第3話

第3話 前編【猫に煮干しを、嫁には花束を】

家の中では、一人の子供がと椅子に腰掛けていた。


彼の周りには、完成された絵だけでなく、描きかけの絵や使いかけの筆といった画材道具が、所狭ところせましと散乱している。


「ただいま、ファビオ」

「おかえりなさ……?」


ファビオと呼ばれた少年は、やおらに立ち上がりながら玄関の方を振り向いた。

年の頃は10を少し過ぎたばかりだろうか。

濃紺色の艶やかな髪が、乱れなく切り揃えられている。


「……レオおじさん。今度はだれをつれてきたのさ?」


彼はまだ幼さの残るあどけない顔に、諦念ていねんのような表情を浮かべた。


「ふっふっふ。聞いて驚け。なんとあの――

 ユニガンを恐ろしい魔獣たちの手から救った、英雄アルドさんだ!」

「ええっ!?」


そう聞かされた少年は、アルドたちの顔を、めつすがめつ眺め出した。


「うーん、あんまりすごい人たちには見えないけど……ホンモノなの?」

「別に、英雄ってワケじゃないんだけどな……。オレがアルドだよ」

「ふ、ふーん。

 そっちのお姉さんたちは?」

「わたしは、アルドお兄ちゃんの妹のフィーネだよ!」

「私はディアドラ。騎士だ」

「きし……?

 ユニガンを守れなかった、やく立たずの……?」

「……ッ!」


「こ、こら! 失礼なことを言うんじゃない!

 この方たちは、君のことを心配してわざわざ街外れまで訪ねてきてくださったんだぞ!」

「ふんっ! ボクがたのんだわけじゃないやい!」


レオノルドのやや強めの説教に、多感な年頃の少年は激しい剣幕で返した。


しかし、郷里きょうりで子供たちに接する機会の多かったアルドは、この程度の反発は意に介さない。


「まあ、そうつんけんするなよ。オレたちはさ、何かちからになれないかと思って来たんだ」

「……」

「ファビオくんは、勇者になりたいんだって?」

「うっ……うん……」


フィーネに話しかけられた途端、先程までの勢いはどこへやら、少年は消沈したような雰囲気を垣間かいま見せた。

その様子にフィーネはわずかに怪訝けげんな心持ちを抱いたが、それを表に出すことはなかった。


「うーん。でも、勇者になるのと、魔獣を根絶やしにするのは、全然違うことだと思うんだけどな」


アルドがそう主張すると、少年は打って変わって気色ばむ。


「違わないだろ! お兄ちゃんだって魔獣王をやっつけて英雄って呼ばれてるんじゃないか!」

「それは、まあ、そうなんだけど……」

「だったら、お兄ちゃんがボクのかわりに魔獣をほろぼしてよ!」


「……。

 確かにオレは、大切な人を救うために、その大切な人自身と戦ったこともある。

 けど、それはあくまで救うためだ。

 魔獣たちを滅ぼすために戦うのは、違うと思うな」

「なんでさ! ユニガンまでせめて来て、まちをもやして!

 ボクのお父さんとお母さんまでころしたやつらなのに……!」

「……」


「もういいよ! お兄ちゃんが戦ってくれないなら……そのおっきな剣をちょうだい!」

「おっきな剣……? それってまさか、オーガベインのことか!?」

「魔獣とたたかわない人に、そんな立ぱな剣、いらないでしょ!」


「い、いや……。この剣はだいぶクセが強いからオススメできないっていうか……そもそもオレにしか使えないっていうか……。

 それより、なんでいきなり剣を?」

「勇者といえば剣でしょ!

 父さんが、まずはなんでも形から入ってみろって言ってたんだ!」


「そうか、お父さんの教えか……。それは確かに、大事なことかもしれないな。

 でもさ。例えばこの剣一本を使えたとして、いったいどうする気だ?」

「そりゃ、勇者ってよばれるくらい強くなれば、魔獣をぜんぶ、たおせるだろ!

 お兄ちゃんがボクをつよくしてよ!」

「うーん。いくら強くなっても、一人で魔獣全部を相手にってのは流石に無理があると思うけど……」


そこまで口にしたアルドの脳裏に、かつ相見あいまみえた、異なる時層の女騎士の姿がよぎり、かぶりを振って思い直した。


「……いや。いずれにしろ、そんな気持ちのやつに、この剣はあげられないし、剣を教えてやることもできないな」

「へっ、どうせホントウは弱いのが、バレちゃうのが怖いんだろ」

「俺より強い人はいっぱいいるし、そんなことは気にならないよ。

 でも、勇者ってのは、誰かを倒すためになるものじゃ、ないと思うな」

「なんでさ! じゃあお兄ちゃんの言う勇者って、いったいなんなんだよ!?」


「うーん、勇者っていうのは……みんなの困ってることを解決したり、人知れず世界を救ったり……?」


考えを巡らせるアルドの頭に、ある赤毛の冒険者のけな笑顔がよぎった。


「いやいや。こんな時に思い浮かべちゃいけない顔が浮かんだぞ……」


(ヴィクトくらいになれば、あちこちで勇者なんて呼ばれてそうだけど……。

 たぶん、この子の参考にはならない気がする……)


「……?」

「い、いや、えーと、うーん……」


少年のいぶかしげな視線に、言葉に詰まるアルド。

そこに、たまらずディアドラが助け舟を出した。


「その前提で言えば、私は、この男は紛れもなく勇者だとは思うがな……」

「そんなこと言われたって……。

 たとえ世界を救ったって、ボクを助けてくれない勇者なんて、いみがないよ!」


「ふむ……」

この子供は、かつての自分と同じ、ある呪縛にとらわれている。その思いは、無理に押さえつけても、逆に助長しても、いい結果は生まれない。

ディアドラはそのことを誰よりも、本当に嫌という程、知っていた。


ファビオは、先程、全ての魔獣を滅すること、いてはそれが可能な勇者になることが望みだと口にした。

しかし、そんなものは真実ではない。

幼い子供私たちの願いが、そんなものであっていいはずがない。


もしもあの時、私に、あの女に、一体如何いかな出逢いがあれば、あの呪いが解けたのだろうか。

呪われた魔剣の力ではなく、孤高と復讐の狂気でもない……。


思考の迷宮の中、不意にひとつの光明こうみょうが見えたディアドラは、こといだ。


「お前の理想の勇者がどこにいるか、私は知らん」


出し抜けに突き放したような彼女の言葉に、少年は顔をしかめた。


「が、ひとつ。ヒントになりそうな心当たりがあるな」

「えっ?」

「勇者と対になる存在……魔王にでも逢いに行くか?」

「ま、まおう!?」


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