課題研究

○意中の『アイツ』との距離を縮めるための方法を最低三つ以上は考え、そして実行しなさい。


深夜のとあるアパートの一室に、うんうんと悶え唸る声が響いていた。

「あのセンコウ、普通じゃないよ・・・」

その日珍しく勉強机の周りを片付けて環境を整えた木嶋陸(キジマリク)は、

尋常ではない頭脳を持った尋常ではない担任から出されたその“課題”に、かなり真剣に悩んでいた。


意中の『アイツ』との距離を縮めるための方法を最低三つ以上は考え、そして実行しなさい。


どこにでもあるA4用紙に口に出してはとても言えない痒い文章が踊っていて、

その下には「三つ以上」という言葉どおり五つほどの解答欄が用意されている。A.下線。シンプルで無駄がない。

ここで一つ言えることがある。

これは冗談ではない。本気だ。

この課題は純粋な「課題」なのだ。

教師が暇潰しに繰り出すジョークの一つとかでは決してない。

距離を縮める方法?熱いハートがあれば十分さなんて曖昧で抽象的な言葉も通用しない。

そもそもあの担任にジョークという言葉は存在しないのだ。

・・・他の誰から見たって冗談としか言えないことであっても。


だからこそ、陸は他のクラスメイト同様この課題に真剣に取り組まなくてはならなかった。

たとえ担任がどんなに校内で奇人・変人として認知されている要するに「冗談が通じない変な堅物」で、

どんなに他のクラスの友人に哀れだな俺お前のところの担任にだけは当たりたくないと言われそれが陸のクラス以外の生徒全員の願いであったとしても、

課題はしっかりと解答して提出しなければいけないのだ。担任に冗談は通じないから。

課題の意味を問いたい―

それがクラス一同の本意。


今までの課題も奇抜といえば奇抜だったけど、こんなのは初めてだと、陸は今更ながらに思う。

ってそんなことを考えている余裕は実はどこにもなく、あと約六時間以内に完成させなければならない。

登校時間が迫っているのだ。

登校したらしたで課題は朝一提出。学校でのんびり考えてはいられない。

その前にクラスメイトと肩を並べて一緒に相談し合えるような課題ではないこれは。

朝一に提出した課題は担任によって一つ一つきっちりと目を通され、

この課題の場合はしっかりとその後実行しているかまでを観察されることだろう。

だいたい今までの課題だって散々だった。これほど悩んだものはなかったのだが。

国語教師という肩書きからは想像がつくかもしれないけれどいやついても実際問題にするような内容じゃない課題ばかりで、

“『初恋』の甘酸っぱい瞬間を出来るだけ鮮明に思い出して答えなさい”だとか、

“『これが青春だ』と思える瞬間を答えなさい 注:どんなに青臭い内容でも構いません”

などなど、まるで中学の頃にやっていた保健体育だろと言いたくなるのものばかり。

こんなこっ恥ずかしい問題を高校生になってまで答えなければいけないのかと何度も思ってきたが、

今までこれほど答えに詰まる課題はなかった。

初恋の甘酸っぱい瞬間なんて思い出せなかったから「思い出せません」と正直に書いたら合格だったし、

青春だと思える瞬間も今まで感じたことがなかったからそのまま書いたら再提出要請をされることもなかった。

担任が納得しない答えを書いてしまったら再提出という噂も聞いた。

納得しない基準というのも知りたいものだが、できればこういう難問を何度も考えたくないため遠慮しておこう。

担任の「冗談が通用しない」という異名はここから来ているのかもしれない。


この課題の『アイツ』に該当する相手は一人しかいない。

今までの課題のように、そんなコいませんだったり方法なんて思い浮かびませんなんて解答は書けない。

『アイツ』に該当する相手が陸にはいる。

だからこそ、普段はくたくたになって眠っている深夜まで目が冴えているし、延々と悩んでいられる。

担任に冗談は通用しないが、課題自体も何故か解答者には真実しか書かせようとしないみたいだ。

そして陸は延々と悩み続けた。


陸の『アイツ』にあたる女子の名前は、前園司(マエゾノツカサ)。

男っぽい名前とは裏腹に、控えめでいかにも「女の子女の子してる」タイプだ。

それは陸だけではなく一部の男子には新鮮なギャップとして印象に残っており、

性格が女の子っぽいうえに見た目も可愛らしいと、隠れたファン、

いや、ライバルが沢山周りに潜伏している。

「前園はもっと名前が女っぽかったらなあ」なんてボヤく奴はだいたいあの子に気がある!!と、認めてもいいだろう。

要するにいろいろハードルが高い相手なのである。


「距離を縮める方法って。何だよ・・・」

何時間も悶々としているせいか、だんだん眠気が滑り込んできて集中が途切れそうになる。

そうは言ってもまだ一つも解答欄を埋められていない。

無情にも、窓の外からはカラスの鳴き声が聞こえてきた

時間がなかった。

もう呑気に悩んでいる余裕は無い。

(―あぁ~っ、もういいっ!!)

ので、陸は少々やけくそになった。

相手はハードル高いしライバルも多い高嶺の花な前園司!

それにあくまでも「くっつく」ための方法じゃなくて「近づく」ための方法!

普段前園から話しかけられることなんて、そんなに仲が良いわけではない関係性のため急ぎの用事がない限り殆どなく、逆に陸から話しかけることもなかった。

一歩距離を取った地点から、それこそ他の隠れファンと同じく気にして視線を送っていただけだった。

距離を縮める方法って何だ?

それは案外難しいことじゃなくて、ありきたりなことから始めればいいんじゃないのか?

カラスの鳴き声に追い立てられるのと、睡魔をいい加減無視できなくなってきたことがたぶん幸いして、

陸は思いついたままに答えを書き連ねた。もはや書き「殴る」の域だった。



A.朝会ったら「おはよう」と言う(登校してる時に言えたら自然でいいかも)


A.とにかく印象に残してもらうため沢山話しかける(嫌がられたらヘコみそうだけど)


A.出来るだけ上の二つを続けてみる(もし嫌がられてなかったら)



見直すことなんてしなかった。誤字脱字なんてあの担任が見直せばいいことだなんてやけくそな気持ちがまだ続いている。

最後の一文字を書き終えると、ペンを筆箱に放り込み、通学鞄の中のクリアファイルへ解答用紙を強引に突っ込んだ。

そして残り少ない睡眠に充てられる時間を満喫するために、

ベッドに潜り込むより早いと机に突っ伏し、睡眠体制に入った。

何時間も延々と悩んでいたこともどこへやら、解放感は湧かなかったものの肩の荷はおりたような心地になりつつ、

一秒でも長く眠っていられることを願って。


案の定というか何というか、数時間後様子を見に部屋へとやって来た母親に怒鳴られ肩や背中を揺さぶられても陸は中々目覚めることができなかった。

ぼんやりと覚醒し準備もそこそこに、机は勉強するところで寝るところじゃないなんて言葉に追い立てられるように、

陸は学校へ向けて歩き出した。

まさかこんなに早く実行するチャンスに廻り合えるなんて思わなっ―

それが陸の本心だった。

歩き出したはいいもののなかなかに始業時間ギリギリなことに途中から気付きペースを上げ、

校内に入ったら三階の教室まで急ぎ足で階段を上り終えた矢先にHR開始を告げるチャイムが鳴り出した。

焦りながら教室の扉まで突っ走った陸を待っていたのは、反対の方向から陸と同じく小走りで駆けてくる女の子、それも前園司。

普段は遅刻ギリギリに登校することなんてない彼女がこんな時間に到着なんて珍しい。

と、反射的に考えてみたところで、陸はふと気付いた。

これは、

(これは、課題実行の、チャンス?)

前園は、陸が目の前に立っていることに気付いていない。

そこで今がチャンス!・・・と思ってみたところでせかせかと進んできたツケが回ってきたのか、息を整えるのに精一杯で話しかけるどころではなかった。

陸は自分の間の悪さを呪いつつ、教室後方の扉の前で息を整える。

前園は教室前方の扉の前で同じく息を整えている。

片手を胸に当て、もう片方の手を扉に添えて。

肩より少し下まで真っ直ぐに伸びた黒髪が呼吸に合わせて揺れていた。

女子の長い髪を鬱陶しく思えないのはこの子のものだけ。

俯き加減に乱れた息を整える前園をちらちら見ながら、やっぱりこの子は可愛いと、陸は心の底から思った。

今しかないと踏み切れる。

ふ、と、前園が自分と同じく息を整えている別の気配を感じたのか、

ゆっくり顔を上げようとしているのを陸は感じた。

目線を合わせる。

本当はそっと、息を整える前園のことを見つめていたのに。

まるで確信犯だな俺、なんて心の中でツッコんでみた。

視線が一直線に繋がる。

扉一枚隔てた先に広がる教室内の喧騒が、すっと遠くへ追いやられていく。

前園が息を吸い込んだ。

陸も息を吸い込んだ。

今しかない。



「「おはよう」」


A.朝会ったらおはようと言う。



前園から見た自分が、今どんな顔をしているのか知りたい。

その瞬間前園が見せたリアクションに、陸はどうしようもない期待と希望と根拠のない確信が胸の中に湧き上がってくるのを感じた。

朝の挨拶が重なる。 前園はそれが寸分の狂いもなく重なったことにまず驚き、そこから喜びに溢れた微笑みを浮かべようとしていた。そう陸には感じた。

それを寸前で思い留めて、慌てて陸から目を逸らし頬を真っ赤に染め上げている、ように感じた。その反応がとてもいとおしかった。

陸はにやけようとする口元を押さえて、彼女以上にきっと顔中を真っ赤にさせながら視線を泳がせ、

むくむくと思い浮かぶ一つの言葉を何度も何度も頭の中で反芻していた。

もしかしたら前園の解答も、自分と似たようなものなのかもしれない。

そうであったらいいと、願わずにはいられない。



「青春してるねぇ」

木嶋陸と前園司の『青春』の一部始終を、三階の階段前から静観している男がいた。

キツネを連想させる飄々とした風貌、銀縁眼鏡に白衣。“まるで理系”のイメージを振り撒くその男は、

左手の出席簿を音を抑えてぱしぱしと肩へ当てては離しを繰り返しつつ、

目の前にいる二人の“青春の一ページ”をじっくりと観察している。

ここで二人の間に割り込んで教室入れ~なんて馬鹿な真似をするつもりは毛頭ない。たとえ始業直前であったとしても。

これは自分が与えた課題が実行されている結果なのだと、彼は二人の姿を認めた瞬間に気付いた。

あとは観察のみだった。


「覗き見なんて教師のするマネですか~?榎本先生」

斜め後ろから囁く声へ振り返る。接近されていることに気付けなかった。

観察対象に遭遇すると他のことに気が回らなくなるのは多々ある、こんなところも理系と言われる要因だろうか。

一応表向きは国語教師で通しているものの、明らかに選択ミスだったということを自覚しており、

いろいろ疑問を持たれる毎日を送ることになってしまったと男はだんだん後悔している。

まあ、観察する対象が近くにごろごろ転がっているだけで天国と思うしかないか。

「誰かと思えば倉橋先生ですか。そういう貴女も、さっきから私の後ろであの二人を見守っていたのでは?」

「あれ~、バレてました?だって微笑ましいし、邪魔はしたくないですもの。榎本先生も真剣そうでしたし」

隣のクラス担任倉橋へやんわりと言葉を返しつつ、続けて話しかけてくる言葉は話半分で聞き流す。

本当はこんな会話をしている瞬間にも眼前の二人に集中して観察したかったのだが、相手にせずさらに酷い妨害をされようものならまたそれも迷惑この上ないし、そもそも余計な敵を作りたくないので、嫌々なのを悟られないように応じていた。

まあ、倉橋は学内の生徒教師問わず、「奇人」とさえ言われている自分にすすんで話しかけてくる珍しい教師ではある。束の間の会話ぐらいギリギリの微笑みを浮かべつつ許そう。

「ところで先生、私、全国の高校教師の間で囁かれてる噂を聞いちゃったんですけど」

「ほう」

「なんでも一年ごとにコロコロと転任して、行く先々で生徒の心理状況を探り、観察するための奇抜な課題を出す、心理学者の異名を持つ国語教師がいるらしくて」

「へええそんなものが。ただそれが、何か?」

「しかもその課題というのが、その教師の念でも込められているのか、どんな捻くれ者でも真実しか書けないっていう不思議なものらしくて、解答用紙に細工でもしているんじゃないかって謎もあるみたいですよ」

「なんと。それはとても面白い、でも非現実的な噂話ですね」

「ほんとそうですよね、きっとその人は教師で心理学者で、魔法使いなのかもしれません」

「そうなのかもしれませんね」

「私、その人の観察精神の餌食になっちゃうコたちがかわいそうに思えてきます。とっても大変な一年になりそうだから」

「確かに」

「でも同じくらい、面白そうではあるんですけどね。私も生徒になって課題を受けてみたいくらい」

「倉橋先生はなんでもオープンなイメージがあるので、秘めた想いなんてものがあるのかちょっと気になるところではありますね」

「ええっ?それは心外ですよ榎本先生、私にだって秘めた想いの一つや二つありますから。

 私、今そこの二人の今後が気になってますけど、榎本先生のことはそれ以上に前から興味深々で、いつも気になりすぎているんですからね」

「・・・。・・・ん?」

今何か聞き逃したほうがよさそうなことを聞いてしまった気がする。



さて、次の課題のタイトルは?

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