黄昏の龍と終末の魔女
防人 康平
黄昏の龍と終末の魔女
これは、今ではない異国の物語。
とある深い山奥にそれは美しい泉が存在し、精強な龍が住んでいた。
龍はとても心優しく、誠実な者の願いをかなえてくれる存在であった。
ある時、人間の母親がやってきて、龍にお願いします。
「龍さま、私の息子が不治の病にかかり、今にも死んでしまいそうなのです。どうか、息子をお救い下さい」
龍は、母親の願いを聞き届け、自分の血を母親の持ってきた小瓶に詰めると、こう言います。
『この血を息子に飲ませなさい。そうすれば、病はたちまち良くなるでしょう』
息子の元に帰った母親は、さっそく龍の血を息子に飲ませます。
すると、色白い顔色が生気を取り戻し、翌朝には外を駆け回れるほどに元気になりました。
またある時には、村娘がやってきて、龍にお願いします。
「龍さま、愛する彼が兵士として徴兵され、このままでは戦いで彼が命を落としてしまいます。どうか、お力をお貸しください」
龍は、自らの鱗を一枚剥がし、娘に手渡すと、こう言います。
『この鱗を彼にお与えなさい。そうすれば、矢は彼を避け、剣はその身に届かないでしょう』
彼の元に帰った村娘は、ペンダントにした龍の鱗を彼に与えます。
すると、半年後、彼は傷一つ追うことなく、村娘の元に戻ってきました。
さらにある時には、村の長がやってきて、龍にお願いをします。
「龍さま、半月も続く雨で川が氾濫し、田畑を呑み込んでしまいました。もし村が助かっても、これでは冬の蓄えを用意できません。どうか、お力をお貸しください」
龍は、咆哮をあげ、大気を揺らします。
すると、空を覆っていた雲は消え去り、今まで隠れていた太陽が顔を出しました。
『これから畑に種を撒きなさい。そうすれば、今年の実りは豊かなものになるでしょう』
長は村に変えると、村民に種を撒くよう伝えます。
すると、麦は大きく逞しく育ち、その年の冬は誰も飢えることはありませんでした。
龍は、来る日も来る日も、人々の願いをかなえました。
しかし、そんなある日、龍の力を聞きつけた王様が、配下の
「良いか、その龍とやらに、我が国のために戦えと命じるのだ」
すると、知者は王様にこういいます。
「王さま、それでは、敵国も龍の力を借りようとするかもしれません。ならば、我々の願いを叶えた後は、龍がほかの願いを聞けぬようにしなければなりません」
そのことを聞いた王様は、なるほどと頷き、「そのようにせよ」と答えました。
命じられた知者はコクリと頷き、さっそく龍の元へと向かいます。
そして、こう、龍にお願いします。
「龍さま、軍をあげた隣国が我が国へと攻め入り、国を滅ぼそうとしています。どうか、お力をお貸しください」
龍は、力強く翼を一打ちすると、戦場へと飛び立ちます。
そして、大きく息を一吹きし、炎の壁を作り出すと、こう言います。
『その炎の先に進むことは許しません。進んだものは、その身を業火に焼かれるでしょう』
戦いを止めた龍は自分の住処に戻ると、願いを告げた知者がまだ居たことに驚きます。
「龍さま、戦いを止めていただき、ありがとうございます。これは、ささやかなお礼でございます。どうか、お納めください」
そう言って、好物の果物を差し出されると、龍はこういいます。
『やぁ、ありがとう。贈り物なんて初めてだ。本当にうれしい』
龍はたいそう喜び、果物を口にします。
するとどうでしょう。全身を血が巡るたびに激痛が走り、体が動かなくなりました。
全身を覆っていた鱗は剥がれ落ち、力強く空を打った翼もピクリとも動かなくなりました。
龍から溢れ出た毒は水を犯し、毒沼へと変えてしまいました。
龍が毒に侵されたことで、村人たちは龍を恐れ、この地に近づかなくなりました。
全身を襲う激痛と、誰もいない寂しさから、龍は大きな瞳からポロポロと涙を流し、悲しそうに鳴き声を上げます。
その声はか細く、かつて雲を消し去った力強さは見る影もありません。
「どうして、泣いているのですか?」
不意にかけられた言葉に、龍は驚きます。
視線を向けた先には、黒いローブに身を包んだ、見たこともない女性が佇んでいました。
『毒に侵され、動けないのです。毒を恐れて誰もいなくなり、寂しくて泣いているのです』
龍は塩枯れた声のまま、一生懸命に話します。
『でも、うれしいなぁ。誰かと話したのは、何十年ぶりだろう』
龍はポロポロと泣き続けます。
寂しくて泣いているのではありません。
誰かとまた、こうして話をできることがうれしくて泣いているのです。
「私も、私を魔女と恐れた者たちによって、故郷を追われました」
魔女は少しだけ悲しそうにつぶやくと、深くかぶっていたフードを脱いで龍に尋ねます。
「一つ、とある呪いを貴方にかけます。その代わり、私は、貴方の体を治しましょう」
フードに隠れていた彼女の姿はとても美しく、魔女などという言葉とはかけ離れたものでした。
「私の命が失われるまで、決して離れず、傍にいてください。それが、貴方にかける私の呪いです」
『そんな優しい呪いなら、喜んで』
龍は一拍も考えることなく、答えました。
魔女は、空気を撫でるように人差し指で円を描くと、それを唇に一度当て、龍の鼻先にキスをしました。
するとどうでしょう、全身を蝕んでいた激痛は消え去り、熱い鼓動と共に力が湧き上がってきます。
剥がれ落ちた鱗は生え変わり、元の体表へと戻りました。
大きく広げた翼で大気を打ち付け、体いっぱいの力をもって咆哮をあげます。
その声は泉の毒を消し飛ばし、龍に力が戻ったことを世界中へ伝えました。
『あぁ、なんということだろう。こうして再び、自らの足で立てる日が来るなんて』
龍は頭をたれ、こう告げます。
『ありがとう、こうして力を取り戻せたのは、貴方のおかげだ。約束通り、私は永久にあなたの傍に寄り添おう。この命は、貴方のものだ』
それからの日々は、とても幸せなものでした。
龍は魔女をその背に乗せ、色々なところに出かけました。
見渡す限りに広がる海。
雲を突き抜け、その頂が見えない巨大な山。
数百メートルもの大樹が聳える森。
底が見えないほどに深い、大地の裂け目。
龍と魔女は、いつも一緒でした。
本当に、こんな時間がずっと続けばいい。
そう、龍は思っていました。
龍は、心の底から、魔女を愛しており、その思いを伝えました。
それに対し、魔女の答えは違いました。
「私は、誰も愛することはできません。誰かを愛してしまえば、私の力は、失われてしまうのです」
それでも、龍は幸せでした。
想いのすべてを捧げられる相手がいる、それだけで彼は幸福だったのです。
しかし、平和な時間は長くは続きませんでした。
復讐を恐れた王国が、龍を殺すために軍隊を動かしました。
龍にくみした魔女の報復を恐れ、帝国も軍隊を動かしました。
そのことに気づいた龍は、魔女を守るため、覚悟を決めて戦いに赴きます。
心優しい龍は、その優しさを押し殺し、両国の軍隊と戦います。
軍隊の数は圧倒的。
しかし、龍が負けることはありませんでした。
龍が起こす風は矢を吹き飛ばし、鱗は槍をはじき返す。
咆哮は兵士たちに恐れを与え、吐き出した炎はその熱さで進軍を阻む。
誰も彼もが、龍の力には敵わなかったのです。
ところがある日、大勢の人々が龍の元を訪れ、龍にお願いします。
「龍さま、戦を続けるために兵隊たちが村を襲い、多くの怪我人が出ています。どうか、彼らをお救い下さい」
龍の心の優しさを知っていた王国の知者は、わざと村々を襲い、龍の力を消耗させることにしました。
人々の切実な願いに、龍は自らの血と鱗を、人々に分け与えると、こう言います。
『この血を怪我人に飲ませ、鱗を皆に配りなさい。そうすれば、もう災いは降りかかることはないでしょう』
そうして、フラフラになりながら龍が帰ると、魔女は驚いて問い詰めます。
「どうして、力を分け与えたのですか。彼らは、弱った貴方を見捨てたというのに」
それを聞いた龍は答えます。
『それは、私が"龍"だからです。私は、弱い者のために力を奮い、そして守るのです。それこそが、私が龍であることの意味なのだから』
そう言って、龍は戦いへと戻るため、大きな翼を広げます。
「鱗を失い、力の弱まった貴方の体では、敵の槍でも貴方を貫くことができてしまう。お願いです、戦いなど行かず、私と共に居てください」
懸命に引き留めようとする魔女に、龍はとあるものを取り出して、手渡します。
宝石のような光を放ち、金色に輝くそれは、龍自身の"心"でした。
「このようなものは受け取れません。私には、貴方さえいてくれれば、それで良いのです。どうか、どうか……」
魔女は涙ながらに訴えます。
そう、彼女には、龍を治してあげられるだけの力が残っていなかったのです。
龍と共に暮らし、彼の優しさに触れ、世界の美しさを知った。
故郷を失った悲しみさえ、忘れてしまうほど、彼女は深く、ただひたすらに深く、龍のことを愛していました。
『私はいつも、あなたの傍にいます。たとえ、この身が朽ちようと、私の心は、他の誰でもない、貴方に捧げたものなのだから』
そう言って、龍は戦いへと舞い戻り、戦いました。
心を失った龍は、容赦なく殺戮の限りを尽くし、大地を埋め尽くすほどの軍隊を燃やしていきます。
しかし、王国の将軍には、龍の力は届きませんでした。
何故なら、将軍は昔、妻から贈られた龍の鱗を持っていたからです。
そうして、龍は将軍の槍に心臓を貫かれて死んでしまいました。
龍は命を落とす瞬間に、両国の王達にこう言い残しました。
『彼女は私の愛するものだ、彼女に手を出してみろ、我が魂は呪いと共に蘇り、貴様らの国ごと、世界を燃やし尽くすであろう』
この言葉を恐れた王様たちは、龍の体を大陸で一番巨大な火山の火口に投げ落とし、魔女を帝国で最も高い塔の頂上に幽閉しました。
その後、魔女に害をなそうと考えると、どこからともなく龍の咆哮が聞こえるようになった、というお話。
黄昏の龍と終末の魔女 防人 康平 @sakimori_kouhei
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