二十四、祝福された少女と山の少年

 大きく開いたタマの口内へ、ずるずると引きずられるように木霊の欠片が吸い込まれていく。

 周囲の空気すら飲み干さんばかりの吸引力に抗おうとも、形を象れない欠片たちに成す術はない。

 止めどなく飲み込んでいくタマは、惜しげもなく恍惚とした表情を浮かべる。

 同族は美味しかった。人型の白を噛んだ時は血生臭く感じただけだったが。


(だめだ、しっかりコントロールしなければ)

 

 味わうために飲み込んでいるのではない。芳香を敵視した欠片を全て消す為に飲み込んでいるのだ。

 タマは芳香の姿を頭に浮かべ、自分に言い聞かせる。


(タマは芳香の木霊だぞ)


 ありったけの力を込めて吸引力を上げる。

 芳香に群がっていた木霊の欠片の数が見るからに減っていく。


「タマ! 私は無事だよ!」

 

 芳香の声が聞こえた。

 目減りした木霊の欠片を振り払い、タマに駆け寄ってくる。

 タマは巨体を屈めて芳香を待った。


「よかった、怪我もないか」

「うん、大丈夫」

 

 タマの鼻先に抱き着いた芳香を愛おし気に見つめたまま、冷めた声を血まみれで倒れている白に向けた。


「ずいぶん突飛なことをしてくれたな」

「タマこそ、ずいぶん暴れたじゃないの」

 

 タマは苛立たし気に尻尾を大きく振り回すと、白の傍らで身を縮こまらせている木在に対し、牙を剥いて威嚇した。


「タマの大事な芳香が怒ったら、傷ついたら、悲しんだら、苦しんだら、殺意を抱いたら、タマはその原因を消してやるだけだ。その為ならいくらだって暴れてやろう。お前のせいで芳香の笑顔が曇るのなら、それはタマにとって殺す理由足りえるものだ」

 

 芳香ははっきりと木在への殺意を向けていた。ならば、後はタマが止めを刺せばいい。

 あの事件から、日に日に元気が無くなる芳香をこれ以上見る気はない。


「残念だったな、白。木在を逃がすことは出来なかったようだが、タマが責任をもって食ってやろう」

「本当にそれでいいの?」

 

 白の問いかけに答えたのはタマではなかった。


「・・・良くないよ」

 

 弱々しい声音だったが、芳香はそう言い切った。

 ふらふらとさ迷うように白の元へ向かい、血で汚れるのも構わず抱きしめる。


「あら、ようやく落ち着いたみたいね」

 

 芳香の背を叩いてあやす白は、一安心したと頬を緩めた。

 それを忌々しく見ていたのはタマだ。芳香の服の裾を噛んで引っ張る。


「芳香よどうした。タマが木在を殺してやるから、もっとあいつに殺意を向けるがよい」

 

 芳香は首を振る。


「できないよ。ここで私が木在さんを罰する為にタマを使って殺したら、必ず後悔するもの」

 

 口元を真っ赤に染めて、白が倒れていくところを呆然と見ていたタマが芳香の脳裏に浮かぶ。

 例えばあの時、タマが人間である木在を殺していたとしたら、タマはどんな顔をしていたのだろうか。

 タマのことだ、きっと満足気に笑っていただろう。芳香はその光景を見たくなかった。


「人殺しは駄目だって、他でもない私がタマに教えたはずなのに」

 

 芳香が吐き出した思いに、タマは分かりやすくたじろぐ。動揺から、その巨体は空気が抜けた風船のように、しゅるしゅると小さくなっていった。


 生まれながらにして木霊の祝福を受けた芳香は、清山村で羨望の的だった。

 芳香がいるところに木霊の欠片が寄っていく。芳香の周囲はいつもきらきらと輝いていた。


「天使のようね」

 

 母である吉乃は、事あるごとに誇らしげにそう言った。

 四つになった芳香は、とても活発な子に育った。

 幼い不安定な歩き方で家の門前まで行ってしまうこともしばしばあったので、家の者たちはおちおち気を抜けないでいるほどに。

 その日は、運良く誰にも見つからずに家から抜け出せた。


「待って、いっしょに遊ぼう!」

 

 芳香が伸ばした小さな手の先で、木霊の欠片たちがふよふよと舞っている。


「鬼ごっこだね、いいよ」

 

 芳香は木霊の欠片を追いかけていく。

 よたよたと拙い歩き方で向かったのは、村から外れた山中だった。

 木が多い分、村よりも格段に木霊の欠片が多い。芳香は視界いっぱいに広がる木霊の欠片を楽し気に見上げた。


「こんなところで何しているんだ」

「え?」

 

 人間の声がした。

 芳香は視界を覆う木霊の欠片を掻き分けて、声が聞こえた方に進んだ。


「どなた?」

「村の人間だよ」

 

 やっと視界が開けた先には、芳香よりいくつか年上に見える少年がいた。枝のように細い褐色の腕は一見ひ弱に見えるが、凛々しい眉と黒々とした眼力のある目は生気が漲っていて力強い。

 あまり人に対して警戒心がない芳香は、初めて見る人間に興味津々だった。


「ここで木霊たちと遊んでたの?」

「違う。仕事だ」

「どんな仕事をしているの?」

「言えない」

「それはどうして?」

 

 少年はうんざりとした面持ちで深いため息を吐くと、ん、と薄汚れた手を芳香に差し出した。


「俺の事は放っておけ。それより家の人が心配しているはずだ。早く帰ってやれ」

 

 せっかく外に出たのに、もう帰ってしまうのは勿体ない。束の間悩んだ芳香だったが、少年の無言の圧力に押されてしぶしぶ手を握った。


「お兄ちゃんの手、とっても大きいのね」

「まあな」


 村と山の境にある擁壁まで戻ってくると、少年はさっさと背を向けて行ってしまう。


「ねえ待って! 名前をおしえて!」

 

 芳香が必死に叫ぶと、少年は頭を思い切り掻いてから、重々しくこちらを振り返った。


「教えない。・・・もう小さなガキ一人で勝手に山へ入るなよ。二度と会わないよう祈っておく。じゃあ、元気でな」

 

 ひらり、と大きな手を振って、今度こそ芳香がいくら叫んでも振り返ることなく去っていった。


「また会いたいな」

 

 少年の大きく温かな手の感触を思い出すように、ぎゅっと手を握り締めてみた。

 怖く感じるけど、芳香の小さい歩幅に合わせて歩いてくれる、とっても優しい人。   

 芳香はもう一度、また会いたいと呟いた。


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