おかたづけ


 この島は元々、芸術家がたくさん住んでいるところだった。しかし、一年前に起きた事故で、彼らは皆、あの世へ行ってしまった。

今ここに住んでいる人間は、ボクだけだ。なぜなら、この島には危険がいっぱいだから。半年前の事故でばらまかれた「彼ら」は、あっという間に住人の細胞を食い尽くし、その後は住人の「遺品」に寄生して勝手気ままにその辺を動き回っている。

ボクはその「遺品」を片付けるためにここに派遣された、「遺品整理人」だ。数カ月前までは「掃除人見習い」だったのだが、ボクはヘマをして捕まってしまった。そこで国から出された選択肢が「死刑」か「遺品整理」だった。そしてこちらを選んだボクには「彼ら」に対するワクチンを打たれて、一人っきりで「遺品」の片付けをすることになった。


「彼ら」が動くのは太陽が出ている間。日没後はおとなしくなるので、その間にボクはボートや対岸に停めている軽トラックを使って、三十分かかる最寄りの町のコンビニへ買い出しに出たりする。

ちょうど今、その買い出しから戻ってきたところだ。ボクが住処にしているのは、この辺りで一番きれいに形を保っていたコンクリート造の一軒家だ。両手が袋で塞がっているため足でドアを蹴り開けると、同居人たちがわらわらと出迎えた。いや、同居人と言っても人じゃないけど。

ボクの同居人は、住人がかつて飼っていたと思われる犬四匹だ。「彼ら」が取り付き蝕むのは人間と、屋外に打ち棄てられた住人の「遺品」だけである。そのため、この犬たちは生き延びたようだ。ボクが来るまでは遺された大量のドッグフードを食い散らかしていたと考えられる。ボクは子供の頃から犬が好きだったので、喜んで彼らの面倒を見ることにした。大切な同居人である。

「彼ら」が人間と「遺品」だけに寄生する理由は分かっていない。ただし「彼ら」は特殊なウイルスのようなものであるようで、そのためワクチンはすぐに開発できたという。しかし、人間だけに寄生すると考えられたウイルスは何故か芸術家たちの遺した数々の作品にも取り付き、それらをまるで生物のように動かして、調査に来た科学者たちに襲い掛かった。その際、調査団のうちの多くが命を落としたという。

 しかし幸いなことに、命からがら逃げだして生き残った一名が、ワクチンの開発に成功した。それで国は「遺品」の片付けを始めるはずだったのだが、このような事態に国の武力を投資することを危険と判断したのか、ちょうど拘留されていたボクに目をつけ、この大仕事を押し付けた。

たった一人の人間に「島のすべてを片付けろ」なんてひどいかもしれない。しかしボクとしては、既に社会に未練は無かったし、一人きりで淡々と仕事をしてある程度の自由が許されるなら、それで満足だった。




ワンワンやらキャンキャンやら思い思いの鳴き声でボクを歓迎する同居人たちを連れながら、ボクはキッチンに向かう。今日の夕食は何にしよう。さっきコンビニで買ってきたものを調理台の上に並べる。カップ麺が一つ、二つ、三つ。ツナの缶詰が三つ。粉末スープが三つ。調理済みのサラダが一つ。食パン六枚切りが一袋。ビスケットが一袋。何でもかんでも三つが多いのは、買い出しに行くのは三日おきと決めているからだ。サラダは買い出しに行った日だけ食べる。ビスケットはボクも食べるし、犬も好んで食べる。

幸い水道と電気は通っているので、電気ケトルでお湯を沸かしながら、今日の日中のことを思い出した。




最初に外に出たとき、まず見かけた「遺品」は、這い回るポストカード数枚。こちらに気づくと飛び掛かってきたので、キャッチしてすぐにライターで燃やした。ここはかつて観光地としても密かに人気があったようで、ポストカードは土産物として販売されていたようだ。そしてそのうちの何枚かが毎日、潜伏期間を経て活性化した「彼ら」によって、島を動き回るようになる。潜伏期間は、小さなものほど短く、大きなものほど長い傾向があるようだが、それもあまり当てにならないとボクはこの数か月で感じた。

「彼ら」をポストカードごと天に返してから、二時間ぐらいは何も出なかった。暇なのでボクは家に戻ってお昼のパンとツナ缶を食べた。そして犬に一つずつビスケットをやって、また外に出た。

その時に見かけたのは、ギチギチと音を立てて動く、サイケデリックな配色の虎のハリボテ。「彼ら」にはさらに、生物の形をしたものの関節にあたる部分を溶かして、本物のように動かそうとする習性がある。これも、いつも通りに薬剤を散布して動きを鈍らせてから、ハンマーで壊した。今日の大物はこれだけで、その後はまたポストカードの片付けをしていたら、日没になっていた。

犬たちがけたたましく吠えている。気が付くと湯が沸いていた。また思索に耽るあまり、目を閉じてぼうっとしていたようだ。

カップの線まで湯を注いで、蓋をして三分タイマーをセットする。その間に、犬用の皿にドッグフードを盛り付け、順番に差し出す。

最初はグレーのテリア犬。彼は一番偉いようで、他の犬に先に餌を出しても、彼が食べるまでは口をつけようとしない。次が薄茶色のレトリーバー。二番手の彼はよく訓練されていたのか、ボクが良しと言うまでは絶対に食べ始めない。三番手が茶色のミニチュアダックスフント。紅一点の彼女は大変可愛がられていたのか、餌を出している間ずっと、足にまとわりついている。四番手が青い目のハスキー犬。この中で一番の若造のようで、いつも落ち着きが無い。順番はさすがに裏切らないが、テリアが食べ始めたら自分もすぐにがっつき始める。

犬が餌を食べるのを眺めていたらタイマーが鳴ったので、慌てて蓋を外した。ボクはデロデロになった麺など食べたくはないので、急いでフォークとサラダを右手に、左手にカップ麺を持ってテーブルへ向かった。今日のは塩味だ。カニ風味の具がお気に入りのこれは、何度食べても飽きない。ただし、気まぐれで買ったバルサミコ酢のサラダはあまりボクの口には合わなかった。早々に餌を食べ終えたらしいハスキーが大きな体をテーブルに乗り出してこちらを見ていたが、無視して食べ終えた。


夕飯の後は、外界との唯一の連絡手段であるノートパソコンで今日の報告書を書く。書いた内容は夕飯の前に思い出した通りだ。そして犬たちと共にベッドに寝転がって、コンビニで買ってきた漫画雑誌を読んだ。今週はボクの好きな海賊の冒険巨編が休載だったので少しがっかりした。

漫画雑誌を読んでいると、犬軍団の中で一番頭が良いらしいテリアが吠えた。口ひげがなんとなく賢者を思わせるのでボクは彼をメイジと呼んでいるが、この時間に吠えたということは、真夜中の一時間前だ。風呂に入る時間だ。薄茶のレトリーバーは警察犬のような雰囲気からポリス。ダックスフントについてはご丁寧にも首輪にタグが付いていたので、そのままレディと呼んでいる。ハスキーはジャン。色合いと振る舞いがなんとなく似ている、とある漫画のキャラクターから取ったものだ。

 メイジの小言通りにシャワーに向かう。そして十分足らずで全身を洗い終えて出る。その後は髪も乾かさず、歯を磨いたらすぐに寝た。「彼ら」が動き出すのは日の出と同時であるから、もし大物が動きだしたりしたら、「片付け」にはかなり時間が掛かる。だからボクは出来るだけ早く寝ることにしているのだ。

 犬たちは前の住人が遺した大きなベッドで添い寝するのに最適なお供だ。ただ一つ悩みを挙げれば、レディが腹の上で寝ようとすることだろうか。ボクは生来あまり寝返りを打たないので、この雑魚寝にはすぐに慣れた。でもこればっかりは勘弁だ。さすがに寝苦しい。おっと、夏場は皆思い思いの場所に行ってしまうから、暑くてたまらないなんてことはない。

 明日はどんな「遺品」を片付けることになるだろうか。


朝は必ずレディかジャンに顔を舐め回されながら起きることになる。そして顔を洗って歯を磨いたら、犬と共に軽い朝食を済ませる。仕事用の服に着替えて、「遺品整理」の道具を身に着けたら、業務開始だ。 

家を出てしばらくすれば、またポストカードに寄生した「彼ら」が見つかる。そしてそれをひっ捕らえては燃やす。這い回るポストカードはこの島で見られる最もメジャーなモンスターかもしれない。

 次に多いのが、ガラス職人が遺したと思われる、ランタンとかコップ。「彼ら」が寄生している顕著な特徴の赤い斑点を浮かび上がらせたガラスのランタンが、どういう原理か浮遊しているのはなかなか綺麗な光景である。ただこちらに細胞の集合体の触手を伸ばしてくるのが厄介だが。

 それもまた、仕事道具を利用して片付ける。近くに来たものはバールで叩き割り、遠くにいるものは前から愛用しているライフルで撃ち落とす。そしてすぐに薬剤を散布する。すると「彼ら」は活動を停止するのだ。

厚めな代わりに丈夫な生地の作業着に皮手袋、薬剤の入ったボンベとライフルを背負い、さらに腰のポーチには他の仕事用具がたくさん。様々な破片から目を保護するためゴーグルを着けて、大量に噴霧される薬剤を吸わないようにガスマスクまで着ける。作業中のボクは決して身軽ではないが、これも定められてのことだ。でも流石にもう少し軽めの銃を買おうかとも思っている。

そのためには購入許可書を出して正規のルートからじゃないと買わせてもらえないだろうなとか考えてたら、またまたやって来た。

 パリン、パリン、パリン。少し遠方に浮遊するターゲットは澄んだ音を立てて割れる。すぐに落ちた先に駆け寄って薬剤を吹き付けなければ、「彼ら」は他へと宿主を変えてしまう。だが、薬剤を適切に散布さえすれば、動きを鈍らせたのち、生命活動を停止するので安心だ。

 これらのガラスを作った住人は、きっと納得の行くまで作品を作り続ける人であったのだろう。今日片付けた「遺品」の風鈴は、みんな綺麗な青色をしていた。でもボクには細かい違いなんか分かりっこなかった。

 ガラスの風鈴にポストカード。午前中に片付けをした区域は、透き通った青色のガラス片と、小さな燃えかすであふれ返った。それを全て箒とちりとりで一か所に集める。

これで新たな犬の散歩ルートが出来た。ガラス片が落ちていては危険なので四匹それぞれに簡単な靴は作ってやったけど、やっぱり片付けの片付けはこうじゃないと気が済まない。綺麗になった道を見て、ボクは意味もなく汗を拭く仕草をした。


昼食を食べに一旦家に戻って、外に出たがる犬たちを抑えながら出て、再び業務を開始する。観光地だった頃に案内に使われていたパンフレットの地図を開き、次に片付けをする場所を確認する。この島はあまり広くはないが、島の至る所には、かなり大きな「遺品」もある。だからこそ、何度も見回りをしなければ「遺品整理」のタイミングには出会えない。

寄生する対象が大きくなればなるほど、「彼ら」の寄生する量も多くなる。だが、「彼ら」が動けるほど集まるには時間が掛かるのか、ボクが大物に出会ったことはまだない。

しかし、「彼ら」は何かに寄生しなければ駆除できるようにはならない。目に見えない通常の細菌やウイルスとは違うのだ。ボクは、一体何によって「彼ら」が生み出されたのか教えられていない。国にとってボクは、ただ仕事をするだけの存在なのだ。

歩いていると、足に何かが当たった。見下ろすと、地面から頭までの高さが五十センチぐらいの人形だった。白いエプロンを着けているが、手足にも顔にも赤い斑点が浮かび上がっている。その人形はボクの足を両手に持った何かでポコポコ叩いている。別に痛くもなんともないけど。

薬剤を散布すれば、人形はすぐひっくり返った。そしてすぐに分解する。「彼ら」の習性は奇妙で、生物の形をしている「遺品」の場合は、生物としての形を保っていないと動かそうとはしない。よって可哀想だが、この人形もバラバラにさせてもらう。

だがボクは、人形が持っていた武器を見て驚いた。それは人形の腕だったのだ。前は突進してくるだけだったのに。もしかして「彼ら」も何か学習しているのだろうか?

解体した人形は焼却しているので、おそらく人形が作家のアトリエから持ってきたのだろう。そういえばこの近くにあるのがそうだ。さっきはただのパーツだったから良かったが、もしこれがハサミとかハンマーになったらホラー映画みたいで厄介だな。

そのまま進んで、作家のアトリエに向かう。アトリエの中を見たことは無かったけど、見ておいたら片付けなければならない人形の数もなんとなく分かるかもしれない。


「アトリエそばかす」。それが人形作家のアトリエの看板に書かれていた名前だ。鍵は既に壊れていたので普通に入り口から入ることができた。

ここに住んでいた作家はなかなか几帳面な人だったのか、人形たちは大小様々ながらも、壁に等間隔に造られた棚に綺麗に並べられていた。人形の多くはさっき片付けたものと同じ大きさで、作家が好んで作っていた規格とみられる。奥の部屋に進むと、作業机と共に人形のパーツが保管された箱が見つかった。

人形の材質は木が主だった。これなら後処理も比較的楽に終わる。なぜなら、宿主が有機物ならば、「彼ら」も丸ごと燃やして片付けることができるからだ。よって、宿主となる「遺品」が無機物の場合は、「彼ら」の生命活動を停止させるために薬剤を多く使うことになる。ボクは静かに、かつてここで人形を生み出していた作家に感謝した。

 アトリエはこぢんまりとしており、最初の人形がディスプレイされている部屋、作業部屋の他はキッチンや風呂・トイレしかなかった。人形作家の寝室らしき部屋は平屋一階建てには見つからない。そこでボクは再び最初の部屋に戻ったのだが、ドアの方から激しく板をひっかくような音がした。

また外を徘徊している人形でも来たのだろうか? 「彼ら」は宿主となっている「遺品」を元の場所に帰すのだろうか? さまざまな疑問が頭を巡るが、ボクは片手に薬剤のノズル、片手にハンマーを持ち、注意深く扉を開けた。

そしてアトリエになだれ込んできたのは、ハスキー犬のジャンだった。昼に一旦家に戻ったときに玄関は閉めてきたはずだが、何らかの方法で抜け出てきたようだ。ジャンはボクの姿を見つけるやいなや、ズボンの裾を咥えてグイグイ引っ張り始めた。外に何かがあるとでも言うように。

外に出て、ジャンが行く方向に歩いていると、何の前触れも無く地面が大きく揺れた。そのまま何かがズシンズシンと歩を進めるような音が続く。これはどうやら、大物が動き始めたらしい。ジャンはこれを教えようと飛び出してきたのかもしれない。背負った薬剤の残量を確認する。メーターはまだ八割ほどの量が残っていると示していた。

 そして、音のする方に近づいていく。程なくして、ボクは初めて見る、巨大なターゲットに出くわした。


 その「遺品」は、高さ五メートルはあろうかという巨大な赤ん坊の人形だった。そういえば、パンフレットには人形作家と前衛アーティストの合作とか書かれていたものがあったような。あまりの大きさに唖然としながら、ポケットから電子図録を取り出し、「遺品」の情報を確認する。

 ―『ビッグ・ベイビー』。制作、2016年。作者は……、いや、それを気にしている場合ではない。素材、ミクストメディア。これは困った。

 ここで「遺品整理」をするにあたって、ボクも多少の美術知識を身に着けたのだが、その中で大半を占めるのが、画材に関する知識。そしてこのミクストメディアという表記はしばしばボクの悩みの種となる。これは何も明記されていないとほぼ同義。有機物なのか、無機物なのか。結局何で出来ているのかは手探りで当てるしかない。「混合された」を意味するミクストが付くだけあって、様々な素材が組み合わさっていることも多い。

 不安そうに横に立っているジャンと目を合わし、伝わるかどうかは分からないが、ちゃんとボクに付いてくるように促す。そして試しに「待て」の指示を出すと、利口にもその場に静止した。これから薬剤を散布するのでその間は出来るだけ遠くで待っていてもらわなければならない。少し面倒だが、この異変を教えてくれただけでも大目に見てやろう。

 ビッグ・ベイビーに背後からじりじりと近づいていく。ターゲットはこちらにはまだ気づいていないようで、フラフラと歩みを進めている。まずボクのやることは薬剤での足止め。このように動く「遺品」なら、普段片付けているハリボテ動物と同じやり方が有効なはずだ。

 こちらとの距離が三メートル程になるまで近づいたところで、ボクはありったけの薬剤を散布した。これで寄生している「彼ら」の動きは徐々に鈍くなるだろう。

 しかし、毒の匂いを嗅ぎ取ったのか巨大な赤ん坊はこちらへと進路を変えた。動きは大きさのせいか元々鈍いので、ボクから一方的に畳みかければさほどの脅威にはならなさそうだ。

 そう思い、肩にかけていたライフルを撃つ準備をする。距離を取ってからこいつを撃ち込めば、素材が何か分かるはずだ。出来れば火が付く素材だと片付けが楽でいいけど。

 照準を合わせ、引き金を引く。バン、と音が鳴って、弾丸は人形に向かって飛んだ。そして狙い通りに脚部に風穴が開く―いや、開かない?

 次の瞬間、ターゲットがボクの方に無造作に倒れこんでくるのが視界に入った。ボディプレスのつもりだろうか。間一髪のところで避けたが、態勢を立て直す前に、大きな腕が薙ぎ払われる。

 自分の体がいとも容易くふっとばされるのが分かった。ボクは思う。

 もしかして、薬剤の効果が無かったんじゃないか? 効果はあったけど、足りなかったか? 


 不運にもしばらく意識が途切れていたようで、次に目を覚ました時、顔面はジャンの涎でベタベタだった。上半身を起こすとすぐ近くに、屋根が半壊した人形作家のアトリエが見えた。ビッグ・ベイビーはどこかに行ってしまったようだ。

 上体を起こすと、頭がぐわんぐわんと揺さぶられているような感じがした。心配そうに鼻を鳴らすジャンをなだめようと、口元を撫でてやりながら、これからどうしようか考えた。

 まずは、この島のどこかをフラフラしているであろうビッグ・ベイビーを探さなくちゃならない。あ、でもその前に薬剤を補充しないと。先程全部使い切ってしまったようで、メーターはゼロを指していた。

 そこで思い出す。遠距離の移動も考えて、夜間に島の色々なところに作っておいた用具庫があるのだ。きっとそのうちの一つがさほど遠くないところにあるはず。

 そのためには、必ず意識のある状態で目的地にたどり着かなくてはならない。空のボンベを投げ捨て、壁に手を突いて立ち上がる。大丈夫、普通に歩けそうだ。

「さあ、行こうか」


 幸いにも、用具庫は近くで見つかった。本部から月に一度支給される薬剤のボンベは三本あったので、一つボクが背負って、残りの二つを、猫車とロープで作った即席リヤカーに載せ、ジャンに引かせることにした。さすが犬ぞりを引く犬種だけあって、なんだか様になった。

 道中見つからなかったビッグ・ベイビーを探して歩く。いや、見つからなくて幸いだったのはむしろこっちのほうだけど。アイツの素材は何だろう。あの大きさなら、陶器とは考えられない。だとすれば、樹脂だろうか? いや、木製か。表面は白く、すべすべしていた。何らかの塗料でも塗ってあるのだろう。

 そう考えながら歩いて十分くらい経っただろうか。ついにビッグ・ベイビーと再会した。あいつはボクの視線の先で、フラフラと、目隠しをした人のような足取りで歩いていた。大きな赤ん坊が一歩を踏み出すたびに、足元で道脇の柵や、まだ寄生されていない「遺品」が踏み潰された。

 ボクはすぐに近づこうとはせず、遠くから標的を観察した。ポケットから取り出した双眼鏡を覗くと、奇妙なことに気づいた。

 ビッグ・ベイビーの表面には、赤い斑点がもう無かった。なのに、あいつはまだ活動を続けている。武器を持った人形といい、今日はどうも変な日だな。

―どうしよう。

 ボクはかまわず走り出した。こういうときはあれこれ試す、ほかに無い。ライフルを構え、とりあえず撃った。弾丸は、表面に小さな穴を開けた。どうも思っていたほど分厚くはないようだ。中は空洞と見た。相手が振り返らないうちに矢継ぎ早に二発目、三発目を撃ち込む。不完全燃焼の匂い。素材は樹脂で間違いないようだ。

 こちらに気づいたビッグ・ベイビーは大きな腕をギチギチと挙げて、辺りをなぎはらった。素早く避ける。横にあったトーテムポールが崩れた。

 近づいた状態で片付けるのはどうやら危険なようだ。距離を取るため、ボクはジャンを連れて全速力でこの場から離れようと走った。幸いにも相手の動きは鈍重なため、到底こちらには追いつけないだろう。

 去り際、弾痕の奥にぼんやり、オレンジ色の光が見えた。「彼ら」の新たな能力だろうか。

 次にやることは決まった。


 ボクが潜伏場所に選んだのは、たまたま目についたレンガの小屋だった。蹴破ったドアの先はどうにも埃っぽくて、鼻がムズムズした。タンスを動かして入り口を押さえてから、一旦ジャンの荷物を外して、ボクは腰を下ろした。

 あのオレンジ色の光は人形の内側に寄生した「彼ら」で間違いないだろう。あれが本体だとすれば、一度の薬剤散布で動きを止めきれなかったのも納得できる。だとすると、ボクは内部に直接、薬剤を撒かなければならないだろう。

 しかし、あれは明らかに普段と様子が違った。下手をすると、薬剤が効かないことさえあり得る。その時はまあ、火に頼るつもりだけど。

 小屋の二階に上がり、全ての窓から外を見ると、だいぶ遠くにいるビッグ・ベイビーが見えた。その前に準備に取り掛かった。どうもこの小屋は、木工作家のものだったようで、壁には鋸や金槌がたくさん掛かっている。その中で、ボクは木くずを取り払うのに使われていたと思われる、送風機に目を付けた。これを使えば、薬剤を集中して浴びせかけられるような気がする。

 付いていた長めのホースを外して、先に重りを付ける。そしてこれに小さな穴を開けて、普段使っているボンベに付いているノズルを差し込む。粉末を含んだ気体の通り道を限定することで、ありったけの薬剤を流し込もうという考えだ。ホースの片側の穴はパテを詰めて密閉する。さらに残り二本のボンベにもノズルを付けて、同じようにホースに繋ぐ。これで三本分。効くかどうかは分からない。

 後は相手が現れるまで待つ。ジャンと一緒に床に座って、持っていたビスケットを食べた。さて夕刻までに済むのだろうか。そう思っていると、地響きが近づいてくるのが分かった。


 地響きを立てながら外を不安定な足取りで歩く標的に向けて、ボクはライフルを構え、そして撃った。音に気付いた「彼ら」が、グルンと人形の首をこちらに向けた。見えていないはずのビッグ・ベイビーの目と、視線がかち合う。

「こっちだ」

 ビッグ・ベイビーが進行方向を変えた。相手が射程距離に入ると同時に、腹部を狙って、撃つ。穴が開く。銃口をずらし、撃つ。先程の穴の横にもう一つ。ボクは近づく標的に向けて、同じ動きを何度も続けた。

 やがて、人形の腹部に歪な円ができた。よし、次に移ろう。

 今度は、小屋に大量にあったレンガを、投げる。掃除屋見習いの頃に師匠によって散々鍛えられた命中率は、この仕事でもかなり役に立っている。ボクが投げたレンガは、予想通りに表面のプラスチックを砕いた。また次を投げる。ミシン目のように並んだ弾痕に沿って、表面の穴が広がる。

 レンガをいくつか投げたところで、オレンジの光が見えた。ビッグ・ベイビーの内部には、「彼ら」がヒカリゴケのように寄生しているようだ。

 もうすでに、相手はかなり近くまで来ていた。ここで最後の工程だ。さっき作った即席装置のホース、その先に括り付けたレンガをグッと掴む。腹部に開いた穴を狙う。

―あと四メートル、三メートル、二メートル。この距離なら決して外しはしない。投げたレンガは、洞窟のような暗闇に吸い込まれた。

 見上げるとすぐそこに、巨大な赤ん坊の顔があった。つるっぱげのその頭、そして目はペイントされておらず、天使の像のようにも見えた。全く、住人たちも厄介なものを遺してくれたな。

 ボクは両手を、消火器と同じように出来ているボンベのレバーに掛けた。三本のうちの一本は、地面に置いて足で踏むことにする。

「ばいばい」

 そしてレバーを引いた。今までに使ったことの無い分量の薬剤が散布される。粉末を含んだ霧は、人形を中心に辺り一面を真っ白に包んだ。ボクはすぐに空のボンベを外に投げ捨て、窓を閉めた。


 霧が晴れた頃には、もうビッグ・ベイビーは完全に動きを止めていた。ジャンと一緒に下に降りて、片付けの終わったそれを眺めた。こんなに大きな「遺品」を片付けたのはボクも初めてだったので、何とも言えない達成感と疲れを感じていた。でも、これまでには無かった「彼ら」の行動を思い出せば、これからもこんなことはあるのだろう。死刑の代わりの「片付け」が完全に終わるまでにどれぐらいかかるのか、ボクにはまだ想像もつかない。

 大量の薬剤の霧が晴れるまでに結構時間が掛かったのか、空は既にオレンジ色になっていた。あのオレンジの光にも似ていると思ったところで、ちょっと思いついたボクはカメラを取り出した。あまり使わないけどなんとなく持ち歩いていたものだ。

 この後はいつも通りに、この残骸を解体するなり燃やすなりしなくてはならない。でも夕暮れの空とこの疲れのせいでボクもどうにかしていたのだろうか。

 ボクは夕焼けの下、地面に横たわっているビッグ・ベイビーを写真に撮った。








 都内で写真展が開かれていた。写真家の名前は書かれていたものの、その正体を知る者は誰もおらず、この無名のフォトグラファーの存在は作品と共に話題を呼んだ。朽ち果てた「あの島」の美術品を写した写真集は、その退廃的な美・独特の世界観が評価され、飛ぶように売れた。

 私はカフェのオープンテラスで、友人から借りたその写真集を開いていた。あの島では感染症が流行したとかで、そこに居住していた芸術家は残念ながら、一人も生き残らなかったという。その後、無茶をすることに廃墟の島には何者かが侵入して、好き勝手に暴れまわっていたとか。これらの写真は、その跡を記録したものらしい。

 写された美術品は、どれも壊れていた。ガラス細工も、人形も、彫刻も、みんなバラバラだ。なかなかにショッキングな画だけど、それらは不思議と目を惹いた。

 ふと、足元に変な感覚があった。下を見ると、茶色いミニチュアダックスが尻尾を振っている。

「ああ、うちの犬がすいません! 」

 慌てて駆け寄ってきて、外してしまったらしい犬のリードを拾い上げた青年は、他にも三匹の犬を連れていた。

「いえいえ、大丈夫ですよ。犬、お好きなんですか? 」

「はい。昔からね。特に、この四匹は長年一緒にいる僕の大事な家族です。それでは失礼しましょうか……」

 軽く会釈をして去ろうとした青年は、テーブルの上の写真集に目を留めた。

「あ、ご存知なんですか? 」

「はい、僕も持っていますよ。ちょっとお借りしますと」

 ページがめくられる。そして青年の指が指したページには、巨大な赤ん坊が地面に横たわっている写真が、大きく印刷されていた。

「この写真が好きですね」

 腹部に大きな穴が開けられた赤子人形の写真を見て、私は何だか不気味だなと思った。でも、夕焼けに照らされたそれは、良くわからないけど何となく良い雰囲気にも見えた。

「じゃあ僕は行きます。それじゃ」

 青年の前をミニチュアダックスとハスキーが歩く。青年の後ろを、残りのレトリーバー、テリアが付いていく。その様子は何だか、手のかかる妹弟を世話する兄と、それを見守る親のようで、私はクスッと笑った。

 青年の開いたページには、『Sunset Angel』というタイトルが添えられていた。人形から伸びる濃い影は、その陰影をさらに強調している。

 よく見てみると、右下の方に、狼っぽい影が写りこんでいるのに気付いた。この写真家は犬が好きなのだろうか。なんだかさっきの青年みたい……。

「まさかね」

 独りごちて、私はコーヒーを空にした。


 











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