─── 4 ───
そうして、ティルダールもまた、いつの間にか眠ってしまったのだろう。どんなにアルフェスが心配でも、起きていられないほど消耗していたのだ。
一晩の間、この家の主人が二人を起こしに来た様子はない。───と、いうことは、少なくとも緊急の事態はなかったということだ。それならば、そろそろ奥の部屋を覗きに行っても構わないだろうか? アルフェスは健康で元気な子供ではあるが、時には子供らしく体調を崩すこともあった。そんな時に、ティルダールが傍に居なかったことはない。だからこそ、医療師が診てくれているという安心感より、息子の顔が見えない場所に居ることの不安の方が強いのである。
シルヴィアの眠りを
陽に焼けた肌は灰色にくすみ、両の
「息子は?」
「肺炎を起こし掛けとった。けど、薬がよく効いたし、熱も随分下がっとう。坊の目が覚めたけん、呼びに来たとよ。おまえさん達の心配をしとる」
それを聞いて、今度こそ本当にティルダールの体から力が抜ける。
「ありがとう───本当にありがとうございます」
「いやいや、わしはたいしたことはしとらん。病にしろ、苦難にしろ、最後の決着を付けるんは常に本人の力やけん」
「会ってもかまいませんか?」
「行ってやり、待ち兼ねとるよ」
ティルダールは深く一礼すると、疾風の速さで奥の部屋に向かった。
初めて足を踏み入れた部屋は、海に面した大きな窓がある明るい場所で、その窓際に寝台が設置された主人の寝室だった。その大人用の大きな寝台に、ありったけの布団に埋もれた状態のアルフェスが居る。昨夜最後に見たのは、発熱に紅潮し、意識のない息子だった。けれども今は、病的な紅さは去り、雪解け水色の大きな瞳でしっかり父親を捕らえていた。
「テュール」
熱で
「よく頑張ったな」
「だって、テュールもシルヴも、頑張っていたから、僕も……」
まだ苦しそうに息継ぎをしながら、アルフェスが微笑んだ。
そんな息子が愛しくて、誇らしくて───ティルダールは、汗で湿った癖のある髪を掻き撫で、額にくちづけをした。無理に話すなと囁きながら。
「でも、誰も、ついてきてない? それに、シルヴは、大丈夫?」
どうしても訊きたいのだと、出し辛い声で途切れ途切れに云う。昨夜の強行軍の途中から意識を失っていたのだから、その後を知りたいのは当然だった。
「大丈夫だ。誰も追って来ていない。シルヴも、疲れてまだ眠っているだけで……」
簡単に説明している途中で、隣の部屋から「アルフはっ?!」という声が聞こえた。そして、何やらガタゴトと動く気配がする。
「───起きたようだな……」
音だけで何が起こっているか判る音声芝居のような派手な物音に、よく似た父子は、顔を見合わせて吹き出した。その気になれば、猫のように無音のまま・しなやかに動けるシルヴィアが立てている音だと思うと、尚のこと可笑しい。
「アルフっ!」
賑やかに飛び込んで来たシルヴィアは、父子が笑っていることに全く気付かなかった。それどころか、寝台の傍に立つティルダールの存在すら目に入っていない様子で、真っ直ぐにアルフェスに歩み寄り、深々と幼い顔を覗き込む。
「アルフ、ごめん───ごめんなさい、アルフ、わたしのせいで……。大丈夫なのか? 辛いところはないのか?」
黒曜石のような漆黒の双眸から、珠のような涙がぽろぽろと零れ落ちた。
「泣かないで、シルヴのせいじゃないよ。僕、大丈夫だから。でも───おしえてほしいことが、あるんだけど?」
「うん、何? 何でも訊いて」
「シルヴもテュールも、どうして毛布を着ているの?」
途中経過を知らないが故の、あまりにも素朴な疑問だった。しかし問題の大人二人は、大切な子供を心配するあまりに、自分達が遭難者そのものの格好をしていることすら忘れていた。指摘されて、ふと自分の足元を見ると、靴すら履いていない。
「わたしの服……乾いているか?」
溢れたばかりの涙を頬と睫毛に宿したまま、力のない声でシルヴィアが訊く。
「乾いてないだろうな。俺の服とまとめて、放置したままだ」
着替えはない───厳密には、最低限の着替えは持っているのだが、昨日ヴェリヘルに入る前から雨に打たれていた上、宿に居たのは一刻ほど、その後は雨の中の強行軍で、荷物は全面的に水を吸っている。
「……………」
これといった妙案もなく、互いに沈黙しか返せない。
束の間、沈黙が満ちた寝室の中に、突然豪快な笑い声が爆発した。息の合った親子寸劇にしか見えない遣り取りに、この家の主人が笑いを抑えきれなくなったのだ。
「いや、済まん───笑うつもりでは……」
言い訳しながらも、まだ笑っている。つられて、アルフェスまで咳き込みながら笑い出すに至っては、もう一緒になって笑うしかない。昨夜を乗り越えて、何とか三人とも無事に済んだのだ。着る服がないというおまぬけさは、単なる笑い話で済むことではないか。
「とにかく、何か服を見繕ってこんとな。そうはいっても、わしの服しかないけん、多少大きいやら・小さいやらは仕方なかよ。リューインの昔の服はあるとやけど、なにやらすっかり大きくなっとうけん、着られんやろ。坊やの寝巻に使うとよか。リューイン、
「服を乾かして来ます」
「それがよかね」
男衆二人がばたばたと寝室を出て行くと、シルヴィアとアルフェスの二人きりになった。シルヴィアも動こうとはしたのだが、いつの間にかアルフェスの手が毛布の端を握っていたのだ。
「どうしたの、アルフ?」
「シルヴ、大きくなったの?」
「なった───んだろうな。あまり自覚はなかったけれど。ここに居たのは六年以上前だから……。そういわれてみれば、こうして立っていると、以前この家に居た時と、視線の高さが違うような気がする」
「僕も、シルヴぐらい、大きくなるかな?」
「わたしより大きくなるだろうね。テュール・シンぐらいにはなるんじゃないか? 病気をちゃんと治して、いっぱい食べて・いっぱい寝て、しっかり体を鍛えれば、父上より大きくて素敵な男性になると思うよ」
「テュールよりって、どうして?」
「それは、アルフの方が優しいからだよ。アルフは、初めて会った時から、わたしに優しかっただろう?」
そう云われて、アルフェスは何だか複雑そうな顔をした。困った表情ではないものの、何かもっと云いたいことがあるような……。
「どうしたの? 本当のことだろう?」
「えっとね……僕、本当に、シルヴが大好きなんだ。けど、優しいのとは、違うと思う。テュールの、真似をしてるだけで……」
アルフェスは、痛めた喉を庇いながら、少しずつ話してくれた。そもそも、アルフェスが物心ついた頃から、見知らぬ人に対して優しく、親切に振る舞っていたのはティルダールだったこと。そして、その訳を。
『エリィと二人でコ・ルース・リィン出た時、俺達はまだ、世間知らずの子供だった。義父上や仲間と離れて、そのことを思い知った。エリィと
けれども、俺達はいつも、俺達だけではなかったんだ。いつも、どんな時も、誰かが助けてくれた。会った事も無い、見知らぬ誰かが手を貸してくれた。見返りも求めずに。
勿論、悪い奴らもいる。それは確かだ。だが、互いに害を与え合うだけの世界ならば、このユリティスの王国は
けれども、こうして王国は存在し、世界は続いている。それは、遠いどこかで誰かが、互いに手を取り合っているからだと信じている。そして、俺達が誰かに救われたように、俺も誰かの一助になりたい。その誰かが、どこかでまた他の誰かの一助になり、次の誰かもまたそうしてくれるのならば、いつか───今は傍に居ることが出来ない大切な人達に、見知らぬ誰かが手を貸してくれると……。
俺は、そんなふうに世界は繋がっていると考えている。そうあって欲しいと、願っているといってもいい』
シルヴィアはアルフェスの傍に座り、まだ熱が残る手を握って、真剣に耳を傾けた。
『今は傍に居ることが出来ない大切な人達』とは、コ・ルース・リィンに残して来た人々───そして、行方の知れないエリア・シルヴィアのことなのだろう。
「僕、テュールの真似を、しているだけなんだ」
「……うん。でもそれは、アルフがテュール・シンを信じているからだろう?」
けれども───優しい夢物語だ。多分、ティルダールのその想いは、祈りに近いのだろう。遠く離れてしまった大切な人々に、無事で、幸せでいて欲しいと───近況すら伝わって来ない、遥かな旅路の空の下で強く願い、祈りと共に手が届く誰かにそれを託す。人から人へと託されていくそれが、いつか大切な人に届くようにと……。
そう……そんなふうに、記憶を無くしたシルヴィアも、他の人々に助けられて来たのかもしれないのだ。
多くの人が紡ぐ優しい夢物語の連鎖に、救いの手を差し伸べられて来たのなら、今は触れ合うことが出来ない何処かに、シルヴィアを想ってくれている人が居るのかもしれない。そうだったらいいと、心の底から思った。
岬の家に、調理された食事の香ばしい匂いが立ち込め始めると、それぞれに仕事をしていた面々が、呼ぶまでもなく集まって来た。大人三人は、それぞれにサイト老の普段着を着ていて、ほとんどお揃いの状態ではある。だが、見た目の年齢のわりに、すらりとした鍛えられた体をしているサイト老の服は、シルヴィアには大き過ぎて袖や裾を折らなければならなかったし、ティルダールには小さ過ぎて、丈が足りない上に少し
昨日から緊張と心配事が続いていた為に意識していなかったが、休む間もない活動の連続、雨による体温の低下による消耗、徹夜の看病、発熱による消耗と、各々の理由で体中の力が使い果たされている。その状態で、シルヴィア作の素朴で温かな手料理が並ぶ食卓に集まると、老いも若きも・男も女も、皆まとめて胃袋が派手な自己主張をしたのだ。
『いただきます』の挨拶もそこそこに、いっせいに無言の食事が始まる。アルフェスとサイト老には、胃に優しい温かなシチューが主に供され、激しい運動をしたティルダールとシルヴィアには、活動燃料に直結する肉類が主に用意されていた。籠には買い置きの
「そういえば、まだ名乗ってもおらんかったな。わしはシロウ・サイト。この岬で隠居を決め込んどる年寄りさね」
ようやく胃袋が束の間の眠りに就き、主人が調合したという良い香りの薬草茶を
「これは───失礼を致しました。ティルダール・シン・ワイズです。息子はアルフェス・キル・ワイズといいます。昨夜は、深夜の
居住まいを正したティルダールの礼儀に則った物言いに、主人は笑みを浮かべて
「わしとリューインのことは、聞いとるとかね?」
「命の恩人と伺いました。あと、“シルヴィア・リューイン”の名を下さった方だとも───興味で伺うのですが、何故彼女にこの名を?」
「
「はい、素晴らしく」
ティルダールは『聖都で学んでいた』と聞いた時から、サイト老が何かを知っているのではないかと考えていた。だからこそ、エリア・シルヴィアの本質に近い名を与えたのではないかと、軽く探りを入れてみたのだ。だが、
「リューインとはいつから?」
「一ヶ月半ほど前からよ」
アルフェスの無事を確認し、少しの休息と食事である程度回復したシルヴィアが、やんわりと口を挟む。どうやら、話しながら微笑むぐらいには、心身の立て直しが出来たようだ。
「イムヘルで出会って、ここまで一緒に来た。わたしの事情はほとんど話している」
「そげんか……。それで、旅をしてみて、何か収穫はあったとかね?」
岬の家の主人=シロウ・サイトの問いには、三人三様の反応があった。
シルヴィアは迷いながらも首を振り、アルフェスは父親を見て首を傾げ、ティルダールは薬草茶を口に運びながら沈黙している。
「わたしは、何も思い出せていません。残念ながら」
その言葉に、サイト老はふむと頷き、アルフェスに視線を向けたあと、ティルダールを見た。一人落ち着き払っているように見える、彼を。
「それで、ワイズ殿───おまえさんは、この子を知ってなさるとか?」
生命の恩人であるサイト老に掛かれば、シルヴィアも『この子』扱いである。実際、本当の娘だと仮定しても、無理があるほどにシルヴィアは若い。それほどの年齢差故に観察眼も鋭く、確信を突いた率直な問いに、シルヴィアとアルフェスの動きが止まる。
二人は昨夜、ティルダールがシルヴィアをエリア・シルヴィアだと断言するのを聞いた。しかし、そう思い至った理由を訊いてはいない。最初は『違う』と云い、いつの間にか『そうだ』と確信した理由を。
「知っている───と、俺は思っています。間違いないとも」
「二人が納得しとるとは、見えんがの」
「俺は確信しているのですが、それを説明するのが難しいのです」
「難しくとも説明せなならん。この子は勿論、坊やも当事者やろ。はっきりせんと、二人とも身の置き所がなかろうもん」
それは、全くその通りだ。薬草茶の残りを口に運びながら、ティルダールは頭の中で、確信するに至った自分の思考の経緯を整理した。
「最初は、よく似ているけれど、俺の捜し人とは違うと思いました。記憶を失っていること、髪の色が変わっていることは、説明しようとすれば出来る。けれども、瞳の色が全く違うことは説明出来ない。だから違うと……」
それは、シルヴィアもアルフェスも聞いている。だからこそ、『似ているけれど、違う』と云った、ティルダールの言葉を信じていたのだ。
「ですが、瞳の色を除けば、『似ている』だけでは済まされないことが、幾つもありました。最初は俺の知り合いが住む村で、戦闘を伴う諍いがあった時です。シルヴの剣技は、実に個性的で洗練されていた。けれどもその剣技は、真似をしようとして余人に出来るものではなく、力と体格で男の剣士に劣るエリィが、それでも戦力になる為に俺と共に
「同じような境遇の女戦士や剣士である可能性は、少しもないとか?」
「男に混ざって剣を振るう女性が、男と対等に立つ為に自分だけの技術を身に付けることはあるでしょう。ですが、各々の性格と得意とする体の動き、性に合う得物の違いから、似た技術にはなっても同じものにはなりようがありません」
「剣技は門外漢やけど、性格の違いもあるんか。好奇心で訊くんで答えんでもよかけど、ワイズ殿の捜し人はどんな?」
「野生の直感に忠実な猪突猛進」
「なるほど……」
男二人が云ったとたんに、薬草茶の追加を運んで来たシルヴィアが、恩人の椅子の下を蹴り、旅の連れの男の頭頂に拳をお見舞いした。
「痛いぞ」
「痛いようにしたんだ」
余りの息の合いように、アルフェスが吹き出す。
「つまり、こういうところが同じなのです」
『痛い』と主張するわりに表情も変えず、ティルダールは端的に『似ているだけでは済まされない』部分を説明してのけた。
「良く判った───それから?」
シルヴィアの手の速さを承知しているのか、サイト老は細かい突っ込みはせずに、笑いながら次の説明を求める。
「我々の故郷であるコ・ルース・リィンは、王国最大の湖に面する三つの領地の一つです。比較的高地にあり、湖の南端の領地と共に牧草が豊かで、王国で一・二を争う名馬の産地でもあります。領主の城に属する者だけではなく、多くの子供達が馬と親しんで育つ土地です。当然、俺と彼女もそうでした。昨夜の暴徒相手の攻防の中で、攻守を入れ代える時に、馬上でアルフの身柄の受け渡しをしました。周囲を牽制しながら曲芸染みたそんなことが出来るのは、コ・ルース・リィンの者か南の領地であるヴェラール・ティアの者だけでしょう」
それを聞いて、アルフェスはその時のことを思い出そうとした。すでに発熱しており、意識もはっきりしていなかったが、ティルダールの手からシルヴィアの手に移った時のことを多少は覚えている。
状況は判らなかったが、ティルダールが「代わってくれ」と云い、シルヴィアが「判った」と云った。そして、普通に地上に居る男女が子供を抱く役目を代わるように、ごく自然に庇護者が変わったように感じていた。しかしそれが、馬上で、しかも戦闘中に行われていたというのであれば、やはり並の技量ではないと、それだけは理解出来る。
「他には?」
「肩布の使い方が───」
説明しかけて、ティルダールが云い淀む。
これは、説明してもいいことなのだろうか?
今のところ夫婦でも恋人でもない若い男女が、こぶ付き状態とはいえ、野外での水浴びの折に半裸の交流をしてしまったことを、現在の彼女の保護者に報告してもいいのだろうか?
『普通はいわないものだな。アルフも聞いているし……』とは思ったものの、三世代に渡る瞳が真剣にティルダールの言葉の続きを待っている。
多少やましい気持ちになるのは、その時のティルダールが他人にはいえない感情を抱いたからだ。何も、そこまで説明する必要はないのだから、事実関係はやはり話さなくてはならない。
「……川で水浴びをした時に、シルヴが肩布を衣服の代わりに使っていたのですが、その使い方が見覚えのあるものでした。肩布だけではなく、マントや
「それはわしにも判る。若い頃は、あちこち旅をしとった。肩布だと、留め具を使う場合や、飾り帯やベルトを使う方法もあるな。布の
「そういうことです。コ・ルース・リィンでは、留め具などは使いません。肩布だけで使います。衣服の代わりに使う場合にも、結び目を作らず、巻いて折り込む方法で整えるのです。最も、離れた場所から一見しただけで、正確にどのように織り込んでいたのかは確認していませんが」
「ほお、確認せんかったとか」
年長者故の余裕なのか、サイト老は意味深な笑いを向けた。
勿論、確認したかったに決まっている───だが……。
ティルダールは、『いつも不愛想な顔をしている』と評される自分の表情に、初めて感謝した。内心でどれほど動揺していても、それが他の者に伝わることがないからだ。
「へぇ、肩布でそんなことが判るのか……」
「びっくりだねぇ」
男達の秘かな攻防には全く気付かず、隣同士に座るシルヴィアとアルフェスは、呑気な感想を漏らしていた。サイト老には色々と読み取られている部分もあるようだが、こちらの二人が判っていないのなら、まあ良しと出来るだろう。
「他には?」
「一応、言葉で説明出来るのはそんなところです」
すべては、ティルダールだけが確認出来る状況証拠だ。他の者には確認しようがない。説得力に乏しいことは、自分でも判っている。
「リューイン」
サイト老が声を改めて呼びかけると、アルフェスと他愛もない憶測を並べていたシルヴィアが姿勢を正した。
「わしが、身元が判る物をほとんど持っとらんおまえを旅に出したのは、ワイズ殿がいうとるようなことで、多少判ることがあるかもしれんと考えたからだ。それで? 記憶は戻らんでも、ここまで同行して来た二人を、おまえはどう感じ、考えておるとや?」
「頼りになるし、信頼も出来る。良い旅の仲間です」
「おまえは……全く、
生命の恩人相手に畏まっていたシルヴィアの白皙が、うっすらと紅潮する。あまりにも素直過ぎる反応だった。
「リューイン、正直に」
重ねて云われ、いつも歯切れがよいシルヴィアらしくなく、渋々口を開く。出来れば隠しておきたかったとでもいうように。
「……好ましく思っていなければ、ここまで行動を共にはしていません。特に、アルフとは離れ難く……」
伏し目がちにぼそぼそと云いながら、手は子供の癖毛を撫でていた。そういえば、隣に座る度にそうしていたような気がする。
「僕も、シルヴと一緒にいたい」
面々の中で唯一屈託のないアルフェスが、すぐ傍の細い体にぎゅっと抱き着いた。その無邪気な好意が嬉しくて、シルヴィアもすぐに抱き返す。
その微笑ましい状景を見ていたティルダールが、何かを思い付き、『ああ』と声を漏らした。
「そういえば、試していないことがあったな。シルヴ、ちょっと立ってくれ」
試していないこと?───と全員が首を捻る中、ティルダールは食卓の反対側からシルヴィアの近くに来て、『早く立て』と動作で要求する。だからといって別に拒む理由もないので、不審に思いながら彼女が立ち上がると、突然、全身を何かで包まれた。
視界が塞がれている?───いや、何かで覆われている? それが出来るような物が、手近に置いてあっただろうか?
それに、温かい───体中の力が抜けてしまいそうな、この温もりは? 頬に触れているのは布だが、布越しに動いているのはいったい?
起きた出来事が唐突過ぎて、お粗末なまでに認識が追いつかない。実は、前触れも無しにティルダールに抱き締められているのだと理解したのは、彼の腕が腰に回って来てからだった。
「っっっ! テュール・シン、いきなり何をっ!」
慌てて顔を上げようとしたが、後頭部にも手が回っていて、もがくことしか出来なかった。この状況はつまり……ティルダールの胸に顔を埋めているのだと理解すると、羞恥心で脈動が爆発しそうに早打ちをする。
「エリィは、嬉しい時は勿論、怒っても泣いても俺の所に飛び込んで来た。こうしていると、何かを思い出したり・感じたりはしないか?」
そんなことを云われても、心の準備も出来ないままこの状況に陥ったシルヴィアは、ひたすらに混乱するばかりで、自分の心中を測るどころの話ではない。そして───
「俺は、もっと早く試してみれば良かったと思っている。以前と体格の違いはあるが、こうしているとシルヴは確かにエリィだ。髪の匂いも変わってない」
と、云って、ティルダールが彼女の髪の匂いを嗅ぐに至って、戸惑いは羞恥心を経由して怒りへと転化した。上半身はがっちり固定されているが、まだ動く場所はある。
シルヴィアは、ありったけの力を籠めてティルダールの足の甲を踏みつけ、一瞬怯んだ隙に髪に寄せていた顔に頭突きを食らわせ、拘束を緩めた相手を突き放すと、屋内では普通はしない痛烈は回し蹴りを放ったのだ。
吹っ飛んだ方が驚きで、吹っ飛ばした方は興奮で、どちらも言葉が出ない。口を挟んだのは、子供ながらに冷静なアルフェスだった。
「僕、今のはテュールが悪いと思うよ」
「当たり前だっ! 許可なく女性の体に触るなっ!」
若者達のやりとりに口を挟むことなく見守っていたサイト老が、何も無かったように改めて、新しい問題を提示した。
「そこまで確信したんなら、ワイズ殿、リューインのサークレットに心当たりはあるとか?」
床に転がったままの体勢で、ティルダールは頭だけを上げる。
「サークレット? いえ、エリィは装身具を好まなかったので、特には……」
「そうか……わしが見付けた時からリューインが持っとったけん、変わった石やから身元の手掛かりになると……」
「変わった石といいますと?
「この石は、
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