ジンクス
風が吹いた気がした。
またあたしのジンクスが幸せを奪いにやってくる。
始まりは小さかった頃一番のお気に入りだったテディ・ベアをオイル漬けにしてしまったこと。
母に洗濯を拒まれたテディは、トラッシュボックスの奥に消えた。
たった一度の修復不可能な裏切りの末にトモダチも失った。大事にしているものほど、ジンクスは鋭い爪を立てて獲物にしたがる。
ぬいぐるみも友情も、信用も恋も。
風なんて吹くはずがないのに風が吹いた気がしてしまう。
きっとそれは、不幸を運ぶ風。
「好きな人が出来たんだ」
ツキシマに呼ばれて向かった先は屋上だった。無風日和に風を感じた昼、もうじき彼氏ではなくなる彼氏の第一声。
ツキシマになんて返事をすればいいんだろう。
あたしの中にはもう「あぁまただ」って諦めにも似た気持ちが、ぐるぐる回っているだけなのだ。
まただ。またジンクスだ。
失くなる前兆、喪失告知。
もう沢山なのに、いつまでたっても終わらない。
それはあたしが生きているかぎり続くんだろうか。
続くの?こんなあたしが。こんなジンクスが。
そんなの・・・願い下げだよ、くそったれ。
ジンクスに付き纏われる人生など真っ平だ。
「この前彩音と帰った日、
あの後街で道が分からなくて困ってるコに出会ってさ、
道案内してるうちに意気投合しちゃったっていうか」
「もういいよそんな下らない言い訳しなくても」
フォローにすらなってない馴れ初め話を撒き散らすツキシマを黙らせ、
あたしは四方八方に広がる柵に素早く視線を走らせる。
もう沢山だから、もう終わらせようと決め込んで。
この学校の柵は、寄り掛かるのに最適な高さであり、簡単に跨げそうな高さでもあった。
つまり、ジンクスに振り回される人生を終えることが出来そうだということだ。
「なんとなく分かってたんだ。月島にそんな話をされそうなことくらい」
こんなことを言うのも何度目だろう。トモダチと決裂したあの日も言っていた。
ナントナクワカッテタと。これほど惨めになれる言葉はない。まるで負け犬の遠吠えみたい。
好きだったからこそ失うことが悲しかった。
そこには心があった。失うたびにあたしの心も少しずつすり減っていった。
もう殆ど、まともな心は残っていない。
だからツキシマで最後になりそうな気がしていた。
ツキシマを失ったら、あたしはもう狂い壊れる生き物にしかなれないだろう。
実際もう壊れかけていた。柵を飛び越えようなんて。
「あんたが心ここにあらずって感じだったのは前から分かってた。
もうあたしには何の気持ちもないってね」
ふとこれが、ジンクスへの挑戦なのではないかと思う。
失う前に、離してやる。失う前に手放してやる。
まだ別れようって決定的な言葉を聞いてないから。
これから言われるだろうけど、まだ失っていないってことにしようよ。
別れの言葉はあたしから言えばいい。バイバイって。
せめて最後くらい。
「別れるんでしょ?あんたなんてこっちだって願い下げだから。バイバイ元気でね」
ツキシマの少し傷ついたような表情の中に密やかな安堵感を見出だしたあたしの心は決まった。
よかったね、未練たらしく縋りつかない邪魔者は勝手に消えることにするよ。
あたしは柵に向かって走った。風を生み出し風を切って、不幸の風すら打ち消すように走った。
あたしの行き先を察してツキシマが上ずった声であたしの名前を叫んでいる。
そこで見届けていればいい。あたしが天国に一番遠い場所へ堕ちていくさまを。
生み出す風の他にもいつも感じていた生温い風が頬を撫でるのを感じた。
でももう遅い。
ジンクスに左右されない選択をあたしはした。
まさかジンクスがこれから報酬にしようってものは、あたしの魂ではないでしょう?
こんな奪い甲斐のないものなど。だれも欲しがりなんてしない。
どこまでも飛べる気がした。
でもなんでだろう。
ずっと空気が生温い。
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