二十九、弱い欠片と出会った時

 タマは己の背中に力いっぱいしがみ付く芳香を心配した。

 白に癒してもらえば楽になるのに。

 そう思えども、タマはただ芳香の気持ちを優先する。


「何があってもタマは芳香の味方だぞ」

 

 芳香は答える代わりにタマの頭を撫でた。

 タマは気持ちよさそうに目を細め、目下の山々を見て懐古する。

 かつて清山村の外れの山中に、シロツメグサが咲き誇る丘があった。

 芳香はそこで花冠を作るのが日課だった。まだタマという名前が無かったころ、木霊の欠片として芳香の傍を浮遊していたことがある。


「あら、すっごく小さな木霊の欠片ね」

 

 芳香につんと小突かれて、その欠片は力なく地面に落ちた。


「うわあ、弱いのね。大丈夫?」

 

 光も弱々しく、今にも消えてしまいそうだ。

 芳香は慌てて小さな手で欠片を掬い上げると、作りかけの花冠を放り出して駆け出した。


「もう少し山の奥の方に、元気が出る湖があるの! すぐに着くからね!」

 

 芳香の周りに、瞬く間に木霊の欠片たちが集う。まるで芳香を先導するかのように道の先々できらきらと輝いていた。

 日中ではあるが、山の深い場所は薄暗い。だから木霊の欠片の発光はとても頼りになった。


「着いたよ!」

 

 お気に入りの白いワンピ―スが濡れることなんて気にせず、弱った木霊の欠片と共に湖に飛び込んだ。

 ぶくぶくと沈む。

 芳香は水中でぱっちりと目を開けると、徐々に光が強くなる木霊に安堵した。

 嬉しくなって笑顔を見せると、ぼこりと音を立てて空気が口から出て行ってしまった。

 息苦しくなり、水面に向かう。

 足が全く底につかないし、いくら手で水を掻いても水面にたどり着かない。


「安心するが良い。今助けてやるからな」

 

 しゃがれた声が、脳に直接声が響いた。

 そう思った次の瞬間には、水面に顔を出していた。


「はあ、息ができる」

 

 何度も酸素を取り込む。


「大丈夫か?」

「うん」

 

 返事をしたものの、一体誰の声だろうと辺りを見渡し、首を傾げる。そこで、重大なことに気づいた。


「私、さっき足がつかなかったはずなのに」

 

 えい、と足踏みしてみると、足裏にふさふさとした柔らかい感触があった。


「あれ?」

 

 もう一度、足踏みしてみる。


「やっぱりふさふさする!」


 芳香は確認するために水に顔を付けた。

 日差しが水中を貫いて、底の方までよく見えた。

 だから、芳香は自分の足元もしっかりと見ることができた。大型犬くらいの大きさがある、狼に似た白い獣の背の上にいるのだ。

 水の揺らぎに合わせて、白い毛並みが揺蕩う。深緑の二つの目は、しっかりと芳香を捉えていた。

 その獣は、ぶくりと一際大きな気泡を吐き出して、芳香ごと浮き上がった。

 そのまま岸へ上がった獣の背から降りた芳香は、柔らかそうな毛に顔を埋めた。


「助けてくれてありがとう」

「いや、ワタシの方こそ助けられた」

 

 獣が芳香に首を垂れる。芳香もそれを真似てみた。

 くすくすと笑いあっていると、芳香に声が掛けられた。


「芳香ちゃんだよね」

「あっちゃん?」

 

 あっちゃんは芳香より五歳年上の幼馴染だ。ちょっとぽっちゃり気味で、大らかで優しい女の子だった。最近、村で見かけなくなったのだが、やっぱりここにいたのかと嬉しくなった。


「どうしたの、あっちゃん」

 

 芳香の笑顔は瞬く間に凍り付く。

 振り返り、あっちゃんの姿を見て愕然とした。

 頬がこけて、目は落ちくぼみ、酷いクマがある。それに何より痩せ過ぎていた。もはや骨と皮だけのような有様で、腕や足が異様に細い。


「どうした、だって? ははは、芳香ちゃんのせいでこうなったんだよ」

 

 いつもピンク色の可愛い服を着ていたのに、今はぼろ雑巾のような汚れたシャツを身にまとっている。その裾をぎゅっと握り締めて睨みつけてきたあっちゃんは、最早芳香が知っている可愛い女の子ではなかった。

 反射的に後退りする。

 すると、あっちゃんの後ろから四人の子供たちが姿を現した。みんな不健康そうでボロボロの有様だ。


「あんたのせいで、私たちは地獄だよ。もう嫌、こんなの耐えられない! ここで終わりにしてやるから」

 

 子供たちは一目散に芳香を捕獲するために動いた。


「くそ!」

 

 獣が忌々し気に吠えるが、まだ完全に体力が戻っていない。そんな獣にも子供たちは容赦なかった。


「それも弱ってるうちに殺して!」

 

 あっちゃんの命令に、体格のいい少年がすぐに動いた。獣に圧し掛かり首を絞める。


「頼むから死んでくれ!」

 

 震える手に精一杯力を込める。

 抵抗しようと獣は足掻くが、その前に視界が霞んでいく。

 木霊の欠片へ分解したかったが、その体力すら最早なかった。


(あの子は無事だろうか)

 

 獣は目だけで芳香を探した。


「あっちゃん、どうしたの」

 

 芳香はあっちゃんと対峙した。

 三人の少年もいたのだが、あっちゃんの気迫に押されて距離を取っている。

 あっちゃんは首を振り乱して絶叫する。


「どうして私が、あんたの為に生かされなきゃいけないのよ! この村の子供たちは、みんなあんたの為に生きてるの。みんな、あんたのせいで酷い目にあってるの!」


 獣のような唸り声をあげて泣き叫ぶ。

 芳香は言われたことの意味を理解できなかった。


「ごめんね、あっちゃん」


 謝罪を聞き、あっちゃんは手加減なく芳香の頬を叩いた。


「謝るくらいなら、お願いだから死んでよ」

「え」

 

 あっちゃんは懐に隠し持っていたナイフを芳香の目の前に翳した。


「最後に教えてあげる。私たちは天木芳香により良い木霊を降ろす為の道具なんだよ」

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