二十、白い木霊が降りた先

 ざわりと木々が揺れ、風が頬を撫でる。

 芳香はいつもの雑木林へ赴き、無造作に転がっている岩に腰掛けていた。

 清山ダム付近で起きた、カルト集団による児童誘拐殺人事件として、施設関係者は軒並み逮捕された。

 世間を騒がせた事件となったが、凄惨な事件はすぐに更新されていく非情な世界だ。話題は二月も経てば移ろっていく。


「タマ、おいで」

 

 緑に発光する木霊の欠片は、芳香を歓迎するように木々から降ってきた。

 木霊の欠片は集結し、瞬く間に白い獣を象った。


「まずはタマの毛並みを整えるがいい」

 

 しゃがれた声は楽し気に弾んでいる。

 芳香はタマの頭を膝に乗せ、柔らから毛に手を埋めた。


「安住君の遺体は見つかってないんだって」

「当たり前だ。ギョクが咥えて行ったからな」

 

 あの日、氷が消え去った後、隠されていた地下は徹底的に捜査された。

 芳香たちが警察に発見される直前に、ギョクは安住を加えて穴から去っていったのを覚えている。

 信人は爆弾のリモコンについて、表面上冷静を装い説明した。その後の慌ただしさは異様だった。まずは直ちに子供たちの頭が調べられることになった。これで、子供たちを助けるという当初の目的は果たせた。

 だから、ここからは物語でいう所の蛇足となる。


「行こうか、タマ」

 

 タマの背に飛び乗った芳香は、爛々とした目で彼方にいるはずの木在を見据えた。


 ぼとり、と涎と共に安住が落ちたのは、柔らかな枯草の上だった。

 ギョクはすっかり冷たくなった安住の傍らで丸くなる。

 安住の頬に、小さな木霊の欠片がくっついているのを見て、ギョクは笑みを浮かべた。


「だめだよ、密。僕が安住の木霊なんだから」

 

 鼻先で突くと、木霊の欠片は風に揺られてふわりと舞い上がった。

 木々が騒めき、一陣の風が吹く。


「もう、いいかな」

 

 ギョクはそう言うや否や、静かに獣の姿を脱ぎ捨てた。

 毛先から発光していく。それは木霊の欠片となり、ふわりと空へ舞い上がっていく。そして最後に残ったのは、安住と出会ったころの、小柄な少年の姿だった。


「強くなりたいんだ」

 

 そう言った昔の自分を思い出す。

 安住の思いを受け止めて、ギョクはタマのように強くあろうとした。

 獣は象りにくい。それでも無理に象り続けた。

 体は重いし、体力の消耗は激しいし、唾一つ飲み込むことすら億劫になるほど、獣の姿は辛かった。

 それでも、タマのように強くあれば、安住の満足そうな顔を見ることができたから、ギョクはそれが嬉しかったのだ。


「ねえ安住、僕はもっと強くなってみせるよ!」

 

 かつてのギョクに向かって、安住は嬉しそうに相好を崩した。


「ああ。俺たちはこれからも一緒に強くなるんだ」

 

 薄暗い小部屋で、それでも力を求めて寄り添いあった。

 辛いけど幸せだったあの日々は、もう戻ってくることがない。

 ギョクはくうんと子犬のように鼻を鳴らす。


「安住がいないなら、もういいや」

 

 ギョクはそっと目を閉じた。

 枯草から煙が出始める。火の回りは早かった。

 ギョクと安住を弔うかのように、木霊の欠片は彼らの周囲をゆらゆらと舞った。

 

 ※

「いじけないでよ、木在」

「いじけるさ。なんで俺の木霊にならねえわけ?」

 

 木在は分かりやすく機嫌を損ねていた。

 小学校でもずっと不機嫌でいた木在は、一日中同級生から怖がられる事となった。

 それもこれも、隣にいる木霊のせいである。

 白髪のおかっぱ頭の小さな少女は、苦笑して木在の頭を小突く。


「私は誰にも降りないの。そう決めてるって言ってるでしょ」

「こんなに仲良しなのに?」

「仲良しでも」

 

 ふと木在は気づいた。少女が着ている赤い着物は、泥で汚れていた。

 木在が問うと、どうやら近所の悪ガキに泥団子を投げられたらしい。


「はあ? そんなの俺が仕返ししてやるよ。どんな奴だ?」

 

 手首を鳴らす木在をジト目で見上げた少女は、それはもう深くため息を吐いた。


「あのねえ、そうやってすぐに暴力に訴えるのやめなさいよ。向こうはあんたよりももっと子供だったし、珍しい白髪だったから興味持たれて追いかけられただけよ。私を止める為に泥団子を投げてきた事にはいらっとしたけど、本人が許してるんだから、その話はもう終わりよ」

 

 木在は低く唸り、迷った末に木霊の意見を受け入れた。


「分かったよ」

「いいこね。さあ、今日も遊びましょう!」

 

 最近、放課後はこの木霊と遊んでいた。

 木在よりも冷静で、優しくて、少し口うるさい。木在はこの木霊を降ろしたいと常々考えている。

 だから、二度や三度振られたくらいで諦めるという選択肢はないのだ。


「なあ、俺に降りたらいつでも遊んでやれるぜ?」

「・・・ガキごときが安い台詞吐かないでくれる?」

 

 白い頭の少女は、さっさといつもの遊び場に駆けていく。

 木在はその背を追いかけた。

 日が落ちるまで遊ぶ。毎日繰り返しても、飽きる事なんてなかった。

 だから、正に青天の霹靂だったのだ。


「坊ちゃんが遊んでいた木霊なら、天木さん家に降りたんじゃないかな」

 

 庭師から聞いた話しに、木在の思考は止まった。

 あの木霊は誰にも降りないと決めていたはずだ。だから庭師は嘘を言っている。

 そう思ったが、嫌な予感にいてもたってもいられず、いつもの遊び場に駆けて行った。


「ごめんね、木在」

 

 会って早々の木霊の発言に、庭師の話しが本当だったことを悟る。

 気づけば、木在は木霊の手首を捻りあげ、近くの木の幹に押し付けていた。

 木霊の顔が苦痛に歪む。


「嘘つき」

 

 木在はさらに力を込めると、痛みに耐え切れず、木霊が盛大に泣き出した。


「うわ、そんな泣くなよ」

「だって痛いいぃ!」

 

 えーんと赤子のようにしゃくり上げる木霊を前にして、木在はようやく平静を取り戻した。そっと手を離す。木霊の手首には真っ赤な跡が残っていた。気まずくなった木在は視線を落とした。

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