海へ至る道

─── 1 ───

「おい、大変だっ!」

 早朝から姿が見えなかったサジムが、ただ事ではない様子で駆け込んで来たのは、長旅の疲れがあった旅の一行が、遅めの朝食を取り終わった頃だった。遅いとはいっても、朝日はまだ昇ったばかりで、作物の世話をするサジム一家が、とりわけ早かっただけのことである。

 それぞれに色が違う三色の瞳が興味深げに向けられる中、三十路みそじをとうに過ぎた男は、呼吸が整うのも待たずに身振りで何かを伝えようとした。

「まあ、落ち着いて話せ。何処で、何が、どうしたんだ?」

 ティルダールが手近にあった水差しを差し出すと、サジムは一息にそれをあおった。

「村に───“竜の戦士”が来ている」

「はぁ?」

 大人達の口から、揃って間抜けな声が漏れた。唯一、無邪気に瞳を輝かせたのは、幼さ故に世界の構造が単純なアルフェスだけである。

「“竜の戦士”って、竜の戦士?」

「そうらしい」

「わぁ……テュール、会いに行こうよ」

 それが本当であるのなら、ティルダールにもシルヴィアにも否はない。会ってみたいと思う方が当然だった。

 このユリティスの王国において、竜の戦士の存在を知らない者は居ないのだ。

 それは、不死者にして放浪者、王の中の王。人のみならず、光の精霊から闇の生き物までもたばねる、伝承伝説の総元締めともいうべき存在である。

 王国と誰しも口にするが、実際にこの世界の上に君臨する王や王朝は存在しない。敢えていうのであれば、竜の戦士が王であり、聖都を本拠地にする魔法使い達が王の頭脳兼臣下なのだ。しかしこの王は、“唯一の王”と呼ばれながら統治も君臨もしない。故に各地方の統治は、コ・ルース・リィンやイムヘルのような地方領主に任されている。いわば、領地=小王国なのだ。この“王国”の権限が発動されるのは、人や幻獣、精霊達の手に余る、世界の根源を揺るがす大変動が起こった時に限られた。

 では、それ以外の平時の時、の王はどうしているのか?

 ちまたでは、世界のありとあらゆる土地を巡り、生命の在り様を監視しているのだと云われている。それを肯定するかのように、様々な地方・あらゆる時代に、真偽の定かならぬ“竜の戦士”に関する大小の伝承・逸話が語り継がれていた。

 王の実際の行動を把握しているのは、聖都の魔法使いの上層部のみとされているが、誰がその行方を尋ねても、確たる答えを得ることはない。実際にの王に出会ったとされる人々もまた、申し合わせたように同じ台詞を口にすると云われている。

 つまり、『会えば判る』と───故に、人の寿命を超えた長い時の中で、存在し続けていることだけは誰しも肯定するものの、どのような容姿なのかすら伝えられていない伝説の王にして戦士なのだ。

 そんな訳で、人々は“竜の戦士”と聞いただけで、一斉に色めき立つ。英雄に対する純粋な憧憬どうけい一抹いちまつの不安が、人々の胸を強く揺るがすからだ。

 の王が自らの存在を明らかにするのは、未曾有みぞうの災厄が迫っている時だけなのだから。

 それら諸々の口伝くでんや、このユリティスの王国に住まう者の当然の好奇心から、農家に逗留していた旅の一行も、野次馬よろしく噂の元を見に出かける事にした。サジムの話によると、の人物は、村の中央にある広場に面した村長の家を訪れているらしい。

 四半刻ほど歩いて村の中心部まで来ると、すでに広場には人垣が出来ていた。ティルダールはアルフェスを抱き上げ、興味津々の息子の要求に応じて、前列の方に進んで行く。人波を押し退けて行く逞しい背中に隠れて、シルヴィアとサジムもちゃっかり付いて来ていた。

「しかし、戦士様、それではあまりに……」

 最初に聞こえたのは、困惑しきった老人の声である。その声の人物に、ティルダールは微かに覚えがあった。この小さな村落の村長の声だ。

「俺の頼みが聞けぬと申すのか」

「いえ、そういうわけでは……」

「では、従ってもらおう」

 広場が視界に入ると、小柄な村長に相対しているのは、大柄・長身の戦士らしい偉丈夫の男だった。

「顔は悪くないが、派手な男だな」

 一目見て、シルヴィアがぼそりと評する。

「まあな」

 確かにその男は、整ったといえる男らしい顔と豪華な金髪の巻き毛の、人品卑しからぬ風情ではある。しかし、身に着けている物は人目を惹く、もしくは逸らす、何とも評価し難いものなのだ。

 広い背を覆う長いマントは鮮やかな赤。分厚い胸板を覆うよろいは、掌よりやや小さい金属の板を重ねた鱗鎧りんがいと呼ばれる物で、実戦においては実用性が高いが、何故かギラギラとした緑色だ。額には竜を象った金細工のサークレット、これ見よがしに下げている幅広の段平だんびらの柄頭も竜の頭をあしらってある。

 全体に自己主張が強過ぎる上に、取り合わせ自体、趣味が良いとはいえない。

 コ・ルース・リィンの領主の城で、衣服も武具も装飾品も本当に良い物を見る機会が多かったティルダールと、女性全般の傾向として審美眼の厳しいシルヴィアにとっては、見るに堪えない───というのが、正直な感想だ。

 前面に立っている偉丈夫の男から少し下がって背後に控えている、側近らしき五人の男も派手さでやや劣りはしても似たり寄ったりで、唯一魔法使いのローヴをまとった小柄な六人目だけが、過度な装飾を控えている人物だった。

「何をおっしゃっているんだ?」

 話の成り行きが判らないサジムが、近くに居た同じ村の住人に訊く。

「数人の女を差し出せと仰せなんだ。聖都に連れて行くからと。それに、聖都に向かう路銀を献上するようにと……」

 この小さな村にとっては、女性もまた貴重な働き手だ。ましてや、余剰の蓄えがあるような裕福な村ではない。

 来訪者に聞こえないよう囁き合う声に、怒声が被さった。

「王国の命運に係わることなのだぞっ!」

 巨体の男に迫られて、村長が小さな悲鳴と共に座り込む。

(これは、だな)

 ティルダールとシルヴィアは、同じ事を考えていることを視線のみで確認し合った。

 全く、王国の命運と女や金に、どういう関係があるというのか……。確かに、戦をするには資金が必要だが、そこに“人知を超えた”という形容詞が付く場合には話は異なってくる。精霊や魔物を相手にする時に、そんなものはほとんど役に立たない。ましてや女と来れば、生贄いけにえおとりにする以外に、どんな役割があるというのだろう。

 そもそも、の王が、賢者である魔法使いを伴って「聖都に向かいたい」と云うのであれば、馬でも宿でも食料でも、出し惜しむユリティスの民は居ない。それほどまでに民にとって、の王は神に近しい存在なのだから。

 だまされる方も騙される方なのだが、そこは田舎の一農村の素朴さ───国の在り様や戦の成り立ち、そこに何が必要であるのかに通じていないのは、いわば当たり前の事なのだ。

 困惑する村民達が、どう対応してよいのか判らずに立ち竦んでいると、“竜の戦士”を自称する一行は、集まって来た村の者達を見回して、図々しくも勝手に指名を始めた。

「そこの黒い髪の女、それから栗色の髪と金髪の娘、あとは───おお、その女だな。白髪とは毛色が変わっているが、なかなかいいだろう」

 最後の一人に指名されたのは、事もあろうにシルヴィア・リューインだった。背の高いすらりとした体形と純白の髪で目立つ上、惹いた人目を満足させるだけの美貌であるが故に、当然といえば当然である。

(わたしは、ああいうやからが嫌いでな)

 他の者には聞こえない声で囁きながら、剣呑けんのんな笑みを連れに向ける。

(ちょっと行って来る)

(連中も気の毒に)

 わざとらしく溜め息を吐きながら答えるティルダールに、見事な早業で鋭い肘鉄を喰らわせ、何事も無かったかのようにシルヴィアは堂々と進み出た。

 急所を外して当たった痛みに苦笑しながら、ティルダールもこの後に起こる事態に備える。剣士の心得として、ティルダールもシルヴィアも帯剣しているので、そちらは問題ない。ただ、二人が自由に動くには、アルフェスの安全が必須条件だった。

「サジム、頼めるか? 出来ればあまり前に出ないで、少し下がっていてくれ」

「ああ、俺の命に代えても」

 張り詰めた表情で応えるサジムと、その腕の中から不安そうに見詰める愛息子に、ティルダールは心を許した者にしか見せない柔らかな笑みを向けた。

「念の為に───だ。大丈夫、二人が危険になるようなことにはしない」

 父親に盤石ばんじゃくの信頼を持つアルフェスの表情が、ぱっと明るくなる。

「テュールは強いもんね」

「ああ、それにリューインもな」

 二人が大好きなアルフェスの安心し切った笑みに笑い返し、当面の敵に向かうべくきびすを返したティルダールは、すでに熟練の剣士の顔になっていた。

「ほお、お前は剣士か?」

 一方で、他の娘たちや座り込んで動けない村長より前に出たシルヴィアの腰の物を見て、自称“竜の戦士”が云う。

 ティルダールやアルフェス以外の者には、シルヴィアのさり気ない行動の意味は解らなかった。怯え、震えて、及び腰の娘達の間を通り、真っ直ぐに頭を上げ、自分を誇示するように堂々と進み出たのは、来訪者達の注目を惹く為───他の者達をかばってのことなのだ。

「はい。ですが今は、自ら以外にあるじを持たぬ身。戦士様のお役目に、不肖の我が身がお役に立つのであれば幸いでございます」

 シルヴィアは、音楽的な声で唄うように告げ、流れる舞のごとき礼をした。

 剣士と戦士とでは、似ているようで大きな違いがある。同じように戦いを生業なりわいとする者でも、剣士のほとんどは仕えるべき主や国を持ち、戦以外にも多くの義務や責任を負っている。だが、戦士持つのは自らの身体一つで、矜持きょうじや責任感などは個人的な問題になるのだ。たった一人の主を見い出して、その個人に生涯を懸けて仕える者もいれば、傭兵紛いの仕事を点々とする者、盗賊崩れになる者もいる。ただ、どちらを名乗るにしても、自分にある程度以上の自信が必要なのは同じだった。

 シルヴィアが殊更ことさらにしおらしく振る舞っているのは、相手を推し量っているからである。単なるかたりの集団なのか、それ以上の事をしでかす連中なのか───それによって、据える灸の大きさも変わってくるというものだ。

「されど戦士様、我が身をお預けする以上、お役目の一端なりともお聞かせ願えませんか?」

「うむ、民の耳をはばかること故、後ほどな」

 自称“竜の戦士”は動じた様子もなく、鷹揚おうようと頷いた。

「では、御無礼ながら、あなた様が本当の“竜の戦士”様だという証明を望みます。同行を求められた娘達にも、家族がございます故」

 言葉だけでいえば、下手に出ているようにも聞こえるが、整った白い面に浮かんだ氷の如き笑みには、明らかなあざけりが籠められていた。


『お前ごときが』


 和やかさの欠片もない漆黒の双眸が、そう語っている。それを正確に読み取った側近の男達が色めき立つのを、唯一武器を持たない者が止めた。

「私が連れであることで、証明にはなりませんか?」

 全身を覆う長いローヴの下から語り掛ける声は、高い響きを持つ女性のものだった。そして、殊更にローヴの内に長さのある何かを持っていることを誇示する。賢者の杖を持つ者だと主張したいのだろう。

 真の“竜の戦士”の第一の臣下が、魔法使い達であることは周知のことである。だが、杖を持っているからといって、それが賢者の杖であるとは限らない。そもそも、それを見分けることは、シルヴィアにもティルダールにも出来ない。そして、口先だけのことであれば、何とでも云えるものなのだ。

「あなたが本物の賢者様ならば、是非ぜひもない」

 言外に、魔法使いであるのならそれもまた証明するようにと、シルヴィアは主張する。

 ローヴの女が更に言葉を重ねようとするのを、自称“竜の戦士”が手で制した。男が辛うじて保っている平静さの薄い皮の下で、何か別のものがうごめき始めている。

「どう証明して欲しいのだ?」

 低く唸るような問いに、シルヴィアは冷たくもあでやかな笑みで答えた。

「手前も剣士の端くれであります故、多少は腕に覚えもございます」

「よかろう」

 剣士とはいえ、たかが女一人と思ったのだろう。応じた男は、むしろ緩やかな動作で幅広の段平を抜く。

(抜いたか……)

 注意深く成り行きを見守っていたティルダールは、シルヴィアの申し出に躊躇ためらいなく剣を抜いた自称“竜の戦士”の評価を、心の中で数段階落とした。真に強き者であれば、そう簡単には剣を抜かないものだ。自分より弱いと見做みなした相手であれば、余計に───相手が女性となれば、尚更に。

 この一件だけで、剣の腕が立つかどうかは別にして、人としての器の大きさが推し量れる。つまり、自分が“王”ではないことを、この男は行いで証明したのだ。

 村ではまず見ることのない凶刃を目にして、来訪者達を取り囲んでいた人の輪が、低い悲鳴と共に広がった。おかげで、見物人の前の方に移動していたティルダールは、意図せず人の輪から押し出される形になった。

 自称“竜の戦士”の器の小ささもさることながら、すでにただの喧嘩好きだとしか思えないシルヴィアの言動に、つい苦笑いが浮かぶ。彼女は、背に庇っていた者達に手で下がるよう合図をしながらティルダールの表情に気付き、目だけで笑みを返した。

 そして、決して慌てることなく優美な動作でさやが払われ、陽の光を受けて輝くものの数が増える。シルヴィアの剣は、ティルダールのそれと似た両刃の長剣だった。

 息詰まる、短い無言の対峙を経て、 “竜の戦士”の方が先に仕掛けた。

 段平という剣は、切る為の物ではなく、剣そのものの重さと振るう者の力で叩き伏せる武器である。当然、膂力りょりょくが勝る者ほどその威力は倍増し、優れた使い手であれば、鎧ごと人間をまきのように叩き割るともいわれている。“竜の戦士”は、その本来の使い方通りに重い武器を上段から振り下ろした。

 唸りを上げて襲い掛かる一撃をまともに受けていれば、シルヴィアの長剣は簡単に折れていただろう。折れはせずとも、明らか過ぎる力の差で、剣を取り落としていたに違いない。

 だがシルヴィアは、正面から力勝負をすることなく、軽く受けただけで上手く力を受け流した。

 立ち合いが始まるやいなや、速い拍子で打ち合う金属音が立て続けに響き渡る。

 立て続けに襲う慣性を無視した斬撃ざんげきを、シルヴィアが踊るような軽いステップでかわす。力任せの攻撃は、分かる者が見れば無駄な動きが多く、連続技とはとてもいえない。

 対してシルヴィアの動きは、風が吹き抜けるように自然で、途切れない剣舞を見ているかのようだった。滑らかな動作に合わせて額の赤いサークレットが揺れ、肩ほどの長さの白髪が白銀の光を反射して流れる。襲い掛かる凶暴な牙を、たわむれるように受け流し、一瞬触れる刃から火花のような銀光が弾けた。

 だが、流麗な体捌たいさばきよりも、陽射しを受けて輝く剣光よりも、シルヴィア自身から放たれる生命ある輝きこそが美しいと、誰もが思うだろう。

 そう考えて、ティルダールの胸の底をちりりと鈍い痛みが奔った。

 懐かしい───というには、あまりに苦い既視感きしかん

 エリア・シルヴィアもまた、人並み外れた輝きを放つ生命を持っていた。そしてこんなふうに、行く先々で収集しているとしか思えないほどの厄介事を、何かと持ち込んでいたのである。『何とかなるさ』と、朗らかに笑いながら……。

 しかし、不意に甦った物思いに浸っている余裕はなかった。周囲に沸き起こったどよめきが、状況の変化を報せてきたのだ。

 風が大樹の枝を潜り抜けるように、シルヴィアが“竜の戦士”の懐深くに飛び込んでいた。

 近接戦になると、威力を発揮するのにある程度の間合いを必要とする段平は、武器としてかなり不利になる。更に彼女は、慣れた素早さで剣を逆手に持ち替え、左手でつばを握り、下から上へと変則的な角度で切り上げたのだ。

 偉丈夫の男は、紙一重の差でそれを避ける。“竜の戦士”を名乗っているだけあって、それなりの技量を持ち合わせているのだ。さもなくば、シルヴィアの剣は心臓かあごの下に致命的な一撃を与えていただろう。

 鱗鎧りんがいを構成する緑色の金属片が、同じ色の光を振り撒きながら飛び散る。瞬きひとつの間に、相手の攻撃範囲から逃れたシルヴィアは、主人の身代わりとなった防具を大きく切り裂いていた。

 一連の動きを見て、ティルダールの鼓動が不自然に跳ねる。

 イムヘルで初めて出会ったあの喧嘩騒ぎの時は、アルフェスを庇っていたこともあって、シルヴィアの健闘を見ている余裕はなかった。だが、こうして改めて見ていると……。

(今のは、ただのフェィントだ)

 無意識の言い訳がするりと零れる。


 そうだ───そんな筈はない。


 男の剣士に対して、女の剣士はどうしても体格と力で劣る。それは、どうしようもないことだ。しかし、戦う者として立つ以上、味方に庇われる存在であってはならない。劣っている部分を補い、拮抗きっこうし、凌駕りょうがする為には、自分が優勢に立つ為の技術が必要だ───そう云ったのは、十歳を越えたばかりのエリア・シルヴィアだった。

 彼女が他者より優れていたのは、体重が軽い故の身軽さと女性ならではの柔軟な身体、そして勝機を見出だすセンスと機転───それらを日々の努力で磨き上げ、変幻自在な剣技を自分のものとして習得したのである。

 ちょうど、たった今見たシルヴィアの剣技のように……。

「この女……」

 “竜の戦士”の顔に、新たな怒気がみなぎる。それに呼応して五人の側近がじわりと動いた。ティルダールが自分の内側に気を取られていたのは一瞬で、彼らの不穏な動きを見逃しはしなかった。

 さりげないながら、明らかに妨害の意図で動いたティルダールに、側近の男達が問答無用で切り掛かって来る。ティルダールの方もまた、わざわざ話をする気はなかった。

 五対一と男対女の、どちらがより不利だろう。

 どちらにしても、訳も判らず成り行きを見守る村人の中にすら、この連中が彼の“竜の戦士”の一行だと思っている者は、もはや一人として居ない。

 大いに理想化されているとはいえ、の伝説の王がこんな無頼ぶらいを働くわけがないのだ。

 五対一───決して油断出来る状況ではない。だが、これまでになかった状況でもない。ただし、最初から本気で掛からねばならない数の差ではあった。

 周囲の動きを察して、シルヴィアの視線が素早くティルダールに向けられる。ティルダールは、『そっちに集中していろ』とばかりに、素っ気なく手を振っただけだった。

 自称“竜の戦士”の一行にしてみれば、のこのこと多数対少数のいさかいの場に出て来た旅の剣士は愚か者だ。故にその技量を測ろうともせず、数の優勢だけしか考えられない無謀な一人が、真正面から切り掛かって来る。

 ティルダールは、最初から手加減をする気は無かった。

 この地を治める領主の居城から遠い小さな農村の人々は、一国の統治が如何いあかなるものなのか、戦というものがどのように行われるかを知らない。知らなくて当然なのだ。彼らがしようとしていたのは、その素朴さ故の無知に付け込む卑劣な詐欺行為だ。指名された女達が連れ去られた場合、今後どういう運命が待ち受けているのかは想像に難くない。

 義憤もある。だが、それ以上にティルダールには、この村の人々には返しきれない程の恩義があるのだ。

 戦力は、弱いところから確実に削っていくもの───正面から向かって来た相手を、ティルダールは抜き打ち様に一振りで切り捨てた。彼の利き手は左。下げている剣の位置からそれを察することも出来ない未熟者は、意表を突く角度からの斬撃ざんげきに全く対応出来ず、握っていた剣もろとも両肘から先を失った。

 精緻な造りの人形の一部のように転がる剣を握った腕と、血飛沫ちしぶきき散らしながら転がる男の叫び───それらを背後に置き去りにして、ティルダールは残りの男達との距離を、一気に詰める。

 それまで、ほとんど自分から動かなかった剣士の、鮮やかな静から動への転換。その極端な変化に、そして何が起こったか分からないまま仲間が一人減ったことに、側近の男達は狼狽うろたえた。それに付け込まないという手はない。

 熟練の度合いの差、場数の差は、致命的な対応の遅れを生む。武器を持って戦う者は、無意識に彼我の得物の間合いを計っているものだ。だが、ティルダールは走る速度を緩めないまま、その間合いを無視して、二番目に先行していた男の懐深くに飛び込んだ。剣を抜いているのならば、剣を使う筈だという先入観を逆手に取ったのである。

 抜いた剣を振るう間すらなく、ありえない近さ剣士の存在を感じた男は、驚愕を長引かせることは出来なかった。走り込んだ勢いそのままに、腹に柄頭を叩きこまれ、体が前のめりになると、顕わになった首筋に体重の乗った一撃を食らい意識は暗転した。

 止めを刺すのは後でいい。要は、戦力を削ればいいのだ。

 残り三人───瞬く間に二人倒しはしたが、すでに残った三人は警戒している。この後は、そう簡単にはいかないだろう。それにもう一人……。

 ティルダールが特に警戒しているもう一人───魔法使いを名乗る者は、定石通り全体を見渡せる最後尾に控えていた。

 彼女もまた、魔法使いを詐称さしょうしているだけならば問題ない。だが、何らかの術を使えるのであれば、最も危険だ。剣士であるティルダールには、魔法の種類など判らない。もしも彼女が、“魔法使い”と呼ぶに相応ふさわしい術を行使出来るのであれば、戦況は大きく変わる。

 それら全体の状況を読みながらも、ティルダールは走る速度を緩めなかった。奇襲は速度が重要だ。浮足立った相手が、冷静さを取り戻す間を与えてはならない。

 真っ直ぐに走り込んで来るティルダールに対して、残った三人は正面と左右に展開し彼を取り囲もうとする。数で勝る以上、それが当然だ。ただし、ティルダールに彼らとまともに打ち合う気があれば───である。

 左右から襲って来た剣戟けんげきを弾き返し、ティルダールはそのまま二人の間を走り抜けた。背後を取られることなど気にも留めていない動きは、普通ではあり得ない。それどころか、正面の相手に至っては一合たりとも刃を合わせず、勢いのままに体を倒して足から地面を滑り、敵の足元を潜り抜けたのだ。突破することだけを考え、攻撃も防御も放棄した正気の沙汰とは思えない行動だった。

 それもその筈、ティルダールが狙っているのは、魔法使いを名乗る女なのだから。

 数で勝る敵の戦力をぐのなら、最も弱いところから。

 潰すのであれば、最も危険なところからだ。

 瞬く間に至近に迫った敵に、女はローヴを払って杖を向ける。

 その先端から強い光が放たれた時、ティルダールはその正面に立っていた。

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