第3話 後編【猫が腹を見せた時が、お前の最期だ】

「まおうって、あの魔王? おとぎ話でしか聞いたことないや。

 そんなやつホントウにいるの?」

「ああ、私が最近、事情通から仕入れた話によれば、今の魔王とは、あの魔獣王の上位存在らしい」

「じょういそんざい?」

「格上。――つまり、魔獣王よりはるかに凄いという意味だ」

「ええっ!? あ、あの魔獣王よりすごい……? そ、そんなやつが……」


少年は、何かを思い出す風に、恐れおののいている様子を見せたが、気丈にもディアドラに問いを返す。


「で、でも、そんなやつ見に行って、いったいどうするのさ」

「決まっている。敵情視察、つまり、情報収集さ」

「じょうほう?」

「そうだ。私は幼い頃より幾多の戦場を駆け抜けて来た。

 が、共に戦った味方で、今も生き残っている者は、ほんの一握りだ」

「!!」

「そんな時、生死を分けたのは、情報の有無だ。

 敵の襲撃が分かれば引く、からが分かればそこを攻める。

 生き抜く為に必要だったのは、迅速、且つ正確な情報だった」

「……。

 そんなこと……ボクに言われたって……」

「お前は英雄らんとするのではなかったのか?

 何も情報のない相手に向かって戦いを挑むのか?

 私はお前の言う、役立たずの騎士に過ぎん。

 しかし、そんな私ですら、魔王に逢うこと程度、微塵みじんも怖いとは思わんが、な……」


ディアドラは、一気呵成いっきかせいに畳み掛け、最後には少年をわざとらしく見下ろしながら、こう言った。


所詮しょせん、口ばかりという訳か」

「ッ!!」


今し方、ろしたばかりの相手から、思いがけずにおのが臆病さを持ち出され、少年は反射的に吠えた。


「こ、怖くなんてないさ!

 い、いいよ! そこまで言うなら、行ってやる!!」



---



「なんか、とんでもない話になっちゃったな……」

「ア、アルドさん。大丈夫なんです?」

「ああ、レオノルド。蛇骨島はちょっと遠いけど合成鬼竜ならひとっ飛びだし」

「ひとっ飛び?

 ……あ、いえ。移動手段というより、安全面の心配といいますか……」


恩人であるアルドへの信を疑うようで確かめ辛く、しかし、ファビオの保護者らしくあろうとして言葉を濁すレオノルド。

その様子を見て取って、アルドはほがらかな笑顔でいることを務めた。


「ははっ。そういう意味なら、なんの問題もないよ。魔獣たちの村はのどかだから、人の多いユニガンより安全じゃないかな」

「ええっ? そういうものなんです?」

「ああ。村の外には魔物もいるけど、そこはオレ達に任せてくれ」

「アルドさんがそう言われるなら、分かりました。

 ファビオのこと、どうかよろしくお願いします!」


話がまとまりつつある時、しばらく口を挟まなかったフィーネが、おもむろに、一人で黙りこくっている少年に声を掛けた。


「ファビオくん」

「なに……?」


少年は納得して大人しくなった訳ではない。

そのことをフィーネは理解していた。


「やっぱり、怖い?」

「だ、だから怖くなんて……!」

「ううん。わたしも同じだったから分かるよ。緊張するよね」

「……!」


『ほかの大人とはちがう。この人には、うまくぶつかれない』

ファビオは、そんな思いを抱いた。


この、自分よりわずかに年長の少女もまた、あの猫のようにとらどころのない兄とは、また別の雰囲気を持っている。

言葉にこそ出来なかったが、まだ削られきっていない少年の感性は、その差を鋭敏に感じ取っていた。


「あのね。実はわたしの親友は、魔獣なの」

「ええっ!? お姉ちゃんは……ボクの両親をころしたやつらの仲間なの……?」

「……。コニウムに住んでる魔獣は、みんな、わたしの大切なお友だち。

 実際に会ってみたら、いろんなことが分かると思うんだ」

「そんなこと言って、ボクを魔獣のエサにでもするつもりなんじゃ……」


「ふふっ。そんなことにはならないよ。

 じゃあ、ひとつ。約束してあげる」

「やくそく?」

「もしファビオくんが食べられそうになったら……」


フィーネはおどけた顔を作って、こう続けた。


「わたしも一緒に食べられてあげる!」

「え、ええーっ!?

 そんなの、うれしくないよ!!」



◆◆◆



「すっ、すげえーーー!!!」


甲板に立ったファビオは、大声を張り上げ、目を見開いた。

まるで嵐のような烈風が、少年の端整に切り揃えられた髪を掻き乱し、柔らかなほほを押し伸ばす。

しかし、興奮した様子の少年は、それらを気にする素振りは全く見せない。


「いつもは見上げてるミグランスのおしろが、あんな下に見えるよ!!」

「おうおうおう! 乗り心地はどうだ!? 小僧!」

「!? たいほうがしゃべった!?」

「おうともよ! この真っ青なお空に轟くディメンショナル・カノン!

 次元戦艦の主砲たぁ、俺サマのことよ!!」

「な、なに言ってるか分かんないけど……すげえーーー!!」

「そうだろう! そうだろう!」


先程まで、物憂げな顔を変えなかった少年の、年相応な態度を見て、アルドはようやく人心地ひとごこちが付いた。

そんなアルドに話しかける人影、もとい、機影があった。


「アルド。今日はこの俺を、遠足の観光バスにでもする気か?」

「えっ、いや。その、なんていうか……」


合成鬼竜の不機嫌そうな言葉に、答えを中空に探す。


「えーと……」


流れ行く雲の裂け目を見つめていたアルドは、何か思い付いたような素振りで答える。


「そう、あれだ!  一人の男の……人生! そう、人生がかかってるんだ」

「なんだと?」

「ヒィーーーーッハーーー!!

 オトコの人生と言われて手を貸さなきゃ、こっちのオトコがすたるってもんよ!!!

 なあ!? 鬼竜のダンナ!」

「……ふん。事情は分からんが、そういうことなら仕方ないか……。

 まあ、蛇骨島程度の距離ならあっという間だ」

「悪いな、合成鬼竜。助かるよ!」


つい先程まではしゃいでいた少年は、今まで聞いたことの無い様な、風変わりな言葉遣いが気になった。


「ねえ。しゅ、しゅほう? さん?」

「あぁん? どうした!? なんかぶちかますか!?」

「ぶ、ぶちかます!?

 う、ううん。そうじゃなくて……。

 オトコっていうのはなに? 男の人とは違うの?」

「なんでぇ! そんなことか! オトコってーのはな……」


「猫に優しいヤツのことだ!」

「ええっ? 猫に?」

「ほれあそこを見ろ! アルドにはいっつも猫がくっ付いてあるってるだろう!」

「ホ、ホントだ……いつの間に……」


一体いつから居たか、見ればアルドの足元には、この強風を物ともせず、穏やかにうずくまる黒猫がいた。


「漢の中の漢の艦、鬼竜のダンナにも、よく猫が懐いてやがる!」

「へええ……」

「漢ってのは、ただ強いだけじゃーいけねえ!

 自分よりか弱いヤツを守ろうっていうハートが要るんだよ!」

「ハ、ハートかあ……」


「それからもうひとつ!」

「まだあるの?」

「仁義ってーのは知ってるか!? 小僧!」

「じんぎ?」

「受けた借りはきっちり返す! ってことだ!」

「はあ……」

「わからねえか!? ヒトってーのはな、一人だけじゃあ生きられねえ!

 ヒトとヒトの間で生きるもんよ! ヒト同士のマナーを守らなきゃいけねー!!」 

「ヒト……? しゅほうさんって、人間だったの……?」

「おおっと! そいつは聞いてくれるな、子猫ちゃん、ってぇヤツよ!! ヒィーーーッハーーー!!」

「や、やっぱりよく分かんない……けど……」


「うけた借りを、かえす……。だれに? なにを……?」


蛇骨島に近づくに連れ、次第に傾く陽の光に目を細めた少年は、先程までの興奮を忘れ、物思いに沈んでいった。


---


一方、デッキの端で、一人、眼下の海を眺める女騎士に、黒髪の青年が話し掛ける。


「なあ、ディアドラ」

「アルドか。どうした?」


一瞬、そちらに首を向けたディアドラは、答えて再び水平の彼方へ目を戻す。


「さっきさ。ユニガンが襲撃にあったとき、自分はまだ正式な騎士じゃなくて、傭兵だったって、なんで言わなかったんだ?」

「そんなこと、あの少年には関係ないだろう」

「そりゃあ、そうかもしれないけど……。

 ディアドラに、責任はないんじゃないかって思ってさ」


そう言われたディアドラは、青年の方に向き直って言葉を返した。


「アルド。

 お前も知っての通り、私は副官として姉さんを支えると誓った。

 しかしそれは、姉さん一人だけを助けるという、言葉通りの意味じゃない」

「えっ? どういうことだ?」


陽を背にしたディアドラの表情は、暗くかげって見える。


「つまり……。

 姉さんだけではなく、姉さんの護りたいもの全て、私が支えるという意味だ。

 それはミグランス騎士団であり、ミグランス王家でもあり、延いてはミグランスの民草のことでもある」


「アナベルの護りたいもの全て……」


「あの少年を姉さんが見れば、騎士として救おうとするだろう。

 だから、私はあの少年の前では、ミグランスの騎士であるべきなんだ。

 時に望みもしない騎士の威を借りもするし、いわれなき誹謗ひぼうであろうが受け入れる。

 それが、私の誓いであり――覚悟だ」

「なんだかすごくかっこいいぞ、ディアドラ……」

「そう見えるなら光栄だ。

 なにせ、騎士様は恰好いいのも仕事らしいからな」


いびつ欄干らんかんもたれたディアドラは、両のてのひらを天に向けて、皮肉めいた笑いを見せる。


「そ、そうだったのか!?」

「はは、受け売りの冗談さ。真に受けてくれるな」


そんな会話を交わしていた甲板の二人に、エレベーターから出て来た人影が声を掛ける。


「お兄ちゃーん、ディアドラさーん」

「あれっ? フィーネ、今までどこにいたんだ?」

「へへーん、ちょっとね!

 艦内の合成人間さんと、サンドイッチを作ってたの!」

「ああ、合成人間メディックと一緒だったのか」

「うん! アルテナたちへのお土産だよ!」

「そりゃあ、いいアイデアだな。

 おっ。ちょうど、蛇骨島が見えて来たぞ! おーい! ファビオ!!」


アルドの声が耳に入ったか、少々距離を空けていたファビオも、その存在に気付く。


「すごい……なにあれ……」


一行の目に、黄金こがね色の陽光と共に飛び込んで来たのは、茫洋ぼうようたる大海原に浮かぶ、竜の形をした絶海の小島。

これが、魔獣たちの住まう、蛇骨島である。




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