─── 3 ───
往生際悪く、いつまでも渋い顔が抜けきれないティルダールを仲間外れにして、シルヴィアとアルフェスはあっという間に打ち解けた。
昨日の険悪な雰囲気が、今日もずっと続いたらイヤだな───と、心密かに思っていたアルフェスをそうっと起こしたのは、なんとシルヴィアだった。寝起きから驚いて、水色の大きな両目をぱちくりさせていると、シルヴィアは唇に人差し指を当てて、声を出さないように合図する。それに黙ったまま頷くと、彼女は
何があるのかと寝返りを打とうとするアルフェスを、シルヴィアは指先の動きだけで止め、実に器用にそうっと毛布ごとアルフェスを自分に引き寄せ、指差したものと幾分かの距離を取る。
父親のそれと比べると随分か細く見える腕が、毛布付きのアルフェスを軽々と操り、男のように
(そっか……剣を振るんだから、力はあるよね)
色々な意味で驚きが冷めないアルフェスは、今更の事に気付く。そんな子供なりの困惑に気付かないシルヴィアは、自分の手元に抱き寄せた小さな耳の傍で、聞こえるか聞こえないかまで低めた声で囁いた。
「何だか見た事がない、面白い状態に父上がなっているんだが?」
「あ、テュール、まだ寝てるの? すっごい珍しいよ」
「そうじゃなくて……」
アルフェスの背中側で眠っていたのは、当たり前だがティルダールだった。小さな息子の証言によると、朝寝坊をしている父親というのは珍しいらしい。その彼の上や周囲に野生の鳥達が群がっていて、シルヴィアが云うところの『面白い状態』を作り出していたのだ。しかも、二人が近くで多少動いても、逃げる気配がない。
「別に食われているわけではなさそうだが、どうして鳥が集まっているんだ?」
眠っている間に鳥に食われるというのはぞっとしない想像だが、あまり子供向けではないシルヴィアの発言に、アルフェスは楽しそうにくすくすと笑った。
「時々ね───時々あるんだよ。こんな感じ」
「こんな感じ?」
「鳥さん達は、テュールのことが好きみたい。ものすごぉく好きな子は、テュールが起きていても頭とか肩に乗るんだよ」
「それはそれは……見てみたいな」
充分に好い男の部類に入るティルダールだが、にこやかな人間だとは言い難い。その男の黒い巻き毛を鳥が巣に見立てて乗るのであれば、近寄りがたいと可愛いの落差がさぞ楽しい事になるだろう。
くっつき合ったままで、二人は二人とも同じ想像をしてしまったらしく、目が合った途端に吹き出してしまった。
「実に和みそうだが、そもそも何故そうなるんだ? あの鳥達は野の生き物だろう?」
「えっと、名前の力? 古語のコトダマにマナがあるからって聞いたけど、よく判らない。ただ、テュールの名前には、鷲の魂って意味があるんだって」
「なるほど、鷲は鳥の王というわけか……」
古語とは、おそらく魔法言語で知られているルーンのことだろう。マナは真名か───だとすると、聞き慣れないコトダマの意味も自ずと想像がつく。だが、そのせいだとしても、この男に小鳥が戯れかかるという図は───。
禁断の想像をしてしまい、シルヴィアは込み上げる衝動が抑えられなかった。アルフェスを抱え込んだまま、草の上をジタバタしながら笑い転げる。勿論、アルフェスには危険が及ばないように。
「朝から、何を騒いでいるんだ?」
シルヴィアに釣られてアルフェスも笑い出し、二人して何故笑っているのかも判らなくなるほど草
「ちょっとな───ちょっとアルフと親交を深めていただけだ」
まだ笑いの名残が残った表情で云われても腑に落ちないが、ティルダールは敢えて追及しなかった。アルフェスがあんなにはしゃいで笑う姿を久し振りに見たから───そして、昨日までどこか
だが、それでも、簡単な朝食を済ませていざ出発となった時に、愛息子がシルヴィアの馬に乗りたいと云い出した時には、さすがに心中穏やかではなかった。
知らない土地を点々と巡る旅の中では、出会う様々な人々がすべて良い人だとは限らない。故にティルダールは、常々アルフェスに、無闇に知らない人間を信用したり、付いて行ってはいけないと事あるごとに云い聞かせている。
しかし、現に共に旅をする相手を警戒しろと云うわけにもいかず、渋々ながらも許可を与えてしまった。
「気にしなくても平気だよ」
嬉々としてシルヴィアの鞍に
「テュールが駄目だっていったら絶対に駄目だけど、いい時は本当にいいんだよ。だから、わりとシルヴをシンヨウしてるんだよ」
シルヴィアは目を丸くして、自分の半分もない大きさの子供を見た。
年齢のわりに聡く賢い子供だとは思っていたが、本当にその通りのようだ。きちんと理の通った言葉の裏には、子供なりの経験と、父親の判断に対する絶大な信頼が感じられる。
「アルフは父上が好きなんだな」
その信頼が微笑ましくて、つい言わずもがなな事を訊く。その問いに、アルフェスは満面の笑みで答えた。
「うん、大好き───ねぇ、テュール、このまま真っ直ぐ行くと海だよね」
街道の左側を並行しながら、進行方向に向かって流れていく河を指差して問う。
「そうだ。この河の流れ込む先が南海、海を渡れば多島海だ」
父親の答えを聞いて、アルフェスは好奇心に水色の瞳を輝かせた。
「じゃあ、海に行くの?」
「おや、アルフ、海は初めてなのか?」
「随分以前に一度行ったが、まだ小さかったから覚えてないだろう」
「うん、覚えてないから、初めて」
「このまま行けば海だが、その前に寄る約束をしている所がある。そこまでおよそ三日といったところだ」
『約束』と聞いても、この地方を通ったのが今よりもっと幼くて覚えていないアルフェスと、二人に同行し始めたばかりのシルヴィアには関心の持ちようがない。特にアルフェスは、父親の話でしか知らない海の方に俄然興味があった。
「ねぇ、シルヴは海を見たことがあるの? どのくらい広いの?」
「それは……」
「テュールから聞いたんだけど、塩が強くて飲めないんだって。知ってる? 海に流れ込む河の水は飲めるのに、それが飲めなくなるほどの塩ってどこにあるの?」
いつもはティルダールに向けられる子供故の素朴な質問が、今日はすぐ傍にいるシルヴィアに向かう。
子供の疑問は、素朴故に答えるのが難しい。おおよそ知ってはいても、説明することが出来ないこともあるのだ。
「えっと、海を見たことはあるが、どのくらい広いのか確かめたことはないな。ただ、海より大きくて広いのは、空だけだと思う」
慎重に考えながら、シルヴィアは出来るだけ判り易い言葉を選んで答える。
「塩がどこから来るかは知らない。けれど、口に入っても飲み込めないほど塩っ辛いのは確かだ」
「そんなに?」
「そんなに、だ」
二人の罪のない問答を聞いているティルダールの口元に、微かな笑みが浮かぶ。
アルフェスには、父親として旅の路上で出来る限りの知識を与えて来たが、ティルダール以外の大人と会話する機会がないことを、ずっと気に掛けて来た。物事に対する意見も見解も、人の数だけある。物心つく前からずっと旅をしている息子に、それを知る機会を与えてやれない事を負い目のように感じていた。
初めて得た旅の連れが、そんなアルフェスに
穏やかな天候に恵まれたのどかな風景の中を、一行は他愛もない会話をしたり・しなかったりしながら進んだ。
主に話をしているのはアルフェスとシルヴィアで、もっと正確に表現するなら、すべてに好奇心旺盛なアルフェスの疑問に、シルヴィアが懸命に可能な限り答えているという構図だ。ティルダールが口を開くのは、シルヴィアが答えに
「シルヴは、精霊や幻獣に会ったことある? 王国にはたくさんの彼らがいるんだよね?」
「いる───とはいわれているが、会ったことはないな。確か、先の大戦の時に、急激に増えた人間と争わないように
「誰が分けたの?」
「それはやはり、王だろう」
かつて、ユリティスの王国と双子世界であったガイエの王国の命運を賭けた、とてつもない戦いがあった。人間も精霊も幻獣も、すべての力を合わせてようやく乗り越えられた戦いだったと伝えられている。前線に立ち、その陣頭指揮を執ったのが彼の伝説の王だったと───今では、ただ大戦とのみ語り継がれている戦いだ。
話の続きをティルダールが引き取る。
「現実問題としては、幻獣達が住む場所は、山岳地帯や深い森林の中が多い。こちらから訪問しなければ、出会う機会もないだろう。精霊は、人が住む街や野山にもいるらしいが、こればかりは彼らが姿を見せる気になるか、彼らを見る力がないと会えないだろうな」
そんなふうに、今すぐの問題ではないことを話しながら進めるのは、大河の下流に向かう旅が、上流に向かう旅より幾分楽だからだった。
下流に向かうにつれ、徐々に川幅が広がり行き交う船も出てくる。街道そのものも少しずつ広くなり、大きな荷車を引く商人も増えて来るのだ。
特に今の季節は、この周辺の土地は余り危険ではない。穏やかな気候と豊かな農地に恵まれたこの地方は、交易が盛んなこともあって街道筋に宿が集まった村も多く、飢えとも縁が薄い。人と物が多く動く場所であれば、近隣の領主も治安に力を注いでいるものだ。
しかも、実りの秋である。街道に沿って植えられた果樹は、街道を行き来する人々の為のもので、そこに生った実は誰が食べてもいいことになっている。人でも、獣であっても。食べることに満たされる貴重な季節の中では、人も獣もしばしの平穏を貪っていることだろう。
やはり、どの地方でも旅に不向きなのは冬だった。野山の植物は眠りに就き、物資の流通も滞りがちで、人も獣も飢えている上、天候に依っては簡単に行き倒れてしまう。
だからこそティルダールは、冬になる前に海辺の大きな港町に行くつもりだった。港町であれば、冬でも金銭を得る仕事に困ることはない。日雇いの荷運びの人夫は、いつでも人手不足だ。旅に不向きな季節に、敢えてアルフェスを連れて強行するつもりはない。随分以前には、それで痛い思いをしたこともある。
その街で冬を越し、春を待って───その後のことは、まだ何も決めていない。
まだ、決められなかった。
イムヘルを出立して四日後の正午前に一行が到着したのは、これまでにも幾つか通り過ぎて来た村々と大差ない、こぢんまりとした農村だった。
ティルダールが『寄る所がある』と云った時に予想した、どんな所とも異なる極普通の村に、連れの二人は困惑した。こんな所に何の用があるのかと、
だが、ティルダールはそんな二人の戸惑いには構わず、さっさと村の中に入り、どんどん奥へと進んで行く。
仕方なしに後を追いながら、シルヴィアは改めて村を観察した。
シルヴィアもまた、自分を捜す旅の中でこの街道を幾度も行き来したことがある。だから当然、この村も通った筈なのだが、全く以って覚えがない。それほどに、ありきたりで特徴のない小さな村なのだ。おそらく、住人は二百人といないだろう。
しばらくしてティルダールは、村外れにある農地の前で馬を降りた。さほど大きくも小さくもない畑で、一人の男が野良仕事をしている。歳の頃は三十代半ばぐらいだろうか。畑の向こうに見えるのが、男が住む農家なのだと判る。
野良仕事をしていた男は、農家とは縁のなさそうな剣士に見える旅人を、不審そうに見つめた。
「サジム?」
確認するように、遠慮がちにティルダールが声を掛ける。男ははっと身を強張らせ、更にまじまじと旅人を見た。
「ティルダール・シン・ワイズ───テュール・シンか?」
やっと該当する人間を思い出し、その名を呼びながら駆け寄って来る男には、野で仕事をする者らしく大らかな笑みが浮かんでいる。ティルダールもまた、嬉しそうに間近に来た男の手を力強く握った。
(ふぅん、いい顔して笑うじゃないか)
シルヴィアは目を細めて、連れの男の初めて見る表情を観察した。理由は判らないが、なんだか少し面白くない。
いつも、どこか年齢にそぐわない分別臭さを持っていたティルダールが、本来あるべき若者に立ち返ったように、明るい陽気な顔をしている。『夫』と『父親』の立場を離れたら、彼も普通の青年なのだろう。
「父さん、母さん、テュール・シンが戻ったぞっ!」
挨拶もそこそこに、サジムと呼ばれた男は母屋に駆け込んで行った。
「知り合いなのか?」
一応の遠慮をしながらも訊かずにはいられない。
「まあ、以前ちょっとな」
あまり『ちょっと』には見えなかったが、そこは追及しなかった。これまでの道行で、口が重い男だとは判っている。もっとも、追求しなくても、あとで一方の当事者達が教えてくれたのだが。
「そうかぁ、エリィさんが見つかったのかと思ったけど、別人なのか」
どうぞどうぞとばかりに母屋に招き入れられ、髪に白いものが混ざっている夫婦に紹介された後、そうサジムが云った。
「それで、この子があの時の赤ん坊かい? でかくなったなぁ」
一家は手放しで一行を歓迎し、精一杯のもてなしの昼食を用意してくれた。野宿も多い長旅をしている一行にとっては、変に畏まった豪華な料理より、素朴な味わいの温かな食事の方が数十倍ありがたい。簡単に再会の挨拶を交わした後は、旅の一行も体力を使う仕事をしている一家も、ひたすら食べることに専念した。
そうこうしているうちに、別の場所で仕事をしていたらしいサジムの妻が、アルフェスより少し年上に見える三人の子供達と戻って来て食事に加わる。どうやらこの家族の構成員は、老いた両親と息子夫婦、その子供達の七人のようだ。
再会に伴う昔話に花が咲き始めたのは、ティルダールがイムヘルから手土産に持ってきた良質の茶が、全員に行き渡ってからだった。
「久しぶりね。テュール・シンも大きくなったこと」
「母さん、大きさはあまり変わっていないよ。まあ、大人っぽく、逞しくはなったようだけどな。“戦士のフリ”が、板についてきたじゃないか」
彼らは皆、農夫らしく日に焼けており、土の匂いのする当たり前の村民にしか見えない。放浪の戦士もどきのティルダールとは、どうにもちぐはぐだ。それにも拘らず、ティルダールの方も殊の外寛いでいるようだった。
それに、この関係はアルフェスの記憶以前の係わりらしく、子供も訳が分からないまま、一家に遊ばれている。
「あの時は、こんな子供が赤ちゃんを抱えてどうするのかしらと思ったけれど、何とかなるものなのねぇ」
「全くだ。真冬に子連れで行き倒れていたのを見つけた時には、何事かと思ったよ」
断片的に彼らが口にすることから推察すると、ティルダールはエリア・シルヴィアを捜し始めた最初の冬に、強行軍が祟って行き倒れ、近くでこの一家に救われた上、一冬をここで過ごさせてもらったらしい。
普通、放浪の剣士や戦士崩れといえばならず者と紙一重なのだが、最初に行き倒れ状態を見た為に、恐がろうにも恐がれなかったのだろう。ましてや、子供の子供連れであれば尚更である。
シルヴィアは、その時の双方の面食らった様を想像して、小さく含み笑いを漏らした。
「それで、こちらの綺麗なお嬢さんは?」
その笑いでシルヴィアの存在を思い出したのか、サジムの母が好奇心を露にして訊く。本当は、最初から訊く機会を伺っていたのかもしれない。
「僕の友達。いっしょに旅をしているんだよ」
いち早く質問に答えたのは、アルフェスだった。
「まあ、そんなところです」
失礼にはならないぐらいには丁重に、ティルダールが肯定する。元々、剣士の教育を受けたと云っていたので、目上の女性に対する礼儀を心得ていて当然だった。ましてや、命の恩人一家の女性となれば、尚更だろう。
「ほぉ、随分と美人で年上の友達だな。こりゃあ、将来は女泣かせになるぞ」
冗談めかした会話と笑い、目立たない温かな心遣い。
友人や知り合いというよりも、家族のようなさりげない関係は、シルヴィアを寛がせると同時にちりちりとした痛みを与えた。
こんなふうに優しい関係を、彼女は持っていない。妬み未満の感情が湧き、少し意地悪をしてみたくなる。
「それで、ワイズ卿は一冬ぬくぬくとお世話になっていたんだ? サジム殿の奥方がいらしたから、アルフの世話も安心だしな?」
かなり棘を含んだ物言いに反論したのは、サジムだった。しかも、棘の存在に気付いていないように、あっけらかんと。
「いやいやいや、ちゃんと働いてくれたよ。雪掻きに薪割り、春の畑づくりから種蒔きまでやってくれた。ほそっこいのに力があるから、俺は助かったよ。まあ、乳飲み子だったアルフの世話は、俺のかみさんに任せておけばよかったしな」
「それに大きな熊をやっつけたんですよ」
「そうっ! すごく大きな熊が村に入って来て」
瞳をキラキラさせて話に入ってきたのは、上の二人の子供達だった。一番小さな子供は、アルフェスと同じぐらいの年齢に見えるので、当時は赤ん坊だったのだろう。何の話か分からず、きょとんとしている。
「ああ、それもあったな。この辺はあまり熊は出ないんだが、森からはぐれた熊が村に入って来て大騒ぎになったんだ。そしたら、外で薪割りをしていたテュール・シンが、持っていた斧一本で走って行って……」
「仕留めたのか? 斧で?」
さすがのシルヴィアも、驚きの色を隠しきれない。
「俺が行った時には、すでに手負いだったからな。追い返すだけでは済まなかったから、仕方なく」
やはりティルダールの感性は少しずれている───と、シルヴィアは思った。問題は、仕留めた理由ではなく、手斧一本で巨大熊を仕留めたという事実にあるのだ。並の技量ではそんなことは出来ないのだという自覚が、この男にはないのだろうか?
「おかげで、あの冬は村も助かった上、食料の面でも助かったのだよ。冬は肉が手に入らなくて、困ることが多いからのう」
サジムの父親がそう云うに至っては、小さな村ではそういう問題もあるのかと、シルヴィアは自分の無知を改めて知った。
「テュール・シン、今夜は勿論泊まっていくのだろう? 俺はもう少し仕事があるから、今日は休んでいろよ」
「いや───せっかくだから、手伝おう」
以前はよくあったことなのか、サジムはティルダールの申し出を特に固辞することもなく、肩を並べてすんなり外に出て行った。その後を、サジムの父親に手を引かれたアルフェスが、興味津々で付いて行く。
「あ……では、わたしも何か───」
「そうね。じゃあ、あたし達の方を手伝ってもらいましょうか」
一人で『客』をするのも、居心地が悪い。シルヴィアのそんな気持ちを察したのか、老若二人の妻がそれぞれに微笑みかけながら誘う。
土間造りの台所で、一家の主婦筆頭として自分より年若い女達にてきぱきと指示を出しながら、サジムの母親は小さく溜め息を吐いた。それでも手は、洗い終わった食器をせっせと拭いている。
「あの子が心配していたより落ち着いていて、本当に良かったわ」
言葉の内容とは裏腹に、彼女の声はどこか沈んでいる。
「それはどういう……?」
「いえね、以前別れる時に、街道を通る旅の人の中にエリィさんに似た人がいるかどうか、気に掛けておいて欲しいといわれていたの。───けれど、いい話が出来なくて」
「でもお義母さん、あの子、前ほど焦った感じはなくなりましたね」
「そうだったんですか?」
「それはもうっ! 行き倒れたばかりだというのに、一刻も早く出発したがって……。アルフちゃんのことがなければ、誰も止められなかったでしょうね。もう、痛々しくて」
云いながらサジムの妻は、陽に焼けた額に皺を寄せた。何年も経っているのに尚そんな表情になるところをみると、その時の様子は、かなり見るに見かねるものがあったのだろう。
「本当は、あなたを見た時にね、ああ、この
旅の連れの昔話を聞きながら、何故かシルヴィアは頬が熱くなるのを感じていた。
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