第十六話 父と娘と悪魔



 ヒュン。とファミレスでも聞こえた風切り音が深夜の背後と前方、その両方から同時に聞こえた。


「えっ? うわ!」


 鉄門から身を乗り出していた由仁のバランスが大きく後ろに崩れ、体が落下し、その下に現れたセエレによって受け止められた。


「……ほぇ?」


 状況を一切飲み込めていないまま、セエレにぐっと抱きしめられた由仁は呆けたような表情で夜空を見上げている。


「……お怪我は、ございませんか? 由仁様」

「はい……ありがとうござ……ッ!?」


 ゆっくりと体を起こし、自身を助けてくれた存在に礼を述べる由仁。しかし、その言葉は最後まで発せられず、その表情は恐怖に固まった。

 一歩遅れて正門前に駆け寄った深夜は状況を理解し、思わず頭を抱える。


――見られた……――


「あ、足が……それに私と同じ……顔」

「怖がらせてしまい、申し訳ありません。私は、セエレ、貴方様のお父上に仕える……お化けのようなものでございます」

「お、お化け……ですか?」


 悪魔と言う言葉を避けたのはセエレなりに幼い彼女が分かりやすいようと言う配慮だろう。しかし、それでも突拍子もない話なのは変わりない。由仁はオロオロと視線を彷徨わせている。


「あ、神崎さんと和道さんも……どうして、ここに?」


 その結果、今更鉄門の外側にいる二人の存在に気づいたらしく、由仁の疑問は更に膨れて幼い少女の限界を迎えそうだった。


「説明すると、ちょっと長くなるんだけど……」

「二人とも、大丈夫? よっと!」

「あ、ちょっと和道、勝手に……」


 遅れて駆け寄ってきた和道は助走の勢いを活かしてあっさりと施設の正門を乗り越えて向こう側に飛び降り、由仁とセエレに手を差し伸べていた。


「怪我は無い?」

「私は問題ありません。それより、由仁様を」

「あ、私も、大丈夫、です。どこもいたくありません。です」

「そっかぁ、良かった良かった……なんでこっち睨んでるんだよ神崎」

「……いや、もういい。俺もそっち行くから、ちょっと待ってて」


 周囲に人がいないか警戒するとか、警備システムが作動しないかとか、考えるのもバカらしくなってきた。


「でも神崎、大丈夫か? この門、結構高いぞ」

「ああ、うん。最近、こういうのよく登ってるから」

「なんじゃそりゃ」


 少しぎこちない動きではあったが、和道に続いて深夜も施設の正門を乗り越え、コンクリートの地面の上に着地する。


――改めて、こういう施設に来るの初めてだけど、ちょっと幼稚園を思い出すな――


 児童養護施設『ひまわりの家』

 施設の構造は子供と職員の寝食の場である二階建ての幼稚園を思い出させるような建物と、子供たちの遊び場らしい遊具が数台置かれた運動場という形になっている。


「とりあえず、あっちの遊具の所で座ろう」


 深夜はそう言いながら、半分だけ地面に埋まったゴムタイヤが並ぶ一画を指し示し、移動を促す。長い話になるだろうから腰を落ち着かせなければいけない。


 由仁とセエレ、同じ顔の少女達はタイヤの遊具の上にそれぞれ向かい合って腰掛ける。セエレは和道にその体を支えられながら、ゆっくりと、幼い由仁に伝わるように言葉を選びながら、自分が人間ではない事、彼女の父が既に死んでいる事、その父の願いを叶えるために由仁を探していた事、その全てを包み隠さずに話した。


「……お父さん、もういないんですね」


 セエレから父の顛末てんまつ、その全てを聞いた由仁は、不思議なほど落ち着いた雰囲気を纏いながらポツリと呟く。


「はい……貴方様のお父上の命を、私は奪いました」

「ううん。私、まだよくわからないです。けど、セエレちゃんは悪くない。です。お父さんは悪い人、だから」


 悪い人。由仁は父をそう評している。それは由仁にとっては、ある種の諦めが込められた言葉だったのかもしれない。それを聞いた和道はゆっくりとその場にしゃがみ由仁と目線を合わせた。


「俺さ、秋枡のオッちゃん……由仁ちゃんのお父さんと一緒のお仕事をしてたんだ」

「お父さん、と?」

「うん。市街の駅前にあるホウライマートってスーパー、知ってる?」

「……知ってます」

「俺バカだからさ。商品の場所とか値段とか、全然覚えられなくて。その度に、オッちゃんが助けてくれたんだ。他にも他の社員さんとの間を取り持ってくれたり、俺がバイトいけない時に代わりにシフト入ってくれたり、あ、あと店長が実はカツラ被ってる事を教えてくれたりもしてさ」

「それ、何の話してるの……」


 なんとなく話題が脱線しかけている気がしたので深夜が横から軌道修正を促す。


――ほら見ろ、由仁ちゃんの頭上に疑問符が二、三個は浮かんでいるぞ――


「あぁ……話を分かりやすくまとめるのってむずいな……。まあ、とにかくさ! これが俺の知ってる秋枡のオッちゃんなんだよ。だから、あんまり悪く言わないでやってよ」


 最後にはすこしおどけたような表情で頼むように両手を合わせる。


「……やだ」

「あれ?」


 しかし、返ってきた由仁の言葉に、すっかり説得したつもりになっていた和道は面食らう羽目になった。


「わたしは! もっと一緒に遊びたかった! 一緒にご飯食べたり! テレビ見たりしたかったの! それなのに、わたしを置いていったんだもん! さいてーなお父さん!」


 その瞳に大粒の涙を浮かべて、少女は必死に胸の奥に押さえ込んでいた父への恨みワガママを言葉にする。


「海外旅行に行きたかったんじゃなくて、わたしは! お父さんと旅行に行きたかったのに……だから、わたしは、おとうさんを、絶対にゆるさない」


 そして、その少女と同じ顔で、少女の父の記憶を持つ赤い髪の悪魔は静かに、その呪いの言葉を受け止めていた。


 夜空の下、三年分の感情を嗚咽おえつと涙に変えて吐き出した由仁。その声が少し収まった頃に深夜がようやく口を開く。


「泣き止んだ?」

「神崎お前、そういう言い方はデリカシーねぇぞ。はい、このハンカチ使いな」

「ひっく、ありがとうございます。です」


 まだ目は赤く腫れ、しゃっくりが止まらない様子ではあるが、その口調が少し奇妙な敬語に戻っている所から察するにだいぶ落ち着きを取り戻してはいるようだった。


「……眠くて気づかってやる余裕無い」


 悪びれずに掌であくびを隠す深夜だが、由仁の方も深夜の態度に気を悪くしている様子は無く、それどころか、泣き疲れたのか彼女自身もまぶたがとろんと下がりかかっていた。


「まあ確かに、由仁ちゃんももう寝てるような時間だよな」

「……ちょっと待った」


 和道のその発言で、深夜が今更な疑問を口にする。


「そもそも、由仁ちゃんはなんでこんな遅い時間に一人で抜け出そうとしてたわけ?」

「あ。えっと……その……」


 由仁自身もそれがめられた行為ではないという自覚があるのか、少し口ごもるが、すぐに観念したように答える。


「魔法使いさんを、探していました。です」



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