名簿と炎天下と紫

犬丸寛太

第1話名簿と炎天下と紫

 「これで、あと一人か。」


 俺は同窓会名簿の“出席”の欄にチェックを入れながら一人言をつぶやく。

 全く、面倒この上ない。同窓会の幹事などやるものではないな。

 出欠がわからない奴は残り一名。佐伯沙那という女だ。クラスの誰も彼女の事を覚えていない。卒業アルバムにも写真どころか名前すら記載されていない。だが、俺だけが彼女の事を覚えていた。学校から送られてきた名簿に彼女の名前を書き足したのは俺だ。

 別に、幽霊だとか、在学中に死んだとかそういう事ではない。単純に彼女は一度もクラスに顔を出さないまま転校してしまったのだ。

 なら、なぜ俺は彼女の事を覚えているのか。

 それは、遡る事十年前。

 俺の母校はド田舎のしょぼくれた町の公立高校。

 その女、佐伯沙那に出会ったのは登校初日の事だ。あの時の事はよく覚えている。特に匂いは。




 辺り一面畑だらけの通学路を俺は自転車を飛ばして急いでいた。登校初日から遅刻ギリギリだ。

 代り映えの無い景色が行き過ぎる中、若い女が農作業をしている。朝早くからご苦労なことだと思いながら俺はその横を走り抜ける。初日から恥をかくのはごめんだ。

 その場所を通り過ぎてから一秒もたたないうち、女の叫び声が聞こえてきた。


 「助けて~!」


 どうにも間抜けな声だと思ったが、どうやら必死なようだ。振り返ってみると先ほどの女は農作業をしているのではなく肥溜めにはまっているようだ。腰まで浸かっているので一人ではなかなか抜け出せないだろう。

 俺は自分の恥と他人の命を天秤にかけ、自分の恥を選んだ。再びペダルに力を込める。

 

 「ふざけんなー!」


 今度は完全に怒りの声だ。仕方ない。様子だけでも見に行くか。

 俺は自転車を反転させ、声のする肥溜めの方へ向かう。決して駄洒落ではない。

 近づいてよく見るとどうやら俺と同じ学校の制服を着ている。長い黒髪に白い肌。さながら肥溜めの中に咲く一凛の花と言ったところか。しかし、哀れコイツのあだ名は向こう三年間ウンコウーマンだろう。

 

 「助けに来てくれた!」


 「その辺の草を引っ掴めば出られる。俺は急いでるんだ。学校で会おうぜウンコウーマン。」


 「この薄情者―!」


 なんと女は俺めがけて肥、つまりウンコを投げつけてきた。ゴリラかこいつは。


 「はんっ!命中!」


 この女やりやがった。投げつけられたウンコは見事に俺の制服に命中し、新品の学ランは見るも無残な姿になってしまった。

 

 「さすがにそのままじゃ学校行けないでしょ!さぁ、潔く私を助けなさい!」

 

 三年間ウンコマンの誹りを受けるなど俺には耐えられない。憤懣やるかたないが俺が救いのヒーローになってやろう。


 「ほら早く助けてよー。お姫様がお待ちかねだよー。」


 こんな糞まみれのお姫様などいて堪るものか。


 「ほら、引っ張りだすから俺の手を掴め。」


 「男子と手を繋ぐなんて初めてだよ!なんか恥ずかしいなー!」


 こいつむかつくな。


 「そらっ!」


 俺は思いっきり女を引っ張り上げた。ずるりと肥溜めから這い出る女は某テレビから出てくる幽霊のようでとても怖かった。あと半端ではなく臭い。


 「いやー、助かったよ。死ぬかと思った!お礼にハグしてあげようじゃないか!」


 女はバっと俺に向かって両手を広げて見せる。勢いで俺の顔にウンコがかかった。今日はもう疲れた。家へ帰ろう。

 

 「待って待って!せめて何かお礼をさせてよ!」


 「お礼はいらんから、お前も早く家に帰れ。そのままじゃどうせ今日は学校には行けないだろ。」


 「まぁ、それはそうだけど。」


 「じゃあな。」


 俺はウンコウーマンに別れを告げ自転車へとまたがる。


 「あ、じゃあさ今度の休みデートしてあげるよ!私引っ越して来たばかりでこの町の事よく知らないからさ。」


 なんというか。たくましい女だ。尊敬すら覚える。


 「わかったよ。じゃあ、明日学校で・・・いや、学校では俺に近づくなよ。」


 「嫌な奴だな君は。まぁいいや。じゃあ今度の休み学校の校門で待ち合わせね。朝十時だからね!遅刻厳禁!」


 校門が別の意味に聞こえてくる。早く風呂に入って今日は寝よう。


 走り出そうとする俺に後ろから声が聞こえてくる。


 「助けてくれてありがとう!私、佐伯沙那!これからよろしくね、ウンコマン!」


 俺は走り出しながら片手をあげ返事を返す。


 家に帰り風呂に入りながらさっきの出来事を思い出す。バカげた状況だったが女子の手を握ってしまった。しかもかなり美人。週末にデートの約束までしてしまった。

 これはこれは、情けは人の為ならずとはよく言ったものだ。

 その日はなんだかよく眠れなかった。きっと匂いのせいだ。しかし、柔らかかったな。


 次の日、俺はわざと少し遅めに家を出た。

 もしかしたら通学路が同じで、偶然出会う可能性も無くはない。肥溜めで出会うのはもう勘弁願いたいが。

 しかし、あの女とは出会う事も無く俺は学校へ着いた。ホームルーム中だというのに何やら俺の周囲がざわついている。無念、俺のあだ名が決定してしまったようだ。

 ホームルームが終わり、同じ中学だった奴らと軽く挨拶を交わしながらクラスを見渡してみる。

 あの女の姿は見えない。別のクラスだろうか。それとも上の学年なのだろうか。まぁ、そのうち出会うだろう。同じあだ名を持つ者同士は惹かれ合うものだ。

 しかし、次の日も、その次の日もあの女の噂は聞こえてこない。こんな田舎への転校生だ。少なからず噂になると思うのだが。

 結局その週にあの女を見かけることは無かった。


 約束のデート、もとい町案内の日。特に案内する場所も無いがそれなりにおしゃれをして遅刻しないよう玄関を出る。

 ちらりとニュースを見ると今日は春には珍しく夏日のようだ。まぁ、雨でなければそれでいい。

 冷静に冷静に。俺は兵士たちを前にする上官の如くゆっくりと校門へ向かう。

 早く着きすぎたか。あの女はまだ到着していないようだ。遅刻厳禁と言っておきながらなんて女だ。まぁ、少し位待つことにしよう。

 それから随分と時間が経ったがまだあの女は現れない。手元の時計は約束の時間から三十分ほど先に進んでいる。まさかまた肥溜めに落ちているんではなかろうか。今日は一応、一張羅なのだ。残念ながら俺ではもうあの女は救えない。とても悲しい事だ。

 しかし、待てど暮らせどあの女は現れない。手元の時計が狂っていて、時間を間違えたのかと思い学校の時計と見合わせる。狂いはない。すでに約束の時間から一時間は経っている。

 春とはいえ、夏日との予報だ。空は盛大に晴れ渡り、炎天下の中、俺はじんわり汗をかいていた。

 どうしたものかと考えていると、歩道の脇に溜まった桜の花びらの中に薄紫色の便箋が埋もれている。

 なんとはなしに拾い上げてみると便箋には「救いのヒーローウンコマンへ」と書かれている。人違いのようだ。きっといたずらな春の風がいたいけな乙女の思いを攫ってしまったのだろう。仕方ないその想い、俺が受け止めてやろうじゃないか。

 



”拝啓、親愛なるウンコマンへ。


 ごめんなさい。父の都合で転校することになりました。一度も学校へ行けなかったたことが悔やまれます。急ぎだったので君へのお礼もできなくて本当に残念です。でもほんの少しの間で変な状況だったけど君と出会えたことはこの町での私の唯一の思い出です。

 大切に胸にしまって、次の学校でも頑張ります。最後になりますが君の同志になれなくて本当に残念です。いやー、ウンコウーマンって皆に呼ばれたかったなー!本当に残念!


                                  佐伯沙那


 PS.私の連絡先を書いておきます。さみしくなったらいつでも連絡してね、ウンコマン♡”



 

 全く、最初から最後までふざけた女だ。もし俺がこの手紙に気づかなかったらどうするつもりだったのか。全く。本当にふざけた女だ。

 

 太陽は空の真ん中へ移動を開始し、春とは思えない暑さだ。俺は手紙をポケットにしまい、家路へと着いた。今度は敗残兵のようにとぼとぼと。




 あれから十年。俺はあの女に連絡を取ることはしなかった。始めの頃は緊張して家の電話の辺りをうろうろしていたが、勉強だの部活だのが忙しくなり次第に忘れていった。

 二年生になってアルバイトをして買った携帯にも連絡先を登録することは無かった。

 しかし、同窓会の幹事を任せられた俺は今更になってわざわざ実家へ戻り手紙に書いてある住所へ出欠の手紙を送った。

 引っ越しを繰り返しているであろうあの女の事だ。電話番号も住所も変わってしまっているだろう。そんなことはわかりきっている。わかりきっていたが、なぜだか出さずにはいられなかった。


 当日、名簿の一番下、佐伯沙那の出欠欄は空白のままだ。

 同窓会はつつがなく進行し、俺も友人たちと昔話に花を咲かせた。

 やがて、宴もたけなわとなり二次会へ誘われたが俺はどうにも気乗りがしなかったので断った。当時のあだ名で罵ってくる奴には幹事特権で参加費を倍にするぞと脅してやった。


 友人たちと別れ、俺は自宅アパートへ帰るため最寄りの駅へと向かう。どうやらこの公園を通ると近道のようだ。

 ほろ酔いで歩いていると明かりの下、くたびれたベンチに薄紫色のセミフォーマルドレスを着た女がうつむきがちに座っている。ホラー映画のワンシーンのようでかなり不気味だ。普通の人間なら近づかないだろう。しかし、俺は紳士だ。きっとウンコを踏んづけてしまったのだろう。一つ慰めてやるか。

 

 「やぁ、ご婦人。何かあったのですか?」


 俺はうやうやしく女に話しかける。


 「ええ、ヒールが折れてその拍子に足をくじいてしまって・・・。」


 女は近づいて見てくれと言わんばかりにヒール脱ぎ、俺に差し出す。


 「これはいけない。すぐ病院へ向かいましょう。送っていきますよ。」


 俺はあくまで冷静に、兵士の前を歩く上官のように・・・。


 「かかったな!」


 ぬちゃ


 俺の足の裏から嫌な感触が伝わってくる。


 「やーい、ウンコマーン!」


 この女昔と変わってねぇ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

名簿と炎天下と紫 犬丸寛太 @kotaro3

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ