二十三、木霊の禁忌に触れる
白は瞠目した。
タマを抱きかかえた芳香が、肌で感じるほどの殺意を放ったからだ。
木霊に愛されているが故に、芳香の感情は木霊に伝わりやすい。木々がざわりと重たく騒めいた気がした。
「芳香、どうしたの」
伸ばされた白の手を視界にすら入れず、獲物を狩る獣のように木在だけを睨みつける。
「誰も木在さんを罰しないみたいだから、私がここで罰するよ」
タマが芳香の腕から飛び出して、木在へ一直線に向かっていった。その体躯はみるみるうちに大きくなる。
あっという間に木在の目前まで距離を詰めた。ねちゃりと糸を引きながら大きく口を開いたタマの目がいつになく弧を描く。
鋭い牙が木在の視界いっぱいに広がった。
「待ちなよ!」
タマが齧り付く寸前に、木在はすごい力で吹っ飛ばされた。
地面に背中から叩きつけられ、軽く咽てしまう。
木在に覆いかぶさった白は、タマに睨みを利かす。
「どういうつもり?」
「どうも何も、タマは芳香の望み通り木在を殺すつもりだが」
「さっき芳香のことをそそのかしたね」
「人聞き悪い事を言うな」
白は木在を背に庇いながら考えを巡らせた。
芳香が殺意を向けている相手を、木霊たちがみすみす逃すはずがない。芳香のテリトリーの中から脱出を試みるのは至難の業だろう。
いくら白が人殺しは駄目だと言い募ろうとも、木霊は芳香を優先する。
「さっさと木在を寄こせ」
タマの発言に呼応するように、辺りの空を覆ってしまう程の、巨大な木霊の欠片の絨毯がぞろりと動き、木在へ向かって下降していく。
「木在を包むつもりなのね」
白は悔し気に奥歯を噛みしめる。
木霊の欠片に包まれてしまった人間に選択肢はない。木霊の祝福を受けるか、それとも呪縛を受けるか。木霊の欠片の敵意が向けられている木在には、間違いなく呪縛が与えられるだろう。
呪縛を受けて耐えられる体が人間にはない。確実に、そして緩やかに締め上げられ死へと誘われる。
白は木霊の欠片だらけの空を仰いだ。
「こりゃ木霊の欠片の安売りバーゲンセールね」
芳香に味方しているこの欠片たちは、このままでは決してこちら側を助けてくれない。けれど、ここで木在を諦めるのは嫌だった。
罪人なら、しっかり罪を背負うべきだ。死へ逃げるなんて許さない。
「私は木在の味方ってわけじゃないよ。ただ、芳香とタマが木在と同じ人殺しにならないようにするだけだから」
「・・・分かっているさ」
木在は己の死を悟ったかのように、不格好な笑みを浮かべた。
「最後に会えてよかった。自分の木霊を欲するあまり、これまで散々惨いことをしてきたが、私はただ単にお前を降ろしたかったんだ。今になってようやく理解したよ」
「本当、バカな人。それでも死んで償うにはまだ早いわ。その前にしっかり生きて罪を背負いなよ」
木在の上から身を起こした白は、殺意に満ちた芳香と対峙した。
芳香の背後で、その身をさらに大きくしたタマが、獲物を目にした獣のように目を血走らせている。
「面白くなってきた」
タマはそう言うや否や、もう一度牙を剥き出しにして木在に襲い掛かる。
白はすぐさま木在に駆け寄る。見え透いた動きだ、とタマは嘲笑した。
「ふん、またそいつを突き飛ばすつもりだな」
「違うよ」
白は、タマが木在に牙を突き立てる直前にその前に立ちはだかり、両手を伸ばしてタマの行く手を阻んだ。だが、タマの勢いはすぐに減速できない。
ぷつり、とウィンナーにフォークを刺したような音がした。
ようやく体が止まったタマは、ゆっくりと白から身を離した。
ぽたり、ぽたりと、白の足元に血だまりが広がっていく。
「思ったよりも痛いな」
そう言ってと力なく笑った白は、ぷつりと糸が切れたように倒れた。
タマは口元を血で真っ赤に染めたまま、呆然と立ち尽くした。
「タマ!」
芳香の叫び声に反応したタマは意識を戻す。
「くそ! 木霊の欠片は芳香に標的を変えたか」
すぐに現状を察したタマは、ひと際大きな舌打ちを鳴らす。
空を覆う木霊の欠片の絨毯は、ぞろりと芳香に向かって空から下降する。その欠片の一部はすでに芳香の両足に纏わりついていた。
タマは忌々し気に呟いた。
「・・・木霊にとって、同族殺しは禁忌だからな」
白を嚙み殺したのはタマだが、同族殺しはご法度。ならば自ずとタマの宿主である人間の芳香が怒りの矛先となってしまう。
きっと白はそれを見越して自分を犠牲にしたのだろう。
「要するに、タマたちの動きを封じてる間に木在を逃そうという算段だろう。だからと言って、これはちとやりすぎだろうが。芳香が呪縛で殺されたらどうしてくれるんだバカ女」
木霊の欠片は芳香に向かって次々と集まっていく。木在やタマには見向きもしないまま、するりとその横を通り過ぎて。
芳香が身じろぐが、捕えられた手足は動かない。
「芳香よ、あまり動くな。すぐにタマが助けるから少し待て」
闇雲に動いても、無駄に体力を消費するだけだ。
とにかく、芳香を包んでいく木霊の欠片をどうにかしなければ。タマは芳香の元にいきたかったが、あまりにも芳香に纏わりつく木霊の欠片が多すぎる。
かといって、無暗に払い退けようとすれば芳香まで傷つけてしまうかもしれない。
「木霊の欠片如きが調子に乗るなよ」
静かな怒気を孕んだタマの声は、確かにその場の空気を震わせた。
「禁忌を犯したとて、その事実を消せば無いも同じだ。貴様ら一匹残らずタマの腹に収めればいいだけのこと。それから木在、最後にお前を食らうてやろう」
四方八方を埋め尽くす木霊の欠片をぐるりと見やったタマは、面倒くさそうに小さく息を吐いた。
「とにかく芳香がいるから傷つけないようにしないと。タマはコントロールが苦手だというのに」
悪態をつきつつも、呼吸を整えて鼻先を空へ向けた。
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