レンズ
登校時間が迫ってくる。
急ぎつつも開いた部屋のドアノブで、小さな袋が揺れているのに気付いた。
百円均一ショップで売っているプレゼント向けのバック型紙袋で、それはもはや袋とは呼べないのかもしれないけれど袋と呼びたいのでそう呼ぶことにしている。
確かこれは以前ハルカがカナタのドアノブに掛けておいた袋とまったく同じものだった。
新しいのをたまには買ってほしい。中身を取られて袋だけが返ってくると、切なくなるというのに。
それでもハルカは歓喜と胸を焦がす衝動を抑えきれず袋の中に手を伸ばす。
そこには何十枚という数の、宇宙に煌めく星の世界が広がっていた。
今頃カナタは、バスのなかででもハルカが同じようにドアノブに掛けておいた抜けるような蒼い空の世界を見ていることだろう。あたしはなるべく毎回違う種類の袋にしてるんですからね。
あとでゆっくり見ようと思い、スクールバッグに袋を詰め込んでついでに小型のデシタルカメラがバッグに入っていることを確認した。
カメラがないと、ハルカとカナタは繋がっていられない。
いや、ただお互い顔を合わせないための媒体なのかも。
カメラが。写真が。
埋められない隙間を埋めるための唯一の手段が。
朝は必ずカナタが10分早く家を出る。
そして夜はハルカが10分早く帰ってくる。
それは誰に命令されるわけでもなく始めた、二人の間の取り決めだった。
10分のタイムラグは大きい。
同じ部屋に居る時間がそれだけ減る。ご飯の時間に顔を突き合わせる時間。普通に会話はするけれど、けして目を合わせては話さない、そんな複雑な時間が。
でも、誰も気付かない。一番二人に近い両親すら、表面上ささやかな会話を交わしあう双子の姉弟が、避け合っていることなど。
ハルカとカナタ。カナタとハルカ。「遥か彼方」などという言葉から頂いた名前だろうが、その距離は本当に限りなく遠くなっていくようだった。
朝目覚めた時にハルカがまず目にするのは、永遠の夜が続く宇宙に輝く星々だった。カナタが撮った写真だ。
いつも考えてしまうけれど、どこをどうすればこんなに綺麗な写真が撮れるのか。
肉眼で星を探すよりも美しく写真に納まった星は、羨ましくあり、嫉ましくもある。
星は何の躊躇もなくカナタに見つめてもらえるから。
やっぱり、憎らしい。
それでも写真に漂うカナタの名残を感じていたくて、ハルカは部屋中をカナタで一杯にする。
部屋中の壁や本棚に立てられたアルバムの山は、全部カナタに貰った宇宙の煌めきに包まれていた。
10分早く家を出るカナタに、ハルカが写真を届けるのは自然と早くなる。
部屋の壁一つ隔てた先にカナタは居て、カナタとハルカを隔てるドアにハルカはハルカの名残を残す。いつも写真をドアノブに託すとき、カナタがドアを開けないかとハルカは願う。カナタも同じことを思ってくれていれば嬉しい。
空の写真を詰め込んだ袋を手にしてドアを開けると、ちょうど同じタイミングで隣のドアも開いていた。同じく袋を手にしたカナタだ。
どちらが綿密に張り巡らせた擦れ違いを誤ってしまったのか。
そんなことなどもう二人の胸中にはなかった。
ハルカにはカナタしか居なくて、カナタにはハルカしか居ない。
そして二人は無防備に、はっと見つめ合ってしまった。
髪を伸ばせばカナタになるハルカ。髪を切ればハルカになるカナタ。
瓜二つの顔に、同じようで違う声。
まるで少し歪んだ自分の鏡に、
惹かれ合う。
世界を詰め込んだ袋は、手から滑り落ち音を立てて床に堕ちる。
ほら、こんなにも惹かれてしまうから、
二人はレンズ越しに見つめ合うことしかできない。
誰も許してくれないのに。
レンズさえ焼き焦がす恋は。
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