その心とは

親指でスクロールした画面にSNSに、飛び込んできた文字に、智美は息を呑んで立ち止まった。


『付き合ってないけど、誰にも取られたくない人』


「宮木、どうかした?」


向かいに立つ元木が、スマホを見つめる智美の表情の変化に声を掛ける。


智美は顔を上げて元木を見るか、このまま一瞬で落ち着くか、考える。


きっと今、元木の顔を見たら、泣いてしまう。




「みやもとー」


「いえ元木です」

「いえ宮木です」


「木コンビだからいいっしょ」


「「意味分からないです」」


智美と元木は、会社員として、同期として、名字の二文字目の漢字が同じということで、なぜかそこに共通点を見出した上司からよく一緒に呼び出されては、一緒に仕事を振られることが多かった。


それもあってなのか、あまり社交的と言えない淡々とした性格が合ったからなのか、二人は自然と話すことが増えた。


同じ仕事で別々の役割を進めながら、自然と仕事上がりの時間を同じくするようになった。


なぜかこの二人だったら、新年会も忘年会も歓送迎会もお断りしているのに、なんとなくで寄り道した居酒屋で週末は飲み明かせた。


何時間かでお互いのバックグラウンドを保育園から前の職場の話まで語り尽くしても、この相手にならいいと思った。


朝まで飲み明かしても、帰り道に店の最寄り駅までノリで手を繋いでみても、嫌な気はしなくても少しドキドキはしても、それまでだと思った。


駅に着いたら自然と手を離して、まっすぐ別々の家に帰れる、理性のある大人な二人だった。




という、友達以上、いや同期以上恋人未満みたいなポジションを、若干必死になりながら守っていたのだ。


と、智美は気付かされた。


短文が飛び交うSNSの破壊力は時に恐ろしい。


これでもかっていう感情の言語化がときどき、怖いくらいまっすぐに胸を打つ。


でも、それが今じゃなくてもいいじゃないか。


「えっと、」


智美は声が震えるのを隠しきれない。


年が明けて、年末年始の休暇が明けてやっと久々に会えた元木に、かなり頑張って平常心で同期として接していたのだ。


一週間もない休みだったはずなのに、終盤は会いたくて会いたくてまさに震えそうだった。


休日に会って遊ぶということはもともとしていなかったけれど、そこは同僚という体裁を保たなければって耐えていたけれど、二日三日ならまあサブスクの動画を眺めたりしているうちにあっという間に消化できたのだ。


それより長くなったらこんなに会いたくなるものなのかと、智美はもやもやとした年末年始を過ごしていた。


ただの同期に?とも、何度も自問自答しながら。


ただの同期に、友達みたいな同期に、こんなことを考えるものなの?


何かをはっきりさせてそこから一緒に居られなくなったら嫌だとか、こんなことを考えるものなの?


「宮木もしかして具合でも悪いの?」


なかなか智美の返事がはっきりしないからか、元木が言葉を重ねてくる。


いや違う、と言おうとして智美は顔を上げる。


スーツの上にダウンコートを着込んだ元木の、ほっそりした足元から、少し垂れ目の優しい眼差しと目が合う。


あー。うん、そうだ。きっとそう。


「いや、違う、それは、大丈夫」


ぐるぐるしている。一瞬合わせた目をすぐに逸らしてしまう。


動揺しているけど、反応はする。


「そう?もしかしてなんか課長から連絡来てたとか?」


「ううん」


「家族とかから緊急の用事とか?」


「そういうのじゃない」


元木はたぶん智美にとって『付き合ってないけど、誰にも取られたくない人』なのだ。


"なんでもないよ。早くお店まで行こう”


そう智美は続けようとして、考えて、一瞬ですごく考えて、やめて、


「今ねケータイ見てて、『付き合ってないけど、誰にも取られたくない人』っていうのが出てきてさ。


ちょっとびっくりしただけ」


そう、言ってみた。


淡々と言えていただろうか、不安になるくらい、心臓がばくばくしていた。


声を出す喉が不自然に震えていないか気になった。


元木の反応を見てみたかった。怖かった。


勝手に自分がぐるぐるしているだけでも、なんとなくそう言ってみたくなった。


このままでいられないかもしれないのに、なんだか止まれなくなった。


「ふうん」


元木の声はいつもと同じように淡々としていた。ように聴こえた。


ただの雑談だ、これは。うん、そうなのだ。


それ以上もそれ以下もなくて、


「ねえ、宮木にはその『付き合ってないけど、誰にも取られたくない人』っているの?」


「え」


それ以上もそれ以下もないはずのものが、その先に少し進んだ気がする。


「珍しくない元木?そういうとこツッコむなんて」


「ごめん、マジメに答えてもらってもいい?」


あれ。


「元木、どうしたの?」


「何が?」


「いや、なんか、怒ってるのかなって」


「怒ってない。知りたいだけ」


ほんとか?


ってくらい、智美には元木が一気に神妙な顔付きになったような気がして、焦る。


え、どうしよう、変なこと言っちゃったかな、なんて、思ったのは一瞬だ。


踏み出したのは智美だから、踏み切るまでだって決めた。


「うん。いる、よ」


「誰?」


即レスな勢いで迫る声に、智美は深呼吸をして、なんとなく険しそうに見える優顔を見つめて、放つ。


「元木だよ、って言ってもいい?」


あ、どうしよう、このままだと本当に泣く。


とか思いつつの、元木の反応が見れなくて、また目を逸らしながら智美は続ける。


「誰にも取られたくない人、は」


「"大切な人”、で、いい?」


え、それ、SNSで見た続きの文章と同じでー



手を引かれた、と思ったら、さらにそっと腕を引かれて、元木のダウンコートに自分の頬が当たっている。


なんだこれ。


「あ、ごめん、なさい。先に手が出た」


「え」


ぴったりと吸い寄せられるように、元木に寄りかかるように、智美は立っている。


「ちょっと誠実じゃない気がした。ごめん」


「いや、違、そうじゃなくて」


「俺の、『付き合ってないけど、誰にも取られたくない人』も、宮木なんだけど、


って、言う前に、手が出た。


ごめん、でも、このまま少し、いてもいい、ですか」


耳元で、至近距離で、元木の声が聴こえる。


頬に当たる元木のダウンコートの向こうから、元木の心臓がばくばくしている音が聴こえそうな勢いで、鼓動が聴こえる。


朝まで飲み明かした帰り道にノリと冗談で恋人繋ぎまでしていた元木の手が、智美の腕を本当にそっと掴んで、がちがちに震えている。


「うん」



冬の空気は冷たいはずなのに、元木のダウンコートも冷たいはずなのに、


智美の一言で、そっと腕を離したその手が、智美の背中にそっと回される。


緊張しきった元木の、溜め息みたいな深呼吸の吐息が降ってきて、


頭から少しその温度に触れたら、心の底から何かがゆるく溢れ出しそうになる。


「本当はずっとこうしたかった」


智美の心の声が、元木から跳ね返って出てきているような、不思議な時間だった。


諦めていた。智美は。


諦めていたはずだった。


どうせ今日も、あの日みたいに新年のことよろ会、って飲み明かして、


少しでも長く一緒に居られるように意地でも話題を探しに探しまくって、


あわよくばノリとか冗談を演出して、酒の力も借りて、甘えて強引に手を繋いでみたりして、


駅に着いたらそれぞれの家に向かう路線に分かれて、


元木と繋いだ手をもう一方の手で重ねて、電車に揺られながら静かに泣くんだ。


また土日を挟んだら何事も無かったかのようにいつもの同期に戻って、


元木は誰か気になる相手でもいるんだろうか、いや今は仕事だよとか、


ああでもないこうでもないとかときどき考えて、打ち切って、帰り道でまた考えて、


いつか誰かに元木を取られたらどうしようって思いながら、それでも動けなくて、って、


智美はそうやってこれからも生きていくんだと思っていた。


「あたしも、こうされたかった」


「ほう。おお。うん。うん・・・


俺は、脈ないと思ってた」


「うん、あたしも」


「手を繋ぐまではアリの、よくある友達以上恋人未満みたいなもので」


「そう」


「たまに動画とかで見かける、男女の友情は成立するのか?みたいなやつとか観てみたりして」


「え、たぶん同じの観てるかも」


「一線越えちゃって後悔してたやつとか」


「それだ、たぶん」


「越えて離れていく日が来るかもって思ったら、怖かった」


「同意」


「でも、さ、正月休みが長くて、宮木が何してんのかなってずっと考えてて。


ぶっちゃけ課長に緊急で用事があって、って言ってさ、宮木の連絡先聞こうかすごい悩んだ」


「これなんて年末年始のあたし?」


だんだん、傍から見たらきっと熱い状況に見えるはずではあるのに、二人にいつものノリが戻ってきた。


それでも、これまでの探り探りでは、ない。


智美はもう分かっている、でも受け取る。


元木も同じ気持ちでいてくれたことを、話されるままに、受け取る。


「ただの同期のフリして、どうやって飲みに誘おうかすごい毎回考えてた」


「それは気付かなかった」


「宮木は断らないんじゃないか、って思いながら、いつか先約があるって言って断られるかもしれないって思いながら誘ってた」


「それじゃああたしは、誰か別の人と帰るって言って離れていく元木を想像していつも怖かった」


「いや張り合うなって」


「だって本当なんだもん」


「あー、はい。そうですか」


笑うように話す元木の声を、智美は近くで感じる。


その、柔らかい話し方にいつも励まされてきた。


そしてたぶん、それは言うタイミングを逃した。


もうしばらく、内緒にしておこうと思う。


心の奥底は温かいままだけれど、泣きたいような気持ちは引っ込んで、


今は元木と同じように、笑ってみたくなってきた。


「ねえ、店の予約時間過ぎそうだよ。そろそろ行かない?」


「あと10秒だけ」


「ええっ?そのっ、こっこれからはさ、ここここういうことはいくらでもどうぞっていうか」


「どんだけ我慢してたと思ってんの?」


結局それから、1分くらいはそのまま過ぎて、そっと離れて、


初めての「ちゃんとした恋人繋ぎ」をしながら居酒屋へ向かった。

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