十三、再会した木霊・続
タマとギョクの体が激しくぶつかり合う。
あまりの勢いに、ギョクの背から振り落とされそうになった安住だったが、寸前のところで堪えた。腕の中に抱えた密の無事を確かめて周囲の状況を整理する。
あのギョクがタマを目の前にして、素直にこの場から撤退するとは思っていない。
咄嗟に芳香を突き放したが、これで木霊同士の戦闘に巻き込まれることは無いとは言えない状況だ。なにより、こちらは密と二人、渦中の背中にいるのだ。危険区域ど真ん中である。
背中に嫌な汗が伝う。
安住にとって、ここが身動きの取れない上空だという時点で、行動はかなり制限されている。
こういう時に痛感する。
結局、安住は木霊の力がないと無力だということを。
「こりゃ厄介だな」
そう言いながらも、安住の心情としては、現状を利用できるとも考えていた。
「おい、密」
「何?」
つっけんどんな密の物言いにいらっとしながらも、安住は名案を教えないわけにはいかなかった。
「俺は宇能との約束を違えるわけにはいかない。でも、あのタマと接触したのなら、密の奪還を失敗することは十分あり得る」
「・・・それって、つまり」
「ここで密の奪還に失敗したのは、天木芳香とタマの邪魔が入ったから。そう説明すれば、密の頭がすぐに爆発することもない」
しばらくすれば、いなくなった密への興味が薄れるかもしれない。そしたら、隙をついて宇能の持っている爆弾のスイッチを切ることも可能だ。全てが上手くいくとは限らないが、可能性がゼロでないだけ上々の作戦だ。
「俺やギョクと違って、密には今、逃げるチャンスがあるってことだ」
密は小さく、それでも力強く頷いた。
二匹の獣はお互いに攻撃を繰り返している。
ギョクがタマへもう一度突進する。それを難なく交わしたタマは、大口を開けて思いっきり息を吸い込む。
瞬く間に肺が空気で満たされていく。
その間に、素早い身のこなしでギョクの首根っこを掴むことに成功したタマは、安住と密を一瞥してから、照準をギョクに合わせた。
大きく開かれた口の中に、ビー玉くらいの大きさの球体が見える。
ギョクの頭越しにそれを視認した安住と密は、米神に嫌な汗が伝うのを感じた。
キュインキュインと甲高い音を立てて高速回転しているそれは、恐らくタマの力を圧縮したものだろう。
目の前にあるその球体が放たれてしまえば、目の前にいるギョクは一たまりもない。
「ああ、それね」
それでも依然として余裕綽々のギョクは、タマと同じように口を開き、瞬く間に球体を作ってみせた。
甲高い音が耳を劈く。
あまりの煩さに耳を塞いでしまいたくなる。それでも、安住はギョクから手を放すわけにはいかなかった。
「ぶつかるぞ」
安住が言うや否や、二つの球体がそれぞれの口から放出された。
至近距離から同時に放たれた球体は、すぐさま衝突した。
金属同士がぶつかったかのような重い音を響かせて、球体はまるで爆発したかのようだった。
風圧に負けて、ギョクは大きく後退する。
「二人とも大丈夫?」
「問題ない」
安住の返答を聞き、ギョクは安心したかのように目を細めた。
「ねえ、さっきのみた? あいつ強いけど、やっぱり僕も強いよね。・・・いてて」
「そうだな。ギョク、気が済んだなら帰ろう」
球体の衝突で起きた爆風のせいで、ギョクの前足が深く抉れていた。そこからどろりと血が落ちる。
咄嗟に体を庇おうとして前足が出たのだろう。見るからに痛々しいそれは、早いところ治療が必要だ。
「仕方ないね。向こうも無傷じゃないみたいだし、僕の実力が試せたいい機会だったよ」
ギョクの言う通り、タマも深手を負っていた。
「タマの真似がそんなに楽しいか。タマは全く楽しくないぞ」
胸から手足にかけて、だらりと血が垂れている。タマは気まぐれに自分の血をぺろりと舐めてみたが、おいしいものではない。
タマは不機嫌を全開にしてしっぽをぶんぶん振り回す。
「こういう時は、芳香に癒してもらうに限る」
ちらりとギョクを確認すると、向こうの戦意はすでに無いことが分かった。昔から何かとタマに対抗してくる木霊だ。芳香の件は決して許しはしないが、一旦保留としよう。木霊とて、傷は痛む。
さて、芳香の元へ戻ろうと踵を返すと、芳香の姿はなかった。
バタバタバタ、とプロペラの音がする。
一機のおもちゃのようなヘリコプターがタマの視界に入った。深緑が怒りに燃える。小窓の奥に、気を失ったままの芳香を見つけたからだ。
「芳香!」
タマが吠えた。
すると空気が激しく揺れて、ヘリコプターが大きく体勢が崩れた。
タマは俊敏な動きで芳香の元へ飛ぶ。
しかし、タマを上回るスピードでヘリコプターの前へ先回りしたギョクのせいで、芳香の元へ辿り着けなかった。
「何のつもりだ」
殺気立ったタマに返答したのは、ギョクではなかった。
乗り口がぱかりと開き、そこからひょっこりと顔を出したのは眼鏡をかけた男だ。
「おやおやおや、もしかしなくても君がタマだね? 生で見るのは初めてだ! いやあ、僕って運が良いな。安住の後を追ってきて正解だったよ。申し遅れたね、僕は研究員の宇能。木霊について調べてるんだ」
だからこれからどうぞよろしく、と朗らかに笑う宇能は、黒光りする銃口を芳香の米神に当てていた。
愚かな人間がすることだ。
タマは金属音のような歯ぎしりをして、何とか怒りを押し込めた。迂闊に動くと芳香が危ない事は明らかだ。
「君は理性的な木霊だね。それと、安住」
宇能は温度の無い目で安住を捉える。
「遅いから迎えに来たよ。みんなで清山に帰ろうか」
安住は無言で頷いた。
乗り口が再び閉じる。
迷うことなく進むヘリコプターの後を追うように、ギョクとタマも続いた。
「これは最悪な展開になるかもしれないね」
「どういう意味だ?」
今のところ宇能に隙がないので従っているが、時を見計らって芳香を取り戻すことは決定事項だ。
隙を伺っているタマに横槍を入れるギョクは、だらりと涎を垂らしながら愉快そうに笑った。
「早く天木芳香を取り戻さないと、お前も僕たちみたいに宇能の言いなりになってしまうよ」
ギョクの背に跨る安住が、とんとんと指先で自分の頭をつつく。
「宿主に爆弾を埋め込んで、木霊を脅すんだ。宿主を失いたくない木霊は、そうして宇能に服従するしかなくなる。逆も然り。木霊に爆弾を仕込んで宿主もろとも制御したり」
「ずいぶん胸糞悪い話だな。だが、何故タマの天木芳香に手を出した?」
タマは自分の強さを自負している。
そんなタマを唯一統べることのできる芳香は特例のはずだ。
あの木在でさえ芳香には手を出さなかったというのに、何故今頃になってこんなことに巻き込まれなければいけないのか、タマはてんで理解できないでいた。
首を傾げるタマに答えを示したのは、今まで口をつぐんでいた密だった。
「宇能はね、狂ってるんだ。お姉ちゃんを敵に回す恐怖よりも、天木芳香という被験者を手に入れて、自分の研究心を満たすことの方が大事なんだろうね」
手を伸ばせば届く距離に天木芳香がいた。
気を失っていて人質にするのは簡単だった。
宇能は心底喜んだことだろう。いいサンプルが手に入ったと。
「くそが!」
安住は喉を壊す勢いで叫び、ギョクの首に顔を埋めた。
「もう少しで、密くらいは逃がしてやれたかもしれなかったのに」
安住の弱々しい声は、ギョクにすら届かないほど小さなものだった。
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