─── 4 ───

 サジムが当然のことのように云った通り、その夜は彼らの家に泊まった。ティルダールも断るつもりさえなかったのか、あっさりと話がまとまる。一人旅の時もずっと、金銭を払って宿に泊まるか野宿かの二択だったシルヴィアとしては、連れの知り合いの家に泊まるというのは新鮮な経験だった。

 一般的な農家の造りであるサジムの家は、家族が集まる場所や土間を含む作業場は広いが、個別の部屋は少ない。老夫婦の部屋とサジム夫妻の部屋、本来は上二人の子供達の部屋であり、以前ティルダールとアルフェスが使っていたという部屋の三つで全部だ。その子供達に譲ってもらった一部屋に、シルヴィアとティルダール父子は泊まることになった。最初の最初から同室で、野宿の時も一つの火を囲んでいたのだから、今更問題はない。サジム一家の方は、何やら多少気にしていたようだったが……。

 二つ並べられた寝台の間にある小卓に、この家には少ない貴重なランプが一つ。揺れる炎の弱々しい灯りの中で、黒い影にみえるティルダールが甲斐甲斐しく息子の面倒をみている。薄い革のベストと丈の長いブーツを脱ぎ捨てただけのシルヴィアは、片方の寝台に転がって、見るとはなしにティルダールを眺めていた。

 これまで、他人と深く関わらなかったこともあり、自分の過去を捜すことや自分に過去がないことばかりに拘ってきた。けれども、徐々にこの男の事情を知るにつれ、過去にはいい事ばかりがあるわけではないと改めて知った。───本当に、今更の事ではあったが。

「ワイズ卿の故郷というのは、何処なんだ?」

 唐突な質問に、ティルダールは寝息を立て始めた息子から視線を外し、連れの方に向き直った。

「そこを出て来たということは、何か嫌なことでもあったのか?」

「急にどうした?」

「ちょっと訊いてみたくなっただけだ。───嫌なら、答えなくてもいいぞ」

「嫌なことなどない。別に隠していたわけではないからな」

 ティルダールは寝台の端に腰掛け、好奇心で黒い瞳を輝かせている連れを、目を細めて見詰めた。

 いつもどこかで一線を引いていたティルダールの態度が、今夜は何だか少し違う。この家に来て余程寛いでいるのだろう。

「俺が育ったのは、コ・ルース・リィンという名の領地だ。妻は……エリィは、そこの領主の一人娘だった」

「領主の一人娘っ! おぬし、もしかして主の娘をさらって来たのか?」

 呆れたように云うシルヴィアに、ティルダールが苦笑を漏らす。

「それだけを聞くと、大抵の人間はそう思うだろうな。だが、攫われたのはむしろ俺の方だ」

 うつぶせになり、猫のように体を伸ばしたシルヴィアが、肘を付いた手で細い顎を支え、興味津々に『そうなのか?』と呟く。そんな様子見ていると、微かに胸の奥がちりりと痛んだ。

 彼女のこういうささやかな仕草は、その容姿よりも遥かに、今は傍らに居ない伴侶を思い起こさせる。エリア・シルヴィアもまた、ティルダールだけにはひどく無防備に接していた。一度怒らせると、百年は祟りそうな激しい一面を持ちながら……。

「話せよ。そこはどんな所なんだ?」

「コ・ルース・リィンは高原地帯に近く、草原と森と湖に囲まれた美しい所だ。俺は九歳の時に両親を亡くし、湖の対岸の領地から父親の友人であるコ・ルース・リィンの領主に引き取られて、移り住んだ」

「それは……悪いことを訊いたな」

「構わんさ。俺はコ・ルース・リィンで充分に幸福だったからな。養父である領主は、俺をエリィや弟で一人息子のシェンと分け隔てなく育ててくれたし、多くの仲間や師にも恵まれた」

 思えば、息子であるアルフェス以外の人間に、こんなふうに昔話をするのは初めてである。

 長い夜になりそうだった。




 コ・ルース・リィンは、ユリティスの王国最大の三つの湖に囲まれた領地だ。

 この領地は、神々の視点から見れば、王国の中央よりやや北東に出来た水溜りに浮かぶ、ささやかな緑の島に見えるかもしれない。しかし人間達の尺度で測れば、湖の一つ一つは、対岸が見えないほどに大きい内海ともいうべきものだ。コ・ルース・リィン自体もまた、島と呼ぶには広すぎる草原と森に恵まれた土地だった。

 この三つの湖のほとりに、三つの領地がある。北端の領地は北方山岳地帯との親交が深く、鉱物資源に恵まれている。南端の領地は高地を含む草原地帯との交流が深く、王国随一の名馬の産地だ。一方で、中央にある最も広い湖と主だった広い街道が通るコ・ルース・リィンは、水陸両方の交通の要所として、また湖を縦断する大河の上流と下流のすべての都市の物資と文化が集まる都市として、他の二領地とは一線を画した存在だった。

 ティルダールが産まれたのは、南端の領地のヴェラール・ティアである。しかし、幼くして両親を亡くし、コ・ルース・リィンの領主に引き取られ、苦も無くその場所に馴染んでしまった彼としては、産まれた土地に対する拘りなど無きに等しいものだった。

 ティルダールの養父となったコ・ルース・リィンの領主は、最愛の奥方こそ亡くなっていたものの、忘れ形見である一男一女があった。領主は、旧友の息子と我が子を等しく扱い、惜しみなく慈しみ、叱りながら育てた。

 領主の長男であるシェイン・フィル・ドリアス・ヴァイラルはティルダールより五歳年少で、突然現れた義兄にたちまち懐き、機会さえあればせっせと後を付いて歩いた。

 そして、長女である彼より二歳年少のエリア・シルヴィア・ネイ・ヴァイラルは───出会ったその日から、常にティルダールの傍らに在った。

 前でも後ろでもなく、常に隣に。

 諸々の勉学に励む時も、剣術や馬術の訓練の時も、子供らしい悪戯や遊びに明け暮れる時も……。

 勿論、やむなく別々に行動する場合もあった。

 ユリティスの王国のどの地方でも、十二歳を越えるとそれぞれの性別と生まれに相応する教育を受ける。農業に携わる者は大人と一緒に農地に出て季節ごとの作業を習い、商売に携わる者は帳場で実務的な読み書き計算を教えられる。領主の子は統治する者として、剣士の子は戦う者として───やがて十五歳を数える頃には、経験不足の若輩者であっても一人の働き手として見做みなされるからだ。

 エリア・シルヴィアは統治する者の一族として、ティルダールは統治者の側近及び剣士として、別々の教育を受けることは当然ある。それでも、二人がお互いに最も近しい間柄であることに変わりはなかった。

 兄妹のように、親友のように、ちょうど二つで一組の翼のように。

 未来がどんな形で存在するか、まだ子供だった二人に予測出来よう筈もない。成人すれば、それぞれの役割で別の職務に就くこともあるだろう。あるいは、別々の伴侶を選び、個々に家庭を営むのかもしれない。だがそうであったとしても、二人が二人とも、現在傍らに在る相手が互いの視界から消え去ることなど考えもしなかった。手を伸ばせば届く場所に、呼べば応える距離に居ると信じて疑わなかったのである。それほどに、互いの温もりは在って当然のものとなっていた。

 その当然のものが、揺るぎないものではないと知らされたのは、ティルダールが十六歳、エリア・シルヴィアが十四歳の浅い春のことである。

 この頃には、ティルダールは城塞の警備や領地の巡回に加わるようになっており、エリア・シルヴィアは領主である父親の名代を務めるようになっていた。そして、普段は剣士見習いと同様の少年にしか見えない服装をしている彼女だったが、公式の場に出る装いをすると、近い将来に咲き誇る華の蕾の香りを持ち始めてもいた。

「南から、お前に婚儀の申し入れがあった」

 コ・ルース・リィンの領主が、本来ならエリア・シルヴィアにのみ伝える話の場にティルダールを同席させたのは、領主である以前に父親として、二人の事を熟知していたからかもしれない。

「分かりました」

 一瞬の驚きの後、エリア・シルヴィアは銀髪を冠のように結い上げた頭を真っ直ぐに上げ、笑みさえ浮かべて答える。

「領主の娘としての役割は心得ています。南の地、ヴェラール・ティアとの関係は、長きに渡って緊張が増す一方。彼の地との婚姻が成立すれば、出口が見えないまま張り詰めた糸も緩みましょう」

 愛娘の聡い答えを聞きながら、それでも領主は渋い顔を崩さなかった。

「ただ、一つだけお願いがございます。輿入れの時の私の側近にテュールを加えてくださいませ」

 敢えて願い出るまでもなく、それは承知の上だろう───エリア・シルヴィアの口調はそう語っていた。

 申し合わせたわけでもなく、ティルダールも無言で領主に頭を下げる。自分の気持ちもまた、片割れと同じであることを示す為に。

 確かに、領主はよく承知していた。二人を巡り合わせたのは、領主自身である。二人が共に過ごした年月の分、彼らの睦まじさを見守ってきたのだ。そして、年齢にそぐわないほど聡明なこの二人であれば、公私を混同して、自ら悪い立場を作ることはないと信頼してもいた。

 それでも……。

「それはならぬ」

 縁談の話を聞いても、僅かな驚きしか示さなかった若い二人が、予想もしていなかった答えに顔色を変えた。

「何故です?!」

 エリア・シルヴィアが、銀色の髪を引き立てる濃い藍色のドレスの裾を引いて、父親に迫る。

「わたくしもテュールも、自分の立場は心得ております。それに、他の領地に輿入れする時に、最も信頼できる側近を連れて行くのは普通のことではありませんか?」

「確かにそうだ。私も、愛娘の安全を託する相手として、テュール・シン以上の者は居ないと思っている」

「では、何故?」

「一つは、お前達の魂が近過ぎるからだ」

「けれども、わたくし達は───」

 更に云い募ろうとしたエリア・シルヴィアを、領主は手を上げて止めた。

「判っている。普段、お前達の近くにいる者達も判っているだろう。だが、それが通用するのはコ・ルース・リィンの中でだけだ。更にいえば、お前達を幼い頃から知っていて、その来し方を見て来た者達だけが理解している───ともいえる」

 つまりそれを反せば、二人を知らない人間にとっては、本来の姿とは違うように見えるということである。

「もう一つの理由は、輿入れ先がヴェラール・ティアだという事だ。テュール・シンの父親が、ヴェラール・ティアの前領主の甥、現領主の従弟に当たることは知っておろう」

 勿論、知ってはいた───が、まるっきり忘れていたことでもあった。

 これまで、ティルダールの過去───ヴェラール・ティアにおいての立場について語られる事はなかった。ティルダールが骨の髄までコ・ルース・リィンの人間になっている現在、それを語る必要は無かったのである。

 二人は肯くことも忘れ、知ってはいたが、改めて重要な話として聞く事情に、緊張した面持ちで耳を傾けた。

「彼は、文武に秀でた中々の傑物でな、今のテュール・シンのように信頼に値する人物だった。だからこそ、我がコ・ルース・リィンにも領主の名代として度々訪れ、私とも個人的に親交を深めたのだ。それが災いしたといってもいいだろう───本人は、領主の座に対する野心を持っていなかったのだが、周囲に居る者達がそうなることを望んでいたのだ。また、それが手に入る立場にもいた。それ故に、現領主からは政敵と見做されていたのだ」

「では、テュールの御両親が亡くなったのは、まさか……」

「それは判らぬ。他の領地に属する我々は、追求することすら出来なかった。だが、彼の一人息子を、あのままヴェラール・ティアに置いておく訳にもいかなかった事も確かだ。そのテュール・シンが、お前の側近として故郷に戻ったとしたら、どのように思われるか判るであろう?」

 いくら本人達に他意がないとはいえ、潜在的対抗国の姫がかつての政敵の息子を伴って輿入れすれば、それだけでヴェラール・ティア内部に疑心を生む。それだけで済むのであればまだしも、疑心暗鬼に陥った者達が、先走って二人に危害加えるかもしれない。

 コ・ルース・リィンが後ろ盾にあるエリア・シルヴィアはともかく、名目上ただの側近であり孤児であるティルダールは、ヴェラール・ティアに入国すること自体が、生命の危険を伴うことになりかねないのだ。

 事の深刻さを改めて理解して、若い二人は語るべき言葉を失った。

「今すぐに答えを出す必要はない。私は父親として、お前達のことを理解しているつもりだ。無理強いはしない。よく話し合いなさい。三日後に改めて返事を聞こう」

 二人はただ頭を下げ、父親であり義父である領主の部屋を辞した。

 三日───それは、七年の月日を清算するには、あまりにも短い時間である。

 領主の身内として多くの責務を負うことになるだろうとは、二人が二人とも考えていた。その事に対して、胸の内に秘めた責任感や決意もある。だが、離れ離れになるのだと告げられた時から、二人は途方に暮れてしまった。

 一時的なものではなく、ほぼ一生を終えるまでの時間を会う事も出来ずに暮らす───そう告げられ、ふと想像しただけで、いとけない子供の頃に戻ってしまったように心細い。

 一旦、エリア・シルヴィアと別れたあと、ティルダールは足の向くままに見張り場のある望楼へと向かった。いつも、何か考えなければならない事がある時、ティルダールはそこに行くことが多かった。

 有事の時でなければ人けがないのも理由の一つだが、見晴らしの良い場所で吹き抜ける風を感じていると、思考が明晰になっていく気がするからである。

 だが、今夜ばかりは勝手が違う。大地と空の境を彩る残光を眺めてはいたが、まとまった思考は働いていなかった。

 ヴェラール・ティアで両親と共に暮らしていた日々の思い出が、全くないわけではない。けれどもそれは、記憶に残らないほど幼かった頃を含めた九年で、使用人を含めた家族だけの思い出だ。実の父親が政変に巻き込まれていたのを知ったのは、コ・ルース・リィンに来てからしばらくしてからのことだった。

 今では、コ・ルース・リィンに来てからの思い出の方が、長く、濃厚なものとなっている。ほとんどの場合、自分が他の領地出身である事を忘れているほどだ。そしてそれは、エリア・シルヴィアが存在しなければ成り立たない思い出でもあった。

 いつも、どんな時でも、彼女は自分の傍に居た。そう───たった今、静かに背後に現れたように───彼女にしか持ち得ない光輝で、歩むべき道を照らしていてくれた。

 お互いに声を掛けることもなく、望楼の端で肩を並べる。

 視界の端に見えるエリア・シルヴィアは、華美な礼装を脱ぎ捨て、外を駆け回るいつもの服装に着替えていた。正面を切って見なくても判っている。短いチュニックと細いスラックス、膝上まである革のブーツ───女の服を着ている時よりも思考が明快になると、公式行事の場以外はいつもそんな服装をしているのだ。

 城塞の中でも有数に高い場所にある望楼では、昼夜を問わず強い風が吹いている。それ故に、互いの温もりを感じるほど近くに立っていると、長く伸ばした流れるような銀髪と癖の強い黒い巻き毛が風に煽られてなびき、毛先が戯れるように触れ合った。

 通常は単に城塞と呼ぶことが多かったが、正確には、コ・ルース・リィンは城塞都市だった。巨大な円を描く高い外壁の中に街があり、無数の人家や商店が立ち並んでいる。領主を含む政に携わる人々や、警備や治安、時には他の領地との戦いに臨む剣士達が住む城は、外壁内のほぼ中央に建っている。

 高所から見下ろすと、人々の小さな営みの灯りが、眼下に星の海のように広がっていた。その灯りの一つひとつは二人が守るべき民であり、守るべき生命の灯火なのだ。どんなに高尚な統治する者の心得を説かれる時よりも、この場所から地上の星々を見詰める時の方が、自らの肩に乗る責任と使命感を強く感じる───ここは、二人にとってそんな場所だった。

 人は、比較することが出来る筈もない二つの望みを同時に抱いた時、そして、どうしてもその片方しか選べない時、何を以って望みの一つを選び取り、また捨てるのだろう? 何処で、どんな理由でその一線を引くというのだろう?

「…どうしよう……」

 エリア・シルヴィアの呟きは、ティルダールに向けてのものではなかった。おそらく、声が漏れたことにさえ気付いてはいない。今回の問題が提示されてからずっと、考えて、考えて、考えあぐねた末に、心の内が漏れ出たに過ぎなかった。

「よく考えなければな」

 そう答えたティルダールもまた、思考の迷路の中を彷徨い続けている。その証拠のように、傍らに居る片割れに横顔を見せたまま振り向かない。

 先程の今で答えが出せるほど、若い二人にとって簡単な問題ではないのだから。

「断ることが出来る話であれば、義父上が初めから断っているだろう。俺達が出す条件など、あの方はとうに判り切っておられる筈だからな。───つまり、それだけ強硬に迫られたということだ」

「そんなことは判っているわ。だから困っているのよ」

「そう、事は俺達だけの問題ではない」

 固い声で云って、ティルダールはようやく相棒を正面から見た。

「場合によっては、ヴェラール・ティアとの戦になるだろう。そうなれば、多くの民人が巻き添えになる」

 エリア・シルヴィアは、同じ年頃の少女達に比べると背が高い。それだけではなく、同じ年頃の少年達の中にも彼女より小さい者がいる。

 しかし、ティルダールと並ぶと、彼女の方が頭ひとつほど背が低かった。年月が過ぎて行くごとに、二人の体格の差は誰の目にも明らかになっていく。初めて出会った頃は、多少ティルダールの方が大きいという程度だったのだが、今や身長も体の厚みも、彼の方が断然逞しくなっていた。

 それでも、体格の差をものともしないものが、エリア・シルヴィアの中に在る。

 大の男を相手に回しても、決して怯むことをしない気迫。淀むことのない風にも似た、軽やかで優しく、時に苛烈で強靭な気性。

 コ・ルース・リィンを訪れる季節風───風花を乗せた美しくて鋭い銀の風にも似た輝かしい魂が、彼女の華奢な身体に宿り、内側から輝かせているのだ。

 状況に依っては、孤独で辛い年月になったかもしれない日々を、エリア・シルヴィアが明るい陽の光の下に置いてくれた。そして、これからも続く更に長い年月を、この相棒無しで過ごすことなど考えたこともなかった。

 それらの物思いを、ティルダールは表情に微塵も出さなかった。そうしてはいけないような気がして、懸命に堪えた。

 彼の迷いは、そのまま相棒の判断の曇りになるだろう。だから……。

「少し、互いに頭を冷やして考えよう」

 耳に聞こえるぎりぎりの音量でそう云うと、応えを待たずに背を向ける。長く話していれば、否応なく本音が漏れ出てしまいそうだった。

 そのティルダールの袖を、白い手が引き留めた。

「ひとつだけ、正直に答えてちょうだい」

 嘘を許さない鋭い瞳が、真っ直ぐにティルダールの目を覗き込んで来る。

「この話を聞く前、テュールはこれからをどう考えていたの?」

「別に……俺は、これからもお前と居ると思っていた」

 判り切っている筈の答えを返しながら、ティルダールは振り払うというにはあまりに優しい仕草で、エリア・シルヴィアの手から離れた。




「ヘタレ男」

 隣の寝台の上から、容赦のない感想が放たれる。

 全くその通りなので、ティルダールとしては苦笑するしかなかった。

「さっさと連れて逃げればいいのに」

 シルヴィアの意見は、簡単で明瞭───外側から見ていれば、確かにそうなのだろう。

「戦場や敵地だったら、すぐにそうしただろうな。だが、味方の内に居て、自分達が逃げると味方のすべてを危険に曝すと判っていて、そんな選択は出来なかった」

「だけど、結局そうしたんだろ?」

 それを云われれば身も蓋もない。しかし事実だ。

「主犯がお姫さまだというのは、何となく判った。それで、剣士さまはどんなふうに攫われたんだ?」

 どうも、事の顛末を話し終わるまで、今夜は眠らせてもらえそうになかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る