第2話 後編【それでも猫は眠っている】

「ディアドラ!?」

「ディアドラさん!?」


喫驚きっきょうした兄妹は、思わず声を重ねた。

その姿は、正真正銘、血の繋がった家族の姿である。


少なくとも、その場にいたレオノルドにはそう見えた。


「なんだって、こんなところにいるんだ?」

「ふん。ミグランスの騎士は皆、王宮と、この宿を往復する小間使こまづかいでな」

「ああ、そっか~。

 大変ですね! ご苦労さまです!」


ディアドラは自虐めいたつもりだったが、フィーネの無邪気なねぎらいにあっさりとなされ、少しだけ肩の力が抜けた。


「あの……こちらは?」と問うレオノルドに、アルドが答える。


「ああ、今はアナベルの副官をやってる……ぐぇっ」

「余計なことは言わなくていい、アルド」


ディアドラの、時に魔獣の攻撃をも弾くほど堅い籠手こてで脇を小突こづかれたアルドは、ひとかけらの空気と情けない声を同時に吐き出した。


「お兄ちゃん大丈夫……? でも今のは良くないよ。

 未来ではそういうの、デリカシーがない、って言うんだって」


フィーネは、痛みにあえぐアルドに一応の心配はしつつ、悠然ゆうぜんたしなめている。


「いてて……。でりかしい……? 未来では?」

「うん! レンリさんたちが、よくそんな愚痴をこぼしてるから、覚えちゃった! えへへっ」


兄妹がそんな寸劇すんげきわしている間に、レオノルドたちの話は進んでいた。


「え、えーと、アナベル……? それってもしや、あの聖騎士アナベル様のことで……?」

「それは忘れろ。私はディアドラという。王宮の第一騎士団に所属している、一介の騎士だ」


彼女の直截ちょくさいな物言いは、その性格の所為せいだけではなかった。


見た目には全く現れていないが、その心は今しがた耳にした、呪縛のような言霊ことだまに追い立てられていた。

その焦りから、矢継やつばやに紡がれた言葉は、最早もはや詰問きつもんのようですらある。


「それで、全ての魔獣を根絶やしにする、だと?」

「え、ええ。友人夫妻は先の魔獣たちの襲撃で二人とも……。

 それで恐らく、あの子は両親の仇を討つつもりなのではないかと」

「……」


最初こそディアドラの勢いに気圧けおされた青年は、次第に平静を取り戻しつつ、説明を続けた。


「私も何度も説得しているのですが、聞く耳を持ってはもらえず……。

 そこで、実際に勇者とも英雄とも言われるアルドさんの言葉なら受け入れてくれるんじゃないかと……!」

「……そうか」


静かに歯噛はがみしたディアドラの目線は遠く、何かに思いをせているようにも見えた。


「ディアドラ、大丈夫か?」

「……ああ。問題ない」


たまり兼ねたアルドが問うも、彼女の返事はどこかうわの空だ。


「やはり人は皆、同じような闇にとらわれてしまうものなのか……?」


そうひとちた女騎士は、誰に気付かれることもなく、決意を胸に秘めた。


「私を、その子供のところに案内しろ」

「えっ? 騎士様をですか?」

「なに、心配は無用だ。

 なにせこの、王家公認のたぶらかし勇者の付き添いとして、だからな」


普段はあまり表情の見えないディアドラだが、今だけは明らかに口元を緩めている。

挑戦的な言葉を受けたアルドは、しかし、彼女にとって意外な追い風を吹かせた。


「ああ、安心してくれ。オレが保証するよ。

 こう見えてディアドラは、面倒見が良くて優しいんだ」

「貴様……」

「本当のことじゃないか。

 それと。たぶらかしは余計だからな」


そう言って、アルドは少し、彼にしては珍しく、ムスッとした表情を見せた。


昼行燈ひるあんどんのように見えて、言うことはきっちり言ってくるのが全く小憎こにくらしい。

思いがけぬ反撃にあったディアドラは、しかし、心の内でほくそ笑んでいた。


「お兄ちゃん、わたしも役に立てるかな?」

「ああ、オレはフィーネがいてくれた方が心強いよ」

「じゃあ、わたしも行きます! いいですか? レオノルドさん」

「はい、もちろんです。では早速お願いできますか」


そうしてアルドたち三人と画家の青年は、宿を後にした。



◆◆◆



一行は、縦横無礙じゅうおうむげに広がるユニガンの街並みを抜けて、セレナ海岸側の門の近くまでやって来た。

この辺りまで来ると、人影もややまばらになり、また通りに並ぶ家々の中にも、損壊したまま打ち捨てられたようなものが時折ときおり見受けられる。

賑わいを見せる街の中心から歩いてきた彼らには、その差が殊更ことさらに顕著だった。


「ユニガンは活気があるように見えたけど、やっぱりまだ復興中なんだな……」

「ああ。なにせ王ですら、仮宿かりやどに滞在中じゃないか」

「そういや、そうだったな……。

 なんか、見慣れちゃって気にならなくなってたけど。

 普通は王さまって、お城にいるものなんだよな」

「ははは。そんなセリフは、王宮の堅物たちに聞かれない所でだけにしておけ」


この男は相も変わらず、不敬ふけい罪で牢に放り込まれそうな危ういことを平気で口にする。

その距離感の無さが、逆にミグランス王のような方には好ましく思われているのだろう、などとディアドラは推考していた。


「そういえば、王宮の復興は順調なのか?」

「順調とは言えんな。王は、王宮よりも民家の復興を優先させている」

「それでも街のはしっこの方には、こんなところがあるんだな……」

「主人のいなくなった住処すみかもあるだろう。

 それに、いかな名君でも、物事を進ませるには時間が必要だ。

 それが形ある物なら当然。いや、形のない物の方がむしろ……」

「形のない物? それって……」


「皆さん、着きました! こちらです!」


どこか核心めいた話に入りかけた段で、彼らは街外れのレオノルドの家に到着した。


「おっ、そうそう。たしかにこの辺だったな。うわー、なんだか懐かしいや」

「わたし、絵描きさんのお家に来るの、初めてかも! お邪魔しまーす!」


まるで相談の内容を忘れたかのような素振そぶりでの家に入っていく兄妹を眺めて、ディアドラは溜め息をきつつも、どこか羨ましさを感じていた。


「まあ、私は私に出来ることをやるだけだ」


誰にも聞こえぬように呟いたその声は、一際ひときわ大きな風音かざおとに吸い込まれて消えていった。


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