二十一、白い木霊が降りた先・続

「ごめんて」

「許さん」


 一先ず泣き止んだが、つんとそっぽを向いてしまう木霊に、木在は平身低頭謝り続けている。

 ブランコをこぎ出した木霊は、不貞腐れた顔のまま、大きく足を振り上げていた。

 どんどん揺れが大きくなる。

 木在はぼうっと見上げていた。


しろ

 

 だから、背後に立つ気配に気づくのが遅れてしまった。

 振り返ると、同じ年頃の赤いランドセルを背負った少女がいた。


「天木か、どうしてここに」

 

 言いかけてはたと気づく。

 十中八九、木在が降ろそうとしていた木霊を横取りしたのはこの少女だ。

 白はこの木霊に付けた名前だとすぐに推察できた。

 木在の沸点は低い。けれど奥歯を噛みしめて怒りを抑え込む。その脇をすり抜けるようにして、白は少女に駆け寄った。


吉乃よしの、寄り道なんてしたの? まっすぐ帰らないと家の人たちが騒ぐじゃないの」

 

 口ではそう言っているが、ずいぶん嬉しそうに言葉尻が弾んでいる。


「白がいつも遊んでいる場所を見てみたかったの」

 

 吉乃がぐるりと見渡した小さな公園は、いつも人が少ない。


「木在君と仲が良かったのね」

 

 吉乃は青白い顔に柔らかな笑みを浮かべた。


「あまり学校には行けてないから、こうやって面と向かって話すのは初めてだね」

「・・・そうだな」

 

 吉乃は体が弱く学校を休みがちだ。

 小さな村の小学校は一つしかないし、人数も少ないのでそう言った事情は筒抜けであるから知っていた。

 最近、床に臥せることが増えてきたと聞いていたが、どうやら今日は学校へ行けるほど体調が良かったらしい。まだ顔色は優れないようだが。


「こいつ、天木に降りたんだな」

「うん、そうだよ」

「・・・俺がこいつを降ろすつもりだったのにな」

 

 つい口からこぼれ出た言葉に、吉乃は申し訳なさそうに首を垂れた。


「ごめんね」

 

 吉乃の謝罪を素直に受け取るには、木在は幼かった。

 いらいらする。

 謝られたところで、白はもう天木吉乃の物になってしまった。

 木在は無意識に大きな舌打ちを鳴らしていた。


「こら、木在」

 

 白が咎めるが、木在は聞こえないふりをした。

 ランドセルを抱えなおす。


「俺、もうここに来るのやめる。他の木霊を探さないとだめだから。じゃあな、ばいばい」

 

 言ってやった。

 木在は、二人揃って仲良くぽかんと口を開けているのを横目に駆けだした。

 思っていたよりも、木在は白を気に入っていたらしい。

 白が木在ではなく吉乃を選んだ事実が、こんなにも腹立たしくてたまらない。あのまま二人といたら、どちらの事もぶん殴ってしまいそうだった。


「吉乃!」

 

 背後でどさりと重たい音と、白の悲鳴が聞こえた。

 振り返ると、吉乃が地面に倒れていた。

 あまりに突然のことで狼狽える木在だが、それは瞬く間に驚愕へと変化していく。


「大丈夫よ、吉乃」

 

 白はひゅっと息を吸い込むと、意識の無い吉乃の額に手を当て、静かに歌い出した。

 日本語でも英語でもない、聞いたことの無い言葉が音に乗る。

 善も悪も関係なく、まるで全てを許容してくれるような優しい歌声がその場を支配した。木在の苛立ちが瞬く間に消え失せていく。

 ずっと傍で聴いていたいと木在は思った。

 優しく儚げな旋律は、空気に乗って響き渡る。この小さな村の至る所に浮遊する木霊の欠片が、嬉し気に跳ねていた。

 体感では永遠に思えた歌だったが、実際は数分程度のものだろう。白は吉乃の額から手を離すと、木在を見上げた。


「この子は体がとても弱いの。でも私の声なら助けられる」

 

 木在は無言で頷いた。

 そういうことか。木在は、意識はまだないが随分顔色の良くなった吉乃を見下ろした。


「ふうん。あっそ」

 

 白は優しい木霊だ。

 喧嘩ばかりで友達の少ない木在を見かねて、遊び相手になってくれるほどに。

 だから、あんなに誰にも降りないと言っていたくせに、人間に降りた理由に納得できた。


「この子を助ける為に降りたけれど、それが木在と遊ばない理由にはならないでしょ?」

 

 だから、またいつでも遊ぼうという言葉に、木在は首を振った。


「もう遊ばない。俺は、俺に降りてくれる木霊がいい。だからお前はいらない」

 

 歌声で消えたはずの苛立ちがぶり返す。

 木在は語気を強めてそう言い放つと、その場を立ち去った。

 それ以来、白と木在が会う事は無かった。

 

 ずっと自分に降りる木霊を探していたけれど、心の一番深く柔い場所では、常に白を欲していた。

 遠い記憶を思い出し、木在はふっと口元を緩めた。


「木在様、天木様がお目見えですが」

「すぐに降りる。ロビーで待ってもらってくれ」

「承知いたしました」

 

 清山ダムで起こった事件のほとぼりが冷めるまで避難先にしているホテルに、天木と名乗る人物がやってきた。

 誰にもここに居る情報は晒していないはずだが、どこから漏れてしまったのか。

 思案しているうちにロビーについた。

 ぽつんと一人、三人掛けのソファに腰掛けている少女が顔を上げる。


「お久しぶりです、木在さん」

「久しぶりだね、芳香ちゃん」

 

 木霊に愛されている少女がいた。


「せっかくだ、外で話そう」

 

 自然に囲まれていることが売りの観光ホテルだ。整備されたホテルの敷地から出れば、山道が続いている。

 山道から逸れて木々が生い茂るそこに足を踏み入れれば、そこは天木芳香のテリトリーとなる。


「あの地下の実験施設は、木在さんが作ったんですよね」

「そうだよ。運営は宇能に任せていたがね」

 

 丸腰で芳香のテリトリーに入り、己の罪を自白した。

 もうそろそろ、誰かに止めてもらいたかったのかもしれない。だって、どれだけ木霊を追い求めても、木在に木霊が降りることはなかった。


「ねえ、木在さんはリモコンを押しましたか?」

「二回押したよ」

 

 木霊と共に強くなりたいと縋ってきた安住。

 木霊の研究に心血を注いだ宇能。

 利用してきた二人を切り捨てた。


「人殺し」

「ああ、違いないよ」


 天木芳香の明確な怒気を、木在は狂いなく感じ取った。

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