九、オムライスの約束
駅前は人が多い。それに加えて休日だ。目当ての洋食屋も混んでいると思ったが、嬉しい事に予想は外れた。
スムーズに通されたボックス席に腰掛けて、四人はようやく一息つくことができた。
「それにしてもいい天気だね。こんなにカラッとした日は久しぶりな気がする」
窓際に座っている芳香からは、青い空が良く見えた。
オムライスを待っている密が、隣でそわそわと落ち着きなく動いている。
店内には、芳香たち一行を含めて三組の客しかいなかったので、そう待たずともすぐに人数分のオムライスが運ばれてきた。
密の目が分かりやすく煌めいた。
「オムライスだ! 僕、知ってるよ!」
芳香は、机に乗り上げる勢いの密を慌てて制す。
「密君、ちゃんと座って食べないとだめだよ」
「はあい」
しぶしぶ座りなおした密は、不器用な手つきでスプーンを握った。密が持つと、スプーンが一回り大きく見えて微笑ましい。
「密の一口は大きいね」
向かいに座る信人がくすりと笑う。
密は気にせず大きな口にオムライスを放り込んだ。
「・・・・・・おいしい」
そう一言だけ呟くと、密は黙々とスプーンを口へ運び続けた。
※
ぐったりと地面に横たわっている少女に、密は何もしてやることができない。
地下牢には何もない。
時折、研究員が様子を見にくるが、彼女を助けてやってくれと頼んでも、首を縦に振ることは一度だってなかった。
日に日に呼吸が細くなっていく。出会ったときから細身だったが、今はほとんど骨と皮だけのような有様だ。
死は確実に近づいている。それは、明里の木霊である密が一番理解していた。
「
小枝のように折れそうな明里の肩を揺らすと、薄い瞼がゆっくり開いた。
「大丈夫だよ、密。こっちへおいで」
明里は、甘えたな密をよく抱きしめてくれる。
いつものように、折れてしまいそうなほど細い腕の中に納まると、ちゃんと明里の体温を感じることができた。
それでも不安は尽きない。この温もりは、明日には消えているのかもしれないのだ。
「密、そんなに辛そうな顔をしないで。ほら、これを見たら元気になれるでしょ」
地下牢の壁は塗装されておらず、岩肌が剥き出しだ。その隙間を上手く利用して隠してある、古びた料理雑誌を引っ張り出した明里は、得意げに密へ差し出した。
明里が家から隠し持ってきたものだ。辛い時や、気を紛らわせたい時によく見ている。
「ここに連れてこられる前はね、お母さんと毎日ご飯を作っていたんだよ。いつか密にも作ってあげるからね」
「うん。明里ちゃんの得意料理が食べたいな。これは作れる?」
「ハンバーグ? 作れるよ」
「どんな味なの?」
「えっとねえ、すっごくおいしくて幸せがいっぱい詰まってるような味だよ」
ぺらぺらと料理雑誌をめくると、黄色い食べ物が目に留まった。
「これは作れる?」
明里はページを覗き込んで苦笑いする。
「オムライスかあ。これは苦手で、まだ上手にできないの。だから、完成したら一番最初に密にあげるからね」
「絶対だよ!」
明里は力なく頷くと、ゆっくり眠りへ落ちていった。
この部屋はいつも寒くて暗い。密は少しでも明里を温めたくて、ぎゅっと身を寄せた。
「密、その雑誌はちゃんと隠しておけよ」
頼りない豆電球がついたと思ったら、安住がずかずかと地下牢の鍵を開けて中に入ってきた。
言われた通りに雑誌を元に戻す。
安住はパーカーのポケットからサンドイッチやおにぎりをいくつも取り出した。
「他の子には配り終わった。お前らが最後だ。見つかる前にさっさと食えよ」
密が慌てて明里を揺り起こす。
「眠たいの、やめて」
嫌がる明里の前に、おにぎりを差し出す。
「安住が持ってきてくれたよ! 一緒に食べよう」
「安住?」
明里が小さく身じろいだ。
「おう。さっさと食べろ」
密に支えてもらいながら上体を起こした明里は、嬉しそうに安住に手を伸ばした。
「久しぶりだね。ご飯持ってきてくれてありがとう。最近はスープばかりだったから、すごく嬉しい!」
よしよし、とまるで子犬のように撫でられた安住は、苛立たし気におにぎりの包装紙をはぎ取り、無理やり明里の口へ放り込んだ。
「ちゃんと噛めよ」
明里はおいしそうに頬張る。
たくさん食べて、少しでも元気になってほしい。安住と密は同じ思いで明里を見つめた。
「なに、ご飯粒でもついてる?」
「ついてないよ」
密は自分の口角が自然と上がっていることに気づく。
口いっぱいにおにぎりを頬張る明里を見て、束の間の安堵を得ることができた。
この少女の傍に、少しでも長くいたいと切望せずにはいられない。
「さっき宇能に会ったら、次の実験は明里を使うと言ってた。今のうちにたらふく食って休んでおけよ」
子供たちは順番通りに実験に参加する。確か、明日は違う子だったはずだが。
やけに暗い声だな、と密は思った。
安住を横目で見ると、噛みしめた唇からは血が流れ出ていた。
「安住?」
「・・・・・・ゴミは雑誌と一緒に隠しておけ。また回収しに来る」
密は去っていく安住の背中を追いかけた。
地下牢がある部屋から出たところで振り向いた安住は、迷子になった子供のように頼りない顔をしていた。
「まだ死ぬと決まったわけじゃない。でも宇能が言ってた。そろそろ明里は限界だろうから終わらせようかって。それってどういう意味か分かるか?」
がつんと頭を殴られたような衝撃が密を襲う。
嫌でも察する。明日の実験の真意を。
「終わらせようかってどういう意味だ? 明里はもう、実験に参加しなくていいってことか? それなら、もう明里は苦しまずに済む。それは嬉しい事だ」
全く嬉しくなさそうな顔の安住も、薄々勘づいているのだろう。
密は急いで身を翻した。
「明里ちゃん、今すぐここから逃げよう! じゃないと」
「知ってるよ。でも、いいの」
明里は地面に寝そべったまま、弱々しく笑った。
「ごめんね密、ご飯食べたら眠たくなっちゃった。だから少し休ませて」
あっさりと目を閉じた明里に近づき、呼気を確認する。
弱々しいが、まだ生きている。密は明里を抱き上げようとするが、重たくて持ち上がらない。
「お願い、これからも一緒に生きてよ、明里ちゃん」
密の願いは誰の耳にも届かず消えていく。
こんなにも、非力な自分を憎んだことは無い。こんなにも、明里にひどい仕打ちをする世界を恨んだことは無い。
研究員が明里を迎えに来るまで、密はずっと明里の顔を眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます