─── 2 ───

 その瞬間、女は何が起こったのか、理解出来なかった。

 聖都で学びはしたものの、賢者と呼ばれる魔法使いにはなれなかった不出来な術者───それが女の正体である。それでも、裏の商売で流れていた本物の賢者の杖の力を借りれば、それなりの防御魔法と攻撃魔法ぐらいは使えた。それは、魔法の心得の無い相手に対しては、充分に有効な力である。───その筈だった。

 自分に向かって一直線に向かって来た剣士は格好の標的で、放った雷撃を外しようもない間合いまで来ていた。

 それなのに何故、その剣士が自分の杖を叩き落とし、喉元に切っ先を突き付けているのだろう? 何が起これば、こんな状況が成立するのだろう?

 これまで経験したことのない出来事に、背骨に沿って冷たい汗が流れる。術を行使するすべを失えば、物理的な攻撃に対して、女にあらがう方法はない。

 だが、剣士は女の動きを封じただけで、とどめを刺す素振そぶりは無かった。では、何故助けは来ないのか……。

 ピクリとも身動き出来ないまま、視線だけを動かして剣士の背後を見ると、無事だった筈の側近三人のうち、二人は昏倒こんとうし、もう一人は戦意を喪失して腰を抜かしている。この剣士は、彼らとまともに剣を交えなかった筈なのに、何故?

「そなた……一体何をした?」

 恐れと怒りで震える声で訊く。

「何も。ただ俺は、剣でお前の術を弾いただけだ」

 そういわれて改めて見ると、喉元に突き付けられた剣は、この剣士が最初から振るっていた両刃の長剣ではなかった。すでに血を吸った長剣は、元の通り左手にある。どこに隠し持っていたのか、右手で突き付けられている剣は二尺に満たず、一応つかつばはあり両刃もろはではあるものの、古い何の変哲もない剣のように見えた。

 そんな、子供の訓練用にすらみえる武器が、何をしたというのか……。

 女の表情から、そんな疑問を読み取ったティルダールは、少し複雑な苦笑いを浮かべ、最小限の説明をする。

「この剣には、何かの祝福がめられているらしい。だから、簡単な術であれば、切ることも弾くことも出来る」

「この剣が……?」

 それでは、何の変哲もなさそうなこの短く、古い剣が、彼女が放った雷撃を弾き、味方の二人を昏倒させたというのか?───聞いただけではとても信じられない。彼女は、本物の賢者の杖を持っていたというのに。

「この連中にはもう何も出来ない。縄を掛けて余計なことをさせないでくれ」

 遠目に見守っていた村の衆にそう云うと、ティルダールは旅の連れの方に駆けて行った。



 一方で、最初から同じ相手と対峙たいじし続けていたシルヴィアは、物騒な唸りと共に水平に襲って来た段平を軽快に避け、二度後方に蜻蛉とんぼを切って相手に有利な間合いから逃れていた。

 多少息が上がっているのは無理もないが、シルヴィアがまるで無傷でいるのに対し、相手の偉丈夫いじょうぶが無数の傷を負っていることを考えれば、一概に手こずっているともいえないだろう。

 シルヴィアの剣捌けんさばきには、独特の代わった特徴がある。

 戻って来たティルダールは、その華麗な動きに息を呑んだ。

 前後左右に緩急をつけながらも、決して単調にならない流麗な動作。

 剣の重さを利用して、右手、あるいは左手の中で、変幻自在に向きを変える切っ先。

 フェィントと呼ぶにはあまりに鮮やかで、彼女の動きを追う者を幻惑する攻防一体の舞のようだ。未熟な者がこの技を真似しようとすれば、それはそのまま命取りになりかねない。

 そんな難易度の高い技を、シルヴィアは完全に習得し、女であることの不利を補って余りあるほどに熟達している。この領域に達しているのであれば、変幻自在をむねとする切っ先の行方を捕らえることは不可能に近い。それは同時に、味方する者も手を出せないということでもあった。

 下手に手を出せば、自分の身に危険が及ぶ。声を掛ければ、シルヴィアの集中を切る。つまりは、この美しくも恐ろしい剣技は、彼女が独りで戦い続けて来たことの証明でもあるのだ。

 少しの間、ティルダールは、シルヴィアの華麗で苛烈な戦いを複雑な眼差しで見ていた。

 一味の首魁しゅかいである偉丈夫は、もうとうに最初の勢いを無くしている。シルヴィアの複雑な動きは、それだけ消耗も激しいだろう───そろそろ潮時だと踏み、ティルダールは両手に持ったままの剣の腹を二度打ち合わせ、甲高い金属音を響かせた。それにいったい何の意味があるのか、離れた所で見守っているサジムは勿論、アルフェスにすら解らない。

 ただ、シルヴィアだけが、ほんの微かに頷く。それを予測して見守っていたティルダールだけが気付くほど、微かに───。


 次の瞬間、シルヴィアの動きが劇的に変わった。


 それまで、捕らえどころのないたわむれる風の刃だったものが、速度と勢いを増し、疾風怒濤しっぷうどとうの嵐と化したのである。

 自称“竜の戦士”を含め、変化を正確に理解した者がいただろうか?

 嵐は、たちまち敵を切り裂いた。筋骨隆々とした腕を縦にぎ、脇腹から血飛沫ちしぶきが飛び散り、肩口が大きく割れ、血で汚れた金髪が千切れて舞う。幅広の段平がけたたましい音を立てて地面に転がり、いわおのような巨躯きょくが獣染みた叫びを上げて崩れ落ちる。もはや、村を訪れた時の貴公子然とした仮面は、跡形もなく消え去っていた。

 息を呑んだほんの数拍の間の出来事は、それまで彼女は少しも本気ではなかったのだと確信させるに充分だった。

 歩み寄って来たティルダールとシルヴィアは、のたうち回る男の太い首の両側に、血に濡れたままの長剣を深々と突き立てた。まるで事前に申し合わせていたかのように、ぴったりと息の合った動きだ。

 暴れる男の動きを封じる為の行為ではあったが、男が痛みのあまりそれに気づかずに、地面に突き立てられた剣によって頭部と生き別れになったとしても、一向に良心は痛まなかっただろう。連れ去られる筈だった娘達が、そしてその後の村が、どんなふうに踏みにじられる予定だったかを考えると、当然のむくいですらある。あまりにも慣れた段取りの詐称行為は、過去の行状を充分に物語っているのだから。

 だが、残念なことに男は、間近に迫った死のあぎとに気付き、最後の気力を振り絞って自らの動きを止めた。

 遠巻きに見守っていた村人の間から、安堵したようにも、残念そうにも響く、何とも形容し難い溜め息が漏れる。眼前で繰り広げられた見慣れない戦闘は、それだけ素朴に生活している村人に緊張感を与えていたのだ。加えて、見知った青年剣士と見知らぬ女性剣士の言動から、自分達に降り掛かる筈だった災いをようやく理解し、二人が敗れた時には何が起こるか分からないという不安と恐怖もあっただろう。

 緊張と不安、恐怖に満ちていた人々が、それらから解放された時に零れる溜め息が単色である筈がなかった。

「聞くまでも、ないが、大丈夫、なのか?」

 乱れた呼吸が整ういとまを惜しんで、シルヴィアが訊く。

 ティルダールが怪我を負った様子もなく、ここに居ることから考えても、大丈夫であることは間違いないのだが、それでも尋ねずにはいられない。何しろ、彼が相手をした連中の中には、自称・魔法使いが居たのだから。

「すでに拘束してある。問題ない」

 簡潔過ぎる返答ではあるが、必要な意味は伝わる。では、残る問題はこの自称“竜の戦士”をどうするか───だ。

 戦闘能力を失った者を殺すのは気が進まないが、このまま生かしておけば、この村に禍根かこんを残すことになるかもしれない。今回は、偶然二人が村に逗留していた為、被害を未然に防ぐことが出来たが、旅人である二人は遠からずこの村を去るのだ。ずっとこの村を守れるわけではない。

 漆黒と榛色はしばみいろの視線が交わされ、無言で相手の意見を求めた時、離れた場所から悲鳴に近い声が届いた。

「その子を殺さないでっ!」

 地面に縫い付けている男に隙を与えないよう、注意しながら振り返ると、自称・魔法使いが蒼褪めた顔で二人を凝視していた。ローヴをまとった女は村人によって縄を掛けられており、もはや自らの意志で動き回ることは出来ない。それでも、激しく身をよじり、何とかこちらに近付こうともがいている。その動きで乱れたローヴから零れ落ちる髪は、鮮やかな金色───自称“竜の戦士”と同じ、輝く金色の巻き毛だった。

「弟なの───あたしのたった一人の弟なのよ。お願い、殺さないで、何でもするからっ!」

 悪党にも肉親の情があるのか───と、問えば、酷に過ぎるだろうか?

 幾分かそんな気があったにしろ、捕り物劇の立役者である二人は、それぞれの理由でその言葉を云いはしなかった。二人が二人とも、失って取り返しのつかないものの大きさを、骨身に沁みて知り過ぎていたから……。

「殺さないでくれれば、罪を認める。あたしに出来ることは何でもする。魔法使いにはなれなかったあたしだけど、多少の術は使えるし、占術で教えてあげられることもあるわ」

 女の言葉にかれたわけではないが、結局二人は、自称“竜の戦士”に止めを刺さなかった。

 腰を抜かしただけの男と昏倒こんとうしてはいるが軽傷の三人は、一応の手当てを受け、女と共に村長宅の半地下の倉庫に放り込まれた。重傷の二人は、村医者の処置を受けて納屋に移される。すぐには動くことが出来ないほどの重傷でも、“竜の戦士”を名乗った男はかなりの手練てだれで、拘束具を外すわけにはいかなかったが。

 勿論、それらの後始末は、男女二人の剣士の監視と指示の下で行われた。軟禁や治療等がされている間に、最寄りの領主の出先機関へも使いを送っている。すべては、領主による裁きが下るまでの仮の処置なのだ。



「そういえば気になっていたのだが、よく無事だったな、ワイズ卿」

 シルヴィアがそう訊いたのは、取り急ぎ成すべきことがすべて終わったあとのこと。捕縛した者達を押し込んだ倉庫の前で、アルフェスが届けてくれたサジムからの差し入れに、三人で手を付けようとしでいる時だった。もしも捕縛した者達が暴れだした場合、止めることが出来るのはこの二人しかいない。それ故の無粋な休憩場所である。

 片手に持った蒸かしたての肉饅頭を頬張りながら、ティルダールは少し質問の意味を考えた。『よく無事だったな』は、むしろ彼の台詞のような気がする。一味の中で最も腕が立つ偉丈夫を相手にして、揉め事の始まりから最後の最後まで戦闘状態だったわりに、彼女に怪我らしい怪我はない。ただし、それなりに消耗したらしく、今は話すのも億劫おっくうそうにぐったりしてはいる。

 頬張った物を飲み込んでそれを云おうとすると、その前に次の質問が来た。

「あの女性、魔法使いを自称していたのだから、多少なりとも術は使えたのだろう? どうして無事なんだ?」

 ああ、そっちの方か───と、妙に納得がいった。

 相手にした人数の方を案じていたのかと思ったが、今日、目の当たりにしたシルヴィアの実力から考えれば、一対五だったのが彼女の方だったとしても、問題なく彼らを捕縛して来ていただろう。同じ剣士としては、剣技や体技で対抗のしようがない筈の相手を、どうやって攻略したのかの方が気になるのは当然のことかもしれない。

 それにしても、薄い扉のすぐ向こうに当の本人が居るというのに、そちらは気にならないのだろうか?───と、少しだけ思った。

「テュールは、ステキなものを持っているから、大丈夫なんだよ」

 返事が遅れている父親に代わって、アルフェスが嬉しそうに説明した。

「ステキな……? 大切───とても大事なもの?」

 自分の説明がしっくり来ないのか、小首を傾げながら言葉を探している。その仕草が大人二人にとって、目に入れても痛くないというか、食べてしまいたいほど愛おしいと思っていることは、今のところまだ本人には秘密だ。

「大事で・大切なものだ。大丈夫、間違ってはいない」

 そう云いながら、ティルダールは背中に隠して持っている剣を抜いて見せた。

 それは、自称・魔法使いに迫った時にのみ使った剣。一応つかつばはあり両刃ではあるものの、長さ二尺に満たない何の変哲もない古びた剣だった。

「これが……?」

 差し出された剣を遠慮がちに受け取りながら、不思議そうにシルヴィアが訊く。

「この剣は、エリィを見失い、同時に装備のほとんどを失くした時に、力を貸してくれた旅の戦士が護身用に譲ってくれた物だ。最初は気付かなかったが、何かしらの祝福が与えられているらしく、魔法や呪術を防ぐ上、切ることが出来る」

「へぇ、それは重宝するな。刃渡りは少し短いが、充分過ぎるほど戦力になる。こんな貴重な物をさらりと譲るなんて、その戦士はどんな人物なんだ?」

「知らん」

 あまりに素っ気ないティルダールの言葉に慌てたのは、アルフェスだった。父親の言葉数が少ないことにアルフェスは慣れているが、大好きなシルヴィアにそれで嫌な思いはして欲しくはない。そういう意味では、父親のティルダールより、幼いアルフェスの方が人の心の機微きびに敏感だった。加えて、幼い身の上で、父親に足りない部分の補佐官としての役割を担ってもいる。

「全身真っ黒の若い戦士だったんだって。長い髪と服が黒で、テュールがエリィを捜し疲れて寝ている間、僕を看ていてくれたって───僕は覚えていないんだけど……。馬も譲ってくれたって。それから、綺麗な緑の瞳なんだって」

 何度も繰り返し父親に聞いていたのか、アルフェスは急いで知っていることを話す。すると、シルヴィアがアルフェスに両腕を差し出して傍においでと促し、戸惑いながら近くに来た子供をぎゅうっと抱き締めた。

「アルフ、そんなに慌てなくても大丈夫だ。ワイズ卿が大いに言葉足らずなのは、もう判っている。こんな幼い息子に気苦労を与えるなんて、困った父上だな」

 シルヴィアが優しく云うと、アルフェスは嬉しそうに頷き、父親は気まずそうに頭を掻いた。

 アルフェスが可愛い───それは心の底から本当だ。けれどもこうして抱き締める時、鼻先をくすぐるお日さまの匂いを感じる時、無垢で無邪気な笑みを向けられる時、自分でも不思議に感じるほど強い、胸に差し込む痛みを覚える愛しさが溢れる。まだ出会って長い時間は経っていないというのに、この愛しさが何処からやって来るのか、シルヴィアには解らなかった。

「ところで、何かいいことを教えてくれるといっていたな?」

 この話はここで終わり───と、区切りをつける為か、単に話題を変えたかったのか、唐突にティルダールは背後の扉の向こうへ声を掛けた。

 ティルダールがそう訊いたのは、一味の女の言葉を真に受けたわけではなく、少し休んでふと思い出した事に、後回しにしていた好奇心が動いただけである。

「そう───そう言ったわ。あなた達は、弟の生命を奪わないでくれた。だから、約束は守らなくてはね」

 かたりの一味が口にするには、滑稽こっけいなまでに律儀りちぎな言葉だった。

 だが、現時点で判明している彼女のし方を考えれば無理もない。聖都で魔法使いになる教育を受けた者。賢者と呼ばれる魔法使いには成り得なかったが、自らを術者と位置付けている者───彼らは力を持つ言霊ことだまを操る者だ。自らの言霊を裏切れば、あらゆる術は効果を成さなくなり、持ち得た守護も背中を向ける。だからこそ、軽々に自らの言霊を違えることはしないのだ。

「あたしは聖都で、賢者よりも占者に向いているといわれたわ。だからでしょうね。一目見て判った」

 手枷で拘束された両手で胸に下げた護符タリスマンに触れ、遠い夢を見るような瞳で彼女は告げた。

「あなた達は二人とも、それぞれにとても強い星の加護を受けている。他の人に比べて特に大きい星というわけではないけれど、とても───とても強い輝きを持つ星……。その星の輝きは、他者がいだく星にも影響を与え、落ちる影も濃く・深くなる」

 いつしか女は完全に両目を閉じ、温もりを感じさせない平坦な口調で先を続けた。

「あなた方が、それぞれ別に捜している大切なものは、同じ南に指標がある。けれども南には、あなた方を見ている大きな凶が存在している。二人───どちらにとっても同じ。生命を惜しむのなら行かない方がいい」

 驚きと困惑と、曖昧な希望を宿した二組の視線が、素早く交差する。

 彼らが向かおうとしている海は、ここから南の方角にあるのだ。

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