一日目 キミとふたり、水族館にて―②

結果だけを言うならば、水族館はめちゃくちゃ楽しかった。

久しぶりに足を踏み入れた水族館という場所は、幻想的な展示も相まって、ワクワクする非日常感をあたしに与えてくれたのだ。

見たこともないような不思議な魚に、どこか癒されるクラゲの動き。ダイナミックなイルカショーはわざわざ最前列に座って、自ら水飛沫を被ってやった。隣に座るゆりは、信じられない……とでも言いたげな顔をしていたが。

それでも、楽しいね、とあたしが笑顔を向ければ、そうやね、と返事をしてくれる。きっとゆりも、彼女なりに楽しんでいたのだろう。普段はあんまり表情の変わらない彼女の口角が、ほんの少しだけ上がっているように見えたのが、何よりの証拠だった。

そうして、一通り館内を見て回ったあたし達は、今、併設されたホテルの一室にいる。

水族館を出て、これからどうするんだろうとぼんやりしていたあたしの手を引いて、ゆりがここまで連れてきてくれたのだ。手馴れた手つきでチェックインを済ますゆりの後ろ姿をこれまたぼんやりと見つめて、そして、鍵を受け取ったゆりに再び手を引かれ、この部屋に放り込まれて―今に至る。

あたしは、カーテンを開けて外の景色を見た。あたし達が今日遊び倒した場所が、ここからはよく見渡せる。その向こうには海もあって、こんなに海が近いなら、海にも行ってみたいな、なんてことを考えていると、まるで心を読んだかのように、ゆりが後ろから声をかけた。

「ああ、明日は海に行こうと思っとるんよ。さくらもそのつもりでおってな」

「えっ、ホント!?でもあたし、水着なんて持ってきてないよ……?」

不安そうに言えば、さくらは、そこは心配ないで、と言葉を返す。

「さっき売店覗いてきた。水着も売っとったで。さくらの好きそうな可愛いのもあったわ」

「へー、そうなんだ!最近のホテルって凄いねぇ」

「ボクらみたいに、水着持たんと来る人もそれなりにるってことやろな。需要がなかったら、そんなもん売ったりせんやろ」

「うーん、それもそうか」

そんなことを考えてると、ピコン、とスマホから軽やかな音がした。通知を見ると、彼からのメッセージが届いている。

『こんばんは。旅行楽しんでるかい?』

そんなメッセージに、あたしはゆるりと表情が緩むのを感じた。

『こんばんは!はい、めちゃくちゃ楽しいです!』

素早くそう打ち込んで送信すれば、直ぐに既読が付いた。続けざまにメッセージが送られてくる。

『それは何より。さくらちゃんのお土産話、楽しみにしてるよ』

そんなメッセージに、あたしは可愛いスタンプをポンと送って、メッセージアプリを閉じる。はぁ、と多幸感に満ちた息を吐き出していると、隣から、じと、とした目線を感じる。

見ると、ゆりがなんだかつまらなさそうな表情をして、こちらを見ていた。

「……ボクと旅行に来てるのに、君は楽しそーに彼氏とイチャコラして……これだから彼氏持ちは……」

「わー!ごめんって!でもいいじゃん幸せに浸るくらい!付き合いたてホヤホヤなんだし」

「黙れ浮かれポンチ」

「酷い!」

わっ、と泣くような身振りをすると、そこでようやく、ゆりはふっと表情を緩めた。しょうがないな、そう言いたげな顔をして、あたしの頭をぽんぽんと優しいちからで叩く。

「……冗談やって。まあ、そうやって連絡くれるならええやん」

良かったな、大事にされとるみたいで。

そう言うゆりの声は、なんだか寂しそうだった。

「……ゆりは、寂しいの?」

「んえ?何で?」

「いや……何となく?」

「なんやそれ。別にボクは寂しくないよ。そんなの、君に心配される筋合いもないわ」

思わずぽろりと零れた声には、そんな軽い返事が返ってきた。寂しくないと言う、軽い声音。

だけどさっきの寂しそうな声音よりは、なんだか少しだけ嘘っぽくて、それが苦しくて、あたしはぽつりと言葉を吐き出した。

「……もし寂しいなら、ゆりもさ、彼氏作ればいいじゃん。なんなら、あたし、男の子紹介してあげるよ?ゆりとダブルデートとかしてみたいし―」

「ごめん、何回も言うてると思うけど、それは嫌」

「……だよね」

あたしはきゅっと唇を噛み締めた。

ゆりにこの提案をしたのは、実はこれが初めてでは無い。あたし達が出会って、あたしが合コンに行くようになった時から、度々言っていることだった。

合コン一緒に行かない?とも言ってみたし、今日みたいに、誰か紹介しようか?も言った。だけどその度に、返される答えは「嫌」というそれだけの言葉だった。

それがなんでなのか、理由を聞いたことは、ない。

それを聞いてしまったら最後、ゆりとの関係性が壊れてしまいそうで、ずっと、聞けなかった。


この時、あたしが彼女の内面に、もう少し踏み込んでいたらと、そう、思うのだ。

彼女が彼氏を作りたがらない理由を、ちゃんと聞いていたなら。


だけど、今のあたしにそんな勇気はなくて、あたしは、今までと同じように、深く理由は聞かないままに、無理やり話題を変えることで場の空気を有耶無耶にした。


「いやぁ、明日は海か!楽しみだなぁ」

「……うん。そうやね」


窓から見える海を眺めながら、あたしは努めて明るい声音で言う。

隣で一緒に同じ景色を眺めていたはずの彼女が、その時どんな表情を浮かべていたのか。海だけを見つめてはしゃいでいたあたしに、それを知ることは叶わなかった。

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