第二十四話 異能


 三木島の手から注ぎ込まれた魔力によって新たに生み出された十本の触手。

その全ての切っ先が深夜へと向けられていた。


『ちょ、ちょっと深夜! アレ、全部一気に来そうなんだけど! ヤバくない?』

「一気に来るように仕向けたんだ……集中するから、ちょっと黙ってて」


 防御を捨てた三木島の全力の同時攻撃。

 それに対し、深夜は少しでも動きやすくなるように大剣を逆手に持ち替え、左の魔眼を見開いて八岐大蛇の如くうねる触手達の動きに注視する。


「いくぜ、神崎ぃ! あっさり死んでくれるなよ!」

『うわっ、来たぁ!』


――触手の密度が一番薄い場所は……――


 どれだけ攻撃の手が増えようと、人間の意識がそれを操る以上、どうしてもわずかな綻び、空白の安全地帯は生まれる。

 深夜は左眼の未来に、その空白を探した。


「……視えた」


 反射でも予測でもない、予知による針の穴を通すような回避。

 深夜は自らが持つ力を最大限に活かし、わずかに存在した触手の隙間にその身を滑らせ、大樹の波状攻撃を切り抜けていく。


「なんだと!」


 その動きは三木島には、もはや常軌を逸した反応速度としか認識できなかった。


「くらえ。三木島ぁ!」


 三木島の懐、触手による防御が不可能な間合いに入り込んだ深夜は、そのすれ違いざま、逆手の大剣による一撃を叩き込んだ。


「っち、浅いか……」


 しかし、逆手持ち故に攻撃に深夜自身の体重を乗せきれず、更に三木島が両腕を盾にし防いだため、その意識を刈り取るまでにはいたらなかった。

 三木島は二、三歩後退し、両腕をだらりと垂らすが、その表情は狂気じみた笑みを保ったままだ。


「いっつぅ……なまくらな剣ってのは優しいな、神崎ぃ」


――感触的に腕の骨は折ったけど…………アイツ、こっちの剣が斬れないことに気づいて腕を捨ててきた……――


 ラウムの変身した黒鉄の大剣は見た目こそ剣だが、実のところ、その刃に切断能力はほとんどない。むしろ鈍器という方が正しい。

 おそらく三木島は、襲撃事件の被害者達の外傷と、今までの触手への対処の仕方からそれを読み取った。だから、咄嗟に腕で急所を防ぐという判断をすることが出来たのだろう。


「狂っているんだか、冷静なんだか……」


 一見でたらめな狂人のようでいて、行動はおよそ全てが計算づく。

 そのうえで土壇場では躊躇いなく、その計算と合理性を捨て、その場の勢いに身を投じてくる。

 この男の中では狂気と理性が一切の矛盾なく共存しているのだ。


――コイツ、今まで戦ったどの悪魔憑きよりも、面倒くさい――


 大剣を逆手から両手持ちの順手に切り替え、ふらつきの残る三木島に追撃を加えようとする。


「……下からっ!」


 だが、【地面から生えてくる触手の奇襲】を左眼が予見し、回避を優先してバックステップでその場を離れた。


「……へぇ、これも避けるのか。さっきの一斉攻撃の時といい、まるでこっちの心でも読んでいるみたいだな」


――まずい……――


 その回避が軽率な行動だったと後悔するが、それは既に手遅れだった。


「いや、心が読めるっていうなら、悪魔祓いと一緒に俺を探すなんて回りくどいことはしてないか……その剣も、悪魔が変身したってだけで、それ自体は異能とは関係なさそうだ……ああ、となるとお前らの力は『未来予知』ってところか?」

『うそっ! 深夜の左眼がバレちゃった! どうしよ、どうしよう!』

「くっ……」


 流石の深夜も自身のアドバンテージの根源を見抜かれては、歯噛みせずにはいられなかった。

 さらに左眼が視せた十五秒先の景色によって、深夜に戦慄が走る。


「なるほど。じゃあ、をすればいいわけだな!」


 三木島は骨折した両腕をだらりと垂らしたまま、ダンッと音を立てて地面を踏みつける。

 その足元から黒い霧が立ち込める。それは可視化できるほど密度を高めた魔力。

 三木島から漏れる魔力の霧は拡散し、周囲の植物達へと溶け込んでいく。


「アムドゥシアスゥ!」


 その絶叫を皮切りに、温室内の植物達が吸い寄せられるように三木島に向かって伸びていった。


 木々は互いに絡み合い。その樹皮を覆うように草花が咲き誇る。

 三木島を包み込むように植物達は一点に集まり、巨大な草木の卵か繭のような形を取ると、それは雷鳴にも似た魔力が爆ぜる音と共に、その全容を変えていった。


『うっそでしょ……』


 さきほどまでうるさいくらいだったラウムすら、その光景を前には言葉を失ってしまう。

 大樹の幹が捻じれて絡み合った太い四肢と長い首。

 落ちくぼんだ眼孔にも見える空白。牙を模した鋭い枝が立ち並ぶ顔。

 生い茂る草花の鎧に包まれた温室棟の空間を埋め尽くすほどの巨大な体躯。


「大樹の……ドラゴン……」


 それはまさに深夜の口からこぼれたように、植物で形作られた紛い物の巨竜の姿だった。


『「さあ、これはどうするぅ!」』


 三木島の声に中性的な子供のような澄んだ声が混じり、さらに彼の狂気を演出する。


「まずいっ!」


 樹竜となった三木島。その巨大な腕から繰り出される大雑把な薙ぎ払い。

 攻撃範囲が広すぎて未来が視えていても回避が間に合わない。

 深夜はラウムの大剣を盾にしてその攻撃を防ごうとするが、如何せん質量差がありすぎる。


「うわぁあ!」


 抵抗は意味をなさず、深夜の体は抉り削られた地面の土ごと空中に掬い上げられてしまった。


『お、折れるかと思ったぁ! ……って、深夜、前、前!』

「いや、いい……これは大丈夫」

『大丈夫って、どういう――』


 空中に投げ出され、身動きの取れない深夜を叩き落とそうと迫る樹竜の尾。

 しかし、それは深夜の鼻先に迫った瞬間、温室内に銃声が響いた。


『これって……』


 樹竜の尻尾は、風船が破裂するような音と共に無数の木片へと砕け散り、深夜は直撃を逃れた。


「……っと、助かったよ、雪代」


 着地した深夜は、飛散した木片に裂かれた頬の血を手の甲で拭い、灯里を片腕で抱きながら拳銃を構える雪代に礼を言う。


「といっても、退魔銀すらあの巨体には焼け石に水のようですけどね……」


 雪代の言う通り、魔力を打ち消す力を持った退魔銀の弾丸を受けても、爆ぜたのは弾丸が貫通した尾の先端部のみ。

 そしてその断面は不気味に蠢き、成長することによって、既に新たな尾の形成を終えていた。


「あの竜の外装を引きはがして、内部にいる三木島をなんとかしなければ……なんですか、その目は。私、変なこと言ってますか?」

「いや、まだ助けてくれるんだな、って」


 てっきり悪魔憑きであることがバレた以上、深夜も雪代にとって倒すべき敵だと認定されていると思っていた。むしろ、そのほうが自然な流れのはずだ。

 だが、雪代は貴重な銃弾を使ってまで、深夜を三木島の攻撃から助けてくれた。

 そのことを指摘された雪代は、若干顔を赤らめて声を荒げる。


「とりあえずの緊急措置です! 悪魔憑きでも目の前で殺されるのは気分が悪くなりますから、それだけです!」

「そっか。ありがと」


 と、あっさり納得した深夜は剣を構え、樹竜に変身した三木島の動きを注視する。


「そっか。ってそれだけですか! もっと弁明とか! 事情の説明とかはないんですか!」

『ねー、深夜ぁ。コイツニャーニャーうるさいから先に黙らせとかない?』

「お前よりはマシ」

『ひっどーい!』


 ラウムは悪魔祓いである雪代が気に入らないらしいが、深夜としてはこの状況でわざわざ敵を増やす理由もないので、ラウムの方を黙らせておく。


「説明するのは別にいいんだけど、それは三木島を倒した後にしてくれない?」

「あああ、もう! わかりました! わかりましたよ、まったく!」


 もうほとんど自棄になった雪代は銃口を改めて三木島に向けて、深夜の隣に並び立つ。


「で! どうするんですか? 宮下さんを守りながら戦う、というのも簡単な話ではありませんが」

「ねえ。例の弾丸ってあと何発残ってる?」

「退魔銀ですか? さっきまでの戦いで大盤振る舞いしたので、残りは一発だけです」

「チャンスは一回限りか……なんか最近、そういうのばっかりだな」


 先ほどの様子を鑑みるに、あの樹竜に対しても退魔銀の効果はある。あるにはあるが、直径一センチに満たない銃弾のサイズでは、敵の巨体に対して接する面積が狭すぎるのが問題だ。


『「いつまで作戦会議してるんだ? 二人まとめてでもいいから早く俺と遊んでくれよ!」』


 樹竜の背中から三本の触手が新たに伸び、樹竜の四肢の間合いの外にいる二人目掛けて迫る。

 その触手の太さも一本一本がさきほどまでの倍以上の太さに強化されていた。


「まあいいか……じゃあ、雪代は宮下を連れて温室棟の外に逃げてて」

「え? ちょっと、どういうことですか!」


 深夜は一歩、灯里と雪代を守るように彼女達の前に踏み出し、迫る触手を大剣で払いのけて軌道を逸らす。


「アイツをぶっ倒す作戦が一つあるんだけど、二人が建物の中にいたら巻き込むから。宮下のことは雪代に任せる」

「……わかりました」


 雪代は彼の言っている作戦が何なのか、まだ理解しきれていない。

 それでも深夜が灯里を大切に思っていることに偽りはないと信じ、抱きかかえていた灯里を背中に回し、深夜にその背中を預けた。


「死なないでくださいね」


 返答は聞かず、雪代はまっすぐに開きっぱなしの扉に向けて走り出す。


『「逃がすかよ!」』


 樹竜の背から伸びる触手がさらに二本追加され、扉を目指す雪代を襲う。

 しかし、それは再び両者の間に割り込んだ深夜の渾身の一振りによって、地面に叩きつけられる。


「させるわけないだろ。お前の相手は俺だ」

『「流石だな神崎。だけど、未来が視えているなら、これもわかってたんだろう!」』


 叩き伏せられた触手はその場で三つずつに枝分かれし、深夜の周囲、六方向から同時に襲い来る。


――上に跳べば避けられる、けど……――


 左眼の視線をチラリと上空に向ければ、そこに見えるのは【回避のために跳躍した結果、身動きがとれず空中で触手によって串刺しになった自身の姿】。

 つまり、上への回避ルートは意図的に開かれた罠だ。


「…………性格悪いな」


 六本の触手、その交差する中心から半歩だけ身をずらし、右の脇腹、左の太腿、右肩を触手が掠め、衣服の上から肉を切り裂く。


「ぐっ!」

『深夜!』

「大丈夫、急所は避けたから……」


 致命傷は避けてはいても、一つ一つの傷は決して浅くない。

 体を引き裂かれる痛みは堪えきれず、表情は歪み、苦痛の声が漏れる。


『「カッコいいなぁ神崎。だが、その傷でいつまでナイト様を気取れるかな」』

「ああ……流石に、ここまでやられると結構痛いな……」


 ふらりと、深夜はバランスを崩し、大剣を地面に突き立てなんとか持ちこたえる。


『「……まだ諦めてないって眼だな」』

「諦める理由もないからね」

『「武器は剣一本、異能はささやかな未来予知……それで、次は何を見せてくれるんだ? 神崎ぃ!」』


 ズン、ズンと温室棟全体を揺らしながら樹竜が深夜に歩み寄る。


「……ははっ、そっか。そうだよな……」


 近づいたからこそ、三木島はその小さな笑い声が聞こえた。


『「どうした、何か面白いことでもあったのか?」』

「……今まで生きてきてさ、俺の未来予知を見抜いた人間はお前がはじめてなんだ……でも、そうだよな。……」

『「何を……言っている」』

「お前の言う通り、俺は十五秒先の未来が視える……けどね――」


 深夜は迫る樹竜には目線を向けず、ぐっと腕に力を込めて剣をより一層深く地面に突き刺す。


「――勘違いさせて悪いけど、

『「……は?」』


 その言葉の意味を三木島が理解したのは、全てが終わった後だった。


「ラウム……」


 大剣から魔力が黒い靄となって噴出する。


 バチバチと火花のように魔力が爆ぜる音と共に、靄は雷光へと代わり、黒い稲妻は刀身を伝って地を這い、壁を走り、天井へと上り、周囲に広がっていく。

 それはまるで、世界に亀裂が走ったかのように。

 黒い亀裂が温室内を覆い尽くし、一瞬、無音が温室棟を包む。


 ひび割れた世界。張り詰めた静寂の中、その言葉は唱えられる。



「この建物、全部……ぶっ壊せ!」


 次の瞬間、黒い紫電が光を放ち、ラウムの魔力に触れた全てが砕け散った。



 地面は引き裂かれ、壁は破砕し、柱は天井を支えることを放棄して、温室棟は建物の形を失い、瓦礫と鉄塊に変わっていく。


『「なん、だとっ!」』


 崩壊に巻き込まれた樹竜もまた、地盤の裂け目に足を取られてバランスを崩し、そして、その巨体すら上回る圧倒的な質量の暴力に押し潰されていく。


『「は、ハハハハッ! そうか、これが……お前の、お前達の!」』


 ここにいたって、ようやく全てを理解した三木島の言葉は崩落の轟音に飲まれて消えた。


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