3:45 AM

 液晶画面の隅には、三時四十五分と表示されていた。

 あぁ、またこの時間だ。

 私は寝台に預けていた上体を起こして、机上の灰皿に手を伸ばした。つい先ほど吸いかけのタバコを放り出した気がしたのだが、懸命に延ばす指先に当たる感触の限りでは、いつの間にか吸い尽くしてしまったようだ。

 つまり、タバコが切れてしまった。

 それを認識した途端に、うなじより少し上、襟足の辺りがむず痒くなった。

 特段気にしていた訳でも無いのに、ストックが無いと思うと更に欲しくなる例のアレだ。無慈悲な程皮膚に爪を立てそうになり、私は意識して指をキーボードに乗せた。

 三時四十七分。

 決まってこの時間帯。それも丁度、タバコを切らすタイミング。不意に孤独を感じる瞬間がある。

 色々な物事の重なり合いによって無理矢理そんな感情が私の胸からはじき出されたのかもしれない。出掛けようとしたら雨が降ってきたとか、そんな日に限って洗濯物を干していたとか。そういう些細な出来事は重なる。重なり、歪み、窪みができ、更なる重みがそこに転がり込んでくる。ここ最近馴染みのこの侘しさがなのかどうか、私は考えあぐねている。


 花と混じった人間は常に水を飲み、月に一度は、全身に月の明かりを浴びないと生きていけない。


 私は、はいつでも、孤独を隣に侍らせていないと生きていけない。この「混じりけ」の分だけ、身体がそれを欲している。

 一人の空間を寂しいと捉えたことは一度もない。一人でいることが当たり前で、他人と長く刻を共有する方が苦痛を感じる人種なのだ。家族であれ友人であれ、関係性が希薄になったところで物寂しさはあまりない。そんな孤独を感じる頻度より、兄弟姉妹を抱える知人からの生ぬるい哀れみの方が多かったように思う。物事の捉え方なんて人の数だけあるのだ、だからこれもしょうがないことは分かっているが。だから内心、煩わしく感じていたことも、仕様がないことだと思って欲しい。私もかつては青く、硬い果実だったのだ。


 選択可能な孤独。

 それは、抜け出そうと思えば容易くその部屋から出てこられるような、そんなお手軽な。


 私の古くからの友人が、そんな表現をしていたのが鮮明に残っている。の欲している孤独は「本物」ではないと。

 

 襟足のむず痒さが限界を迎えた。

 私は寝台に放っておいたコートのポケットを探り、いつぞやのレシートの成れの果てと鍵を掴み出した。財布を何処に置いたか覚えがなく、窓の外の方が明るいのではと錯覚する部屋を徘徊するうち、それらしい感触を足裏に捉えた。


 私が今感じているコレはなのだろうか。

 かつて憐れんできた人々の視線の真意がコレなのだろうか。

 頻繁に訪れる襟足のむず痒さと、彼らにとってのソレが同じ頻度であるとしたら?

 そこまで考えて私は戦慄した。未知の感情というのは恐ろしい。中途半端に齢を重ねた今は尚更だ。襟足の痒みが、一瞬収まったようにすら思う。動揺のあまり無意味な屈伸を繰り返し、そもそも財布を拾い上げるために屈んでいたことを思い出した頃には、別の案が私の脳裏に浮かび上がった。

 

 月一のに私の目が慣れるまでの不具合なのだろうか。


 私は財布と鍵をスキニーの頼りないポケットに突っ込みながら、つけっぱなしの液晶画面を眺めた。

 当然ながらそこに新着のメッセージはない。

 私はその前にしゃがみこんで、キーボードに手を添えた。ばちばちと文字を打ち込む音が水面越しに骨に響いてくるようだった。送信完了を目前に、液晶の隅で時刻は四時を迎えようとしていた。思わず指を止め、私は二桁の数字を見つめる。

 零が綺麗に並んだところで、私はたった今打ち込んだメッセージを消去した。

 勢いでそのまま電源を落とし、コートとマフラーを引っ掴んで部屋を出た。冷気が肺を満たすと共に、頭がすっきりと冴えていく。

 風が無くてよかった。

 コツコツと高鳴る靴音が賃貸の廊下に反射し、遠くまでのびていった。

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