二日目―夜 キミとふたり、夜に語る
「はー!ほんっと楽しかったー!!」
夜。昼食のあとも泳いだり砂浜で遊んだりと海を満喫した後、ゆりの運転で本日の宿にやってきたあたし達は、ビジネスホテルで夕飯を片手に寛いでいた。
因みに夕食は、その辺のコンビニで確保してきたおにぎりだ。
向かいのベッドに腰掛けたゆりは、サンドイッチをもぐもぐと頬張っていたが、あたしの言葉に苦笑を漏らしながら、どこか疲れた声音で返事をしてくれた。
「ボクはほんと疲れたけどな……まあ、ゆりが楽しんでくれたならええわ」
そう言って、ゆりはにこりと笑う。だけどその答えに、なんだか私はむかむかして、気がつけばそのむかむかは、口からぽろりと滑り落ちていた。
「……ゆりは、どうなの」
「ん?」
ゆりはサンドイッチを咀嚼しながら、こてりと首を傾げた。
「ゆり、この旅行のあいだ、ずっとそればっかり。あたしが楽しかったならいいって、そればっか……」
ゆりは、なんにも答えなかった。だけど、いつもと同じ、感情の読めない瞳が、じっとあたしのほうを見つめている。
まるで、言葉の続きを促されているようなその視線に耐えかねて、あたしは言葉を続ける。否、続けざるを得なかったような、そんな気さえした。
「今回の旅行が自分の我儘だと思ってる負い目みたいなのもあるのかもしれないけど。あたしは、あたしが楽しいだけじゃやだよ。ちゃんとゆりも楽しんでくれなきゃ、やだ。ゆりの口から『楽しい』って言葉が聞けないなんて、そんなの、いやだよ」
「……」
「ねえ、ゆり……ゆりは、楽しい?楽しくない?」
「……楽しくないわけ、ないやろ」
ぽつりと零された声は、心細そうに震えていた。
「楽しくないわけ、ないやん。さくらとこんな風に遊べて、一緒に居られて……ボク、今、すっごい楽しいよ」
そして、ふわりと微笑みながら、ゆりはまるで人誑かしのような言葉を紡いだ。
「ボクは、さくらと一緒なら、何処だって、何してたって、楽しくて嬉しくて、仕方ないんやで」
それはまるで、告白のような一言だった。
ふわりと微笑んだ彼女の表情が、まるであたしを愛しいもののように見つめていたのも、拍車をかけたのかもしれない。
友人からのそんな言葉に、友人の、滅多に見れない優しく綻んだ表情に、あたしは一瞬、返事を忘れて固まってしまった。
ひゅう、という、自身の呼吸音で我に返る。
「そ、そっか!それならいいんだ!いやーよかった!ゆりもちゃんと楽しかったんじゃん!」
独り言みたいに、自分に言い聞かせるように、あたしは慌ててそう言った。動揺を悟られないように、ペリペリとおにぎりの包装を剥いで、ばくりと齧り付く。
慌てて開封したおにぎりは、のりがバラバラになってしまって散々だったし、動揺しすぎて味もよく分からなかった。
黙々と、向かい合ったまま夕飯を消化していく。
普段ならこんな沈黙も穏やかなものとして受け入れられるのに、今日はなんだか、その沈黙があたしを落ち着かない気分にさせた。
それはあたしだけなのか、ゆりは平然とした顔で黙々とふたつめのサンドイッチを食べている。あたしはそんなゆりを、新発売のスイーツ片手にぼんやりと見つめていた。
「……ん?どしたん?ボクになんか言いたいことあるん?」
視線に気付いたのか、ゆりは一旦食べるのをやめて、あたしのほうを見た。日本人らしい、限りなく黒に近い瞳が、あたしをじっと見つめている。
「……明日は、どうするの?」
特になにも言うことはなかったのだが、ふと気になって、そんなことをゆりに尋ねた。
結局ゆりは、この旅行で何がしたかったのだろう。
水族館も、海も、インドア派のゆりが好き好んで旅行先に選ぶような場所じゃない。そもそも、無類の本好きで、何も無い日は家に引きこもって読書ばかりしているような彼女が、わざわざ旅行の計画なんて立てるはずがないのだ。
ゆりとの付き合いは大学に入ってからでまだまだ短いものだったが、それくらいのことは知っている。
だからこそ、不思議だったのだ。
あたしが楽しければそれでいいと、自分はそれほど好きではないであろう旅行の計画を立てた彼女。
そのきっかけは、何だったのだろう。
彼女は何を思って、今回の旅行にあたしを誘ったのだろう。
考えても、考えても、分からなかった。
「……それは」
長い沈黙のあと、ゆりはぽつりと声を零した。
まるで感情がすべて抜け落ちてしまったような無表情で、あたしのほうをじっと見つめて、そして、ちいさな声で囁いた。
「ボクのやりたいことを、しに行くんや」
だから、最期まで付き合ってな?
そう言うと、ゆりは歪に口角を釣り上げて、どこか不気味な笑顔を浮かべる。
「……うん」
その言葉に、あたしはこくりと頷いた。
ゆりのやりたいことに付き合うのは、全然構わない。むしろ、今回の旅行を持ちかけたのは彼女なのだ。彼女がやりたいことをやるのは何ら間違っていないはず、なのだ。
だけど、なぜだか、嫌な汗が止まらなかった。
彼女の笑顔が、怖い。
こんなふうに感じたのは初めてのことで、あたしにもその理由は、分からなかった。
ただただ、漠然とした不安のようなものが、あたしの心に、まるで、しこりのようにこびり付いていた。
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