二日目―昼 キミとふたり、海辺にて

「海だー!!」

翌日。あたしとゆりは、昨日話していたとおり、ホテルから見える海に遊びに来ていた。

「どうする!?どうする!?浮き輪とか買っちゃう!?」

「そうやなぁ。ボクは海に浮かんどくだけがいいから、浮き輪買おうかなぁ」

「えっ買うの!?」

「なんかいかんかった?」

「い、いや、そういう訳じゃないんだけど……あんまりゆりってそういうの買いそうじゃないから」

びっくりした。てっきり、海を前にしてテンションがダダ上がりのあたしのストッパーになるんだろうと思っていた彼女が、むしろ、あたしと同じように海を楽しむ装備を購入しようとしているのだから。

それをそのまま伝えれば、ゆりは、ああ、と気の抜けたような返事をして、淡々と返事をした。

「いや、ボクやって別にそんなに海に入りたくはないで。だけど、さくらをひとりで海で遊ばせるんも、なんか怖いしな……」

迷子になりそうで。そうぽつりと零された言葉に、あたしはムッ、と頬を膨らませる。なんだそれ。まるで、あたしを子供扱いしてるみたいじゃないか。

「そ、そんなことないよ!迷子になんてならないもん!」

「そう?」

「そうだよ!」

じとっとした目をゆりに向けると、ゆりは本当に?と訝しげな視線を向けたが、やがてふっと視線を和らげると、くすりと笑いながら言う。

「まあ、それは冗談や。せっかく一緒に遊びに来とるのに、ひとりで海で遊んだって、さくらもつまらんやろ?付き合ってあげよ思てな」

有難く思いなよ、そう言いながら海の家に向かおうとする彼女に、あたしはがばりと抱きついた。

「うわっ!?だから、そうやって直ぐに抱き着くん止めてって言うとるやん!恥ずかしい!!」

「恥ずかしがらなくていいじゃん!これはありがとうのハグ〜!!ゆりありがとう〜!大好き!!」

やっぱり持つべきものは優しい友人だね!

そう言ったあたしに、ゆりはほんの少しだけ翳りを帯びた笑顔を見せた。

「どうしたの?」

「……なんでもない。気にせんといて。それよりも早よ、浮き輪買いに行こ」

ゆりは、あたしの身体を払い除けると、ふい、と顔を背けて、足早に売り場のほうへ向かう。

あたしは、ぼんやりとその背中を見つめていた。

さっきの表情は、いったい何だったのだろう。

「……さくら?」

着いてくる気配のないあたしを訝しんだのか、ゆりは唐突に、くるりと振り向きながらあたしの名前を呼ぶ。その表情は、いつもと同じ、感情の読めない無機質なものへと戻っていたが。

何故だろう。先程見せた、友人の寂しげな表情が、どうにも頭から離れなかった。


「はーっ!遊んだ遊んだ!」

お昼を少し過ぎた頃。海の家で買った焼きそばをずぞずぞと啜りながら、あたしは大きな声をあげた。

「ほんっと海って楽しい!なんだろうねこの開放感!めちゃくちゃテンション上がるよ!ね!ゆり!!」

「……うん」

そんなあたしのハイテンションと裏腹に、隣に座る彼女はどこかグロッキーな様子で返事をする。手に持っている焼きそばにも、口をつけた様子がない。

「えっどうしたの!?どうしてそんなに元気がないの!?」

「……逆に君はなんでそんなに元気なん?ボク、あんだけ遊び倒したらめちゃくちゃ疲れたわ……」

運転大丈夫やろか、そう呟いたゆりに、あたしは首を傾げた。

「え?もう帰るの?2泊3日って言ってなかったっけ?」

その言葉に、ゆりは、ああ、とやはり疲れたような声音で返事をした。

「いや、2泊3日なんやけどな。今日はまた違うホテル取ってるんや。ほら、朝、チェックアウトしてたやろ……ってそうか、さくら、お土産と水着選びに夢中やったな……」

遠い目でそんなことを言うゆりに、ふうん、と軽く返事をする。

「そうなんだ?じゃあ、今日は何処に泊まるの?」

「市街地にあるビジホやな」

「一気に旅行感消えたね」

「しゃあないやろ。昨日泊まったとこ、宿泊代もそこそこするんやで?そんなとこで2泊も出来るほど、お金なかったんよ」

その言葉を聞いて、あたしは、あっ、と声を上げた。

「そうだよ、お金!」

「はぁ?」

「あたし、ゆりに今回の旅行代全然払ってないじゃん!宿泊代もなんにも!ごめんね今まで気付かなくって」

変な顔をしたゆりに、食ってかかるように言う。そうだ。どうして今まで気付かなかったんだろう。友人に金を支払わせて悠々と遊んでいた自分が情けなくて、思わず泣きそうになる。

「うう……ほんとにごめん……」

そう言うと、なんだか本当に泣けてきてしまって、あたしは焼きそばを食べる手を止め、ぐす、と鼻を啜る。隣に座っていたゆりはぎょっとした表情を浮かべた。

ごめん、突然泣きだしたらそりゃそうもなるよね。申し訳なさで顔を上げられなくなってくる。はぁ、と、隣で、ゆりが溜息をつく音が聞こえた。呆れられたかな。なんだか余計に悲しくなってきて、ますます涙が止まらなくなる。ぽたり。焼きそばのトレイを持つ手に涙の雫が落ちたところで、隣から本当に呆れたような声が降ってきた。

「ちょっと、なに泣いとるん」

「泣きたくもなるよぉ……だってあたしは、友人にお金を払わせてることにも気付かず、のうのうと遊び呆けるおバカさんだったんだぁぁ……最低にも程があるよ……」

本当に最悪だ。そんなことに思い至らず、挙句こんな所でえぐえぐと泣き喚く醜態まで晒して。穴があったら入りたいような、そんな気分になってきて、元々下を向いていた頭が更に重力に逆らわないままに沈んでいく。

こんなんじゃ、ゆりに、本当に呆れられちゃうな。

そんなことをぼんやりと考えていると、はぁぁ、と大きな溜息が聞こえてきた。十中八九、ゆりの溜息だろう。今、ゆりはどんな顔してんのかな。少し気になってちらりとゆりの方を向くためにほんの少し顔を上げた、その時だ。

まるでタイミングを見計らっていたように、やわらかい手があたしの頬をそっと包み込んだ。

導かれるように、あたしの顔が上を向く。

そこには、なんだか少し怒ったようなゆりの顔があった。なにか怒る要素なんてあったかな。首を傾げようとするが、意外と力強いゆりの手に阻まれて、それは叶わなかった。

「いっ、痛い痛い痛い!無言で顔を締め付けないでっ!?」

ギリギリと音が鳴りそうなほどの力で顔を締め付けられて、あたしは思わず叫んだ。

「あ、ごめん」

軽い調子で謝るゆりを、あたしは思わずじとりと睨む。するとゆりは「そんな顔せんといてよ」と困ったような声音で言って、あたしの目尻に残っていた涙を、そっと拭った。

「ゆ、ゆり……?」

まるで少女漫画に出てくるようなその仕草に、今度はあたしが、困惑したような声を出す番だった。ゆりは、そんなあたしの様子に気付いていないのだろう。ほんの少し眉を下げて、言葉を続ける。

「ごめんな。ほんまにボク、さくらに、そんな顔させるつもりはなかったんよ。白状するとな、さくらに旅行代のこと黙っとったんは、この旅行は、ボクの我儘やと思っとるからや」

「我儘?」

「うん。さくらの都合も聞かんと、勝手に行先も日程も決めてしもたし。さくらは優しいからこうやって着いてきてくれたけど、ほんまやったら旅行って、行先も全部一緒に決めるもんやん?こんなボクの自分勝手な旅行に、さくらの金を使わせる訳にはいかん」

やから、さくらはなんも気にせんでええんよ。

そう言ってにこり、とどこか不器用な笑みを浮かべるゆりに、あたしは気付けば、こくり、と頷き返していた。

「ん、分かってくれたらええんよ」

ゆりはそのどこか不器用な笑顔のまま、あたしの頭をぽんぽんと撫でる。

その仕草は、なんだか、まるで、

「少女漫画みたい……」

「は?」

ゆりは、本日何度目か分からない呆れたような声を出した。

それを気に留めることもなく、あたしは思わず、上擦った声をあげてゆりの肩をバシバシ叩く。

「さっきからゆりの仕草が少女漫画みたいでうっかりドキドキしちゃうじゃん!やだもう!頭ポンポンとか!涙拭ってくれちゃったりとかー!!」

「いたっ、痛、さくら、痛い」

「ほんっとドキドキする!ときめいちゃう!ゆりが男だったら、今頃うっかり恋に落ちちゃってるよ!!」

「……そう」

「ん?どしたの?」

突然、本当に突然、ゆりの返事がいつもの淡々とした声音に戻った。もしかして、バシバシ肩を叩きすぎて怒ったのだろうか。

「ごめんね、調子乗って叩きすぎちゃったよね……」

「いや、別に……さくらの奇行には慣れっこやからそれは別にええんやけど……」

「けど?」

「……ううん、なんでもないわ。ほら、いつまでもここで喋ってないで、早くお昼食べよか。遊ぶ時間なくなるで」

「あっ、うん……そうだね」

あからさまにはぐらかされた返事。それを深追いする気にはどうしてもなれなくて、あたしは再び、食事を再開する。

さっきまで美味しかったはずの焼きそばは、なんだかちょっと美味しくなくなったような、そんな気がした。

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