君がいない

@N-nakagawa

第1話

  ガラスの壁の向こうで機械に繋がれた君がいる。


その機械の出す音はだんだん間隔があいていく。


ずっと一緒と言っていたのに、死神が僕から君を取り上げていく。






 後悔してもしきれない。


戻れるなら半年前のあの頃に戻りたい。


あの頃の僕を殴ってやりたい。


君を愛している。


心から愛している、この気持ちは本物だけど。


声に出して言えない。






 バタバタと関係者が動き出し、切迫した雰囲気を醸し出す。


ガラスに張り付いて君を見ている。


既に呼吸器を外されて、気管挿管をされているので話すことができなくって早一月。


君の声を忘れてしまいそうで、心が震える。






 戻ってきてくれとの願いもむなしく、機械からの音が消え、波形がフラットになった。


その時、医師が君の死亡を告げた。






















 僕たちが結婚をしたのは今から10年前。


僕が25歳君が24歳の時だったね。


大學のとき、君をゼミの友達の彼女から紹介されたね。


僕が友達から頑固だけど誠実な男だと紹介されて、君は美人じゃないけど優しくて可愛い人って紹介されて、君が彼女に文句を言っている姿がとても可愛らしかった。


最初は四人で会っていたのに、気が付けば二人で出かけるようになり、初夏の夜に僕から告白をしたら、君は笑って言ったね。




「私たちもう付き合っているでしょ?」






 たくさん喧嘩もしたし、何度も仲直りもした。


大学を卒業する前に、仕事が落ち着いたら結婚しようと言って二人で結婚準備をしたね。


はじめて買って来たゼクシィを二人で読みこんで、結婚式でやりたいことを考えて、電卓を叩いて、その後の新婚生活に何が欲しいか、何が必要か、また電卓を叩いて、二人でどのくらいお金を貯められるかななんて話したね。






 親の援助もあって、僕が就職をして三年目で結婚することができたね。


あの時の君は本当にきれいだった。


今でも僕はあの時の幸せを忘れない。


あのチャペルで白いウエディングドレスの君が流した涙がとても綺麗で、これからは君が流す涙は全部僕が拭うんだと誓ったんだ。


本当にこれからは君を守って愛していくと誓ったんだよ。






 子供ができたと君が僕に教えてくれて、僕たちは家族になったね。


小さい赤ちゃんに振り回されて、僕たちは夫婦から両親になったけれど、僕には君はずっと素敵な妻で優しいお母さんだったよ。




僕は君にとって素敵な夫だっただろうか?


僕は君にとって頼れる父親だっただろうか?








 なのに、まだ長いはずだった僕たちの結婚生活を終わらせることになったのは僕の所為だ。


悔やんでも悔やみきれない。


あの時、きちんと君の言うことを聞いていたら、きっと今も君と過ごすことができたはずなのに。








 君との最後のお別れはガラス越しで、直接触れることもできなかった。


君が死んだあと、白袋に入れられて、君の顔も見えなくなってしまった。


そうして、葬儀業者さんが君を連れて行ってしまった。






 君は一人で僕たち家族も立ち会えない状態で、火葬され、骨壺に入れられて滅菌処理された容器に布がかぶせられて、白い大きな紙袋に入れられて、玄関先に置いて行かれた。


君は家族の誰にも看取られずたった一人で旅立つ人じゃなかったのに、僕が移した病気のせいで、君は一人で逝ってしまった。








 僕たち家族は愛しく大事な君の最後に立ち会うこともできず、君の最後の顔も見られなかった。


病院に入院してからもずっと僕たちは離れて暮らすしかなく、君と最後に顔を合わせて話たのは、君が具合を悪くして、入院する日だった。


あの日の君は、体調が悪くなったと病院に言って来ると軽く言って一人で行ったね。


僕は玄関で君を見送った。


今でも後悔している。


なぜあの日、君を一人で送りだしたのだろう。


僕だってそれほど体調が悪かった訳じゃなかったのに。






「ちょっと熱が出ているから、検査してもらって来る」


「うんわかった、僕から移ってしまったかもしれないね。気を付けていくんだよ」


「まだちょっと熱ぽいだけだから、帰りにドライブスルーでお昼買って帰って来るね」


「あぁ、付いたらラインしてくれよ」


「じゃ行ってきます」
















それからしばらくしてから病院から電話が入った。


PCR検査で陽性反応が出ていること、味覚異常があるなど複数の症状が出ているのでこのまま隔離して入院させるとのことだった。


君からのラインで、急遽入院することになったので、手続きと用品を持って来て欲しいとのことだった。


感染病棟は隔離病棟なので、病院受付で手続きはできたけれど、君に会うことはできなかった。


それでもまだその頃は、すぐに直って帰ってくると思っていた。








 僕たちはこの病気を軽く考えていた。


わが国での感染者の数は上っていても、重傷者は高齢者が多く、死亡者数もそれほど多くなかったのだ。


世間でいくら言われていても、インフルエンザと同じように罹患しても軽く済むと思っていた。


何よりも僕たちはまだ若いのだ。


誰がこんな風邪の親せきのようなもので、自分が死ぬとか思うだろうか?


ましてや自分が軽く済めば周りの家族だってそれほどひどくならないと思うだろう?










 一月の半ば、君が中国から来ている友人から聞いたという話が発端だった。




「なんか中国で悪い風邪が流行っているようで、春節に帰って来るなって言われたのよ」


「じゃ帰らないの?」


「普段だったら帰るんだけど、なんか死んだ人もいるらしくて親の反対が強硬なのよ」


「ええ?それってニュースになってる?」


「中国では結構ニュースになってるみたい」


「それって前に流行ったSARSやMERSみたいなもの?」


「今はちょっとわからないわ」


「日本でも流行るかしら?」


「春節になると中国から観光客がたくさん来日するから、もしかすると流行るかもしれないわね」








 君は今までも僕や子供たちに家に帰ってきたらうがいと手洗いと口うるさく言っていたけれど、それ以来もっとうるさく言うようになった。


ネットでマスクを大量に購入して、アルコール除菌剤とか除菌ウエットテイッシュとかを確保するようになった。


僕はそれを横目で見て、また流行に乗せられて無駄使いしてるよって思っていたんだ。






 そのころテレビでは流行りはじめたウィルスの大流行を毎日ニュースでやっていたけれど、僕の中ではテレビの中でのことで、自分には関係ないと思っていた。


自分の周りには感染者はいなかったし、感染すると言うことは海外からの帰国者や乗船客に接触していたからだとか、自分は関係ないと思っていた。




今なら間違いだったってわかる。


でもあの頃は、本当に他人事で自分には関係ないと思っていたんだ。


愚かだっただったと思う。








 「ねぇ、会社に行く時にきちんとマスクしてよ。帰りもマスクして。地下鉄の中でだれが保菌しているかわからないのよ」


「マスク嫌いなんだよ。なんか臭くなるからさ」


「それってあなたの口臭が原因だから、歯医者さん行ったら?」


「歯医者嫌いなんだよなぁ」


「嫌いでもいいけれど、マスクをきちんとしてね。うちにはまだ小学生が二人いるんだから、もし移ったらどうするつもり?」


「子供は軽く済むらしいから大丈夫じゃないか?」


「たとえ軽く済んでも、つらい思いをさせるのは可哀そうじゃない」


あぁ面倒だなぁ。


うちの会社の中で、マスクなんてしている人なんてほとんどいないよ。


それなのに、出かけようとすればマスクマスクとうるさいし、帰ってくれば手洗いをしろうがいをしろって、子供じゃないんだから、大人なんだから免疫力とか抗体とかあるだろうし大丈夫だろうと思っていた。




 今、僕に時間を戻る力があれば、今すぐあの時に戻って、僕の頭を殴ってやるんだ。


家族のことを思ってわざわざ口うるさく言ってくれる君の言葉をきちんと聞けって。


聞き流していい加減なことをしていた付けを払うのはお前じゃないんだって。






後悔なんて山ほどしている。






替われるなら自分が代わってやりたいと思っている。






あの頃の僕は、今までの生活を変えることなく、口うるさく言われることを聞き流して、毎日を過ごしていた。


世間がウィルスに汚染され、中国だけでなく海外の各国でも感染が報道されるようになり、感染者は鰻登りで、死者も増えて行った。








 そんな中わが国では、感染が爆上がりにならず、重傷者も死者もわずかな数で推移していた。


政府はリモートワークを推進し、スティホームと言って家に閉じこもることを推奨し始めた。


子どもの学校は休校になり、それに伴って君はパート先を休職したね。


子どもだけで家に置いておくわけにはいかないし、このウィルスが流行中、各家で家庭学習をするために監督者も必要だからと言ってた。








 僕の会社はリモートワークとはならず、毎日出社していたけれど、そんな中でお世話になっていた人が定年退職をするという三月末。


歓送会が行われることになった。


会社の中でも、この時期に行う必要はあるのかと疑問視されたけれど、部長が退職したら再び召集はできないと無理を押し切った。








終業後、会社の近くの繁華街の居酒屋を借り、少なくない人数が集まった。


皆、自粛自粛でストレスがたまっていたのだろうと思う。


飲んで騒いで、一次会が終わった後も二次会だカラオケだと繰り出して行った。


飲んで帰ってきたから、マスクをしていなかった。


帰ってきてから手も洗っていなかったと思う。










 それから二週間後の四月半ば、今年のゴールデンウィークはどうしようかと子供と話していた時。


何となく熱っぽい感じがして、喉の奥がゴロゴロする感じがした。


いつもだったら、風邪かなと思う程度なのだけれど、今回はなぜか病院に行かなくてはと感じた。




 保健所に電話をして、感染病棟のある指定された病院でPCR検査を受けた。


結果が出るまで数日あるけれど、入院するか自宅待機をするかと聞かれた。


自分はちょっと熱があるか程度だったので、自宅待機を選んだ。


だって病院に入院したら、仕事の段取りとか連絡できないし、家族から離れたくなかった。


それに家に居たらそこそこ自由に動けると思っていた。


何よりも家には君が居たから。






 予感があった。


そして結果は陽性反応がでた。




感染していた。




多分、あの夜のどこかでだろうと思った。






 比較的症状が軽かったのと、家の中では子供たちと君がすごし、僕は一人トイレの横の書斎に布団を持ち込んで過ごすことにした。


自分の症状が軽かった所為で、このウィルスを軽んじてしまった事は否めない。






二週間後、今度は君が熱が出ているようだと言った。


子どもたちはまだ何の症状も出ていなかった。






 君は一人で病院に行って戻ってこなかった。




 後悔なんて山ほどしている。


愛している君を亡くすなんて思わなかった。


どうして悪いのは僕なのに、僕じゃなくて君が重傷化したんだろう。


もっと気を付ければよかった。


君が言っていた通りにマスクをして、手洗いをして、あの夜の歓送会も出なければこんなことにはならなかったかもしれない。






 君が入院して、最初の頃はラインで通話もできたし、トークもできた。




なのに、ある日突然悪化して、それからはどんどん悪くなって、病院からの電話に出るのが怖かった。


気管挿管すると言われて、人工心肺をつけると言われたときは目の前が真っ暗になった。




子どもにも話さないといけない。


親や君の親にも伝えないといけない。




誰が悪いのか?


僕だ。






移るからと、親も子供も僕も面会はできなかった。


うちの親も君の親も僕を責めなかった。


世間がそうなのだから、仕方ないだろうと言ったのはうちの父だ。








 違う、仕方ない事なんかじゃない。


きちんとマスクをして、手洗いをして、出かけたりしなかったら、もっと感染リスクは下げられたはずだ。


ニュースでワクチンを開発していると言っている。


年内には接種できるかもしれないと言っている。




しかし、間に合わなかった人は家族を置いて旅立ってしまうのだ。






小さな骨壺に入って君は戻ってきた。


でも、この姿から生きていたころの君を思い出せない。


本当はどこかで生きているのかもしれないと虚ろに思う。


だって最後の姿をきちんと見ていない。


君の肌の柔らかさや唇の暖かさを思い出せない。








 人は最後に死んだ姿を見て、見せて、確認するのかもしれない。


愛している人が大事な人がもう戻ってこないことを。


僕は、いまだに信じられない。


君がもういないなんて。














 ニュースでやっているように、家族を大事な人を守りたいならきちんと感染予防をしてください。


地下鉄の中で大きな声で話さないでください。


マスクをきちんとしてください。


手洗いうがいを必ずしてください。




 自分が病気にかかることも危険ですけれど、自分の大事な人を亡くすこともあるのです。
























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