく微笑む。


「ま、魔王って……じゃあ、この……ヒトが?」


ファビオは、目の前の朴訥ぼくとつな魔獣の青年と、御伽噺おとぎばなしに聞く邪悪な魔王が結び付かず、困惑を受け止めきれなかった。


「俺がギルドナだ。何やら珍しい顔もいるようだが……」


ギルドナに目を向けられたディアドラはわずかに眉をひそめ、しかし、何を物言うこともなかった。

それを見て取ったギルドナは、アルドに言葉を続ける。


「俺も暇ではないが、今日はいったい何用だ? アルド」

「うーん。なんて言ったらいいかな。

 この子、ファビオとさ、仲良くしてやってくれないか?」

「仲良く……?」

「ああ、なんか、話を聞かせてもらったり、なんなら一緒に遊んだりとか……」

「……」


ギルドナは僅かな沈黙の後、こう答えた。


「駄目だ」

「ええっ!?」


断られるとは露ほども思っていなかったアルドは慌てふためいた。


「オレたちはこれから夕食の時間だ。

 まずはお前たちも、一緒に食べていくといい。用があるなら、その後だ」

「ああ、なんだ。そういう意味か。

 びっくりしたよ。食事時を邪魔しちゃって悪かったな」

「構わん。どうせいつも、皆が多めに差し入れてくれるのだ。

 それに……」


魔王は目を閉じ、口の端を僅かに吊り上げて、こう続けた。


「食事は、人数が多い方が美味い」

「ははっ! そのとおりだな!」



---



「はーい! お待たせー!」

「アルテナ! ありがとう!」


フィーネにアルテナと呼ばれた赤毛の魔獣の少女は、両手に大きな鍋を抱えて入って来た。


「コニウム名産、ドルゲ・ラ・ボーラだよ!」


イノブタのスープで満たされた鍋からは、濃厚な肉と野菜、そしてスパイスの香りが漂い、決して広くはない住居の中にあっという間に芳醇な匂いが充満した。


「わたしもごはん持って来たんだ!

 はい!フィーネ特製サンドイッチ! 合成人間風だよ!」


「合成人間風……?」

「なんかね、鬼竜さんのキッチンにあった、ピリピリからから〜なソースを使ってるの!

 ファビオくんは、からいの大丈夫?」

「えっ、あ、うん。たぶんだいじょうぶ、かな」


他所事よそごとを気にしていた様子の少年は、出し抜けに声を掛けられ、うわの空で返事を返した。


「キツそうだったら、無理しないでね。このスープと一緒に食べるといいよ」


赤毛の少女がそう言いながら、ファビオにスープを盛った器を渡す。


「あ、ありがとう……」

「そっちのお皿にある葉っぱでお肉を巻いて、スープと一緒に頬張ほおばるのがオススメだよ!」


アルテナはそう言って、大皿に盛られた葉菜ようさいを指し示す。


今までに見たことのない料理と食材に、ファビオは目が泳ぐ。

それより何より、自分が、魔獣たちと同じ食事を食べていいものか判断に困っていた。


それをいぶかしげに見ていた魔王が、唐突に声を発した。


「どうした? 腹が減っていないワケではあるまい?」

「……っ!」

「兄さん、脅かしちゃダメだよ。

 人間の子供がいきなり魔獣の村に来たら緊張するって」


無遠慮なギルドナの言葉に、アルテナがたしなめ、ミュルスが言葉を添える。


「ギルドナ様。この子は両親を先の戦いで……」

「……そうか」


それを聞いたギルドナは、誰にも気づかれないほどの刹那せつな、僅かに表情を変えたようにも見えた。

しかし、それはまるで気の所為せいであったかのように、少年へと言葉を続ける。


「安心しろ。この村は元々、穏健派が集まって出来た村だ。

 その上、今の俺は人間との共存を標榜ひょうぼうしている」

「……え?」

「つまりー、みんな仲良くしよーってことね」と、ミュルスが付け加える。

「……魔獣が、人間と?」


少年にとって、彼が何を言っているのか分からないのは、言葉遣いの所為せいだけではなかった。


コニウムに来る前、フィーネに魔獣が親友だと言われた時は、どこか現実味のない話に思えていた。

しかし、実際にコニウムの魔獣たちを眼前にして、彼らは先の戦で目の当たりにしたけだものたちとは別の生き物なのでは、という思いが生まれ始めていた。


「ほら、ファビオ君! あったかいうちに食べよ!」


不意に銀髪の少女がそう促す。

考えることに意識を割いていた少年は、先程までの躊躇ちゅうちょを忘れ、ごく自然にその夕餉ゆうげを口に運ぶ。

温かなスープと溢れ出る肉汁。

ファビオは、滋養に富んだその一口に刺激され、まるで食べ始める前よりも空腹になったかのように、一心不乱に食べ続けた。


「いやー、よく食べるねえ」

「子供は食べるのが仕事だろう」

「ふふっ。確かにそうだね、兄さん」


我を忘れて食べるファビオの耳に、魔獣の兄妹の会話が入って来る。

彼らの食事、話題、そしてそれを取り巻く人々の営み。

全てが、少年の良く知る、身近な人間たちと変わらない。


そう自分が思っていることに、いつしか不思議さすら忘れていた。



---



「はー、お腹いっぱい!」

「じゃあギルドナ、さっきの続きなんだけど……」

「ああ、何か聞きに来たのだったか?」

「あれ? 兄さん、食後は村の子供たちと約束してなかった?」

「ムッ。そうだったな。失念していた」


彼らのやり取りを聞いた少年は、思わず疑問を口にする。


「えっ、もう夜じゃないの? さっきのは晩ごはんでしょ?」

「ふっふっふ。今の時期ねえ、蛇骨島はなんと、陽がほとんど沈まないんだよー」

「だから夕餉ゆうげの後も村民が集まって、歌を歌ったり、ダンスをしたり。子供たちもその周りで遊ぶのですよ」


魔獣の兄妹は、穏やかな笑みをたたえて説示せつじする。

その会話を耳にして、何か思いついた様子のギルドナは、とみに少年へ声を掛ける。


「よし。ファビオとやら、一緒に来い」

「えっ!?」


ファビオは、魔獣たちに慣れてきてはいた。

しかし、この射るような眼差しを持った魔王と名乗る青年に対しては、如何いかにしても正面から捉えられず、当惑していた。


「じゃあ、ミュルスお姉さんと一緒に行こっ!」

「あっ」


溌溂はつらつとした魔獣の少女が、にわかに少年の手を取り家の外に飛び出した。

それを追うように、ギルドナやアルド、ディアドラたちも屋外へ出る。


「あっ。もー、みんなしょうがないなあ。

 アルテナ、わたしも片付け手伝うよー」

「ありがとうフィーネ!

 じゃ、そっちのお皿お願いね。洗い場に行こ!」


残された者たちも銘々が散ってゆく。


後に残されたのは銀髪の魔獣がひとり。


「……ふむ。これは、丁度良いかもしれませんね」


穏やかにただずむ彼はひとり、その眼、いや眼鏡を鋭く光らせていた。




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