九、オムライスの約束

 駅前は人が多い。それに加えて休日だ。目当ての洋食屋も混んでいると思ったが、嬉しい事に予想は外れた。

 スムーズに通されたボックス席に腰掛けて、四人はようやく一息つくことができた。


「それにしてもいい天気だね。こんなにカラッとした日は久しぶりな気がする」

 

 窓際に座っている芳香からは、青い空が良く見えた。

 オムライスを待っている密が、隣でそわそわと落ち着きなく動いている。

 店内には、芳香たち一行を含めて三組の客しかいなかったので、そう待たずともすぐに人数分のオムライスが運ばれてきた。

 密の目が分かりやすく煌めいた。


「オムライスだ! 僕、知ってるよ!」

 

 芳香は、机に乗り上げる勢いの密を慌てて制す。


「密君、ちゃんと座って食べないとだめだよ」

「はあい」

 

 しぶしぶ座りなおした密は、不器用な手つきでスプーンを握った。密が持つと、スプーンが一回り大きく見えて微笑ましい。


「密の一口は大きいね」

 

 向かいに座る信人がくすりと笑う。

 密は気にせず大きな口にオムライスを放り込んだ。


「・・・・・・おいしい」

 

 そう一言だけ呟くと、密は黙々とスプーンを口へ運び続けた。


 ぐったりと地面に横たわっている少女に、密は何もしてやることができない。

 地下牢には何もない。

 時折、研究員が様子を見にくるが、彼女を助けてやってくれと頼んでも、首を縦に振ることは一度だってなかった。

 日に日に呼吸が細くなっていく。出会ったときから細身だったが、今はほとんど骨と皮だけのような有様だ。

 死は確実に近づいている。それは、明里の木霊である密が一番理解していた。


明里あかりちゃん、起きて。置いていかないで」

 

 小枝のように折れそうな明里の肩を揺らすと、薄い瞼がゆっくり開いた。


「大丈夫だよ、密。こっちへおいで」

 

 明里は、甘えたな密をよく抱きしめてくれる。

 いつものように、折れてしまいそうなほど細い腕の中に納まると、ちゃんと明里の体温を感じることができた。

 それでも不安は尽きない。この温もりは、明日には消えているのかもしれないのだ。


「密、そんなに辛そうな顔をしないで。ほら、これを見たら元気になれるでしょ」

 

 地下牢の壁は塗装されておらず、岩肌が剥き出しだ。その隙間を上手く利用して隠してある、古びた料理雑誌を引っ張り出した明里は、得意げに密へ差し出した。

 明里が家から隠し持ってきたものだ。辛い時や、気を紛らわせたい時によく見ている。


「ここに連れてこられる前はね、お母さんと毎日ご飯を作っていたんだよ。いつか密にも作ってあげるからね」

「うん。明里ちゃんの得意料理が食べたいな。これは作れる?」

「ハンバーグ? 作れるよ」

「どんな味なの?」

「えっとねえ、すっごくおいしくて幸せがいっぱい詰まってるような味だよ」

 

 ぺらぺらと料理雑誌をめくると、黄色い食べ物が目に留まった。


「これは作れる?」

 

 明里はページを覗き込んで苦笑いする。


「オムライスかあ。これは苦手で、まだ上手にできないの。だから、完成したら一番最初に密にあげるからね」

「絶対だよ!」

 

 明里は力なく頷くと、ゆっくり眠りへ落ちていった。

 この部屋はいつも寒くて暗い。密は少しでも明里を温めたくて、ぎゅっと身を寄せた。


「密、その雑誌はちゃんと隠しておけよ」


 頼りない豆電球がついたと思ったら、安住がずかずかと地下牢の鍵を開けて中に入ってきた。

 言われた通りに雑誌を元に戻す。

 安住はパーカーのポケットからサンドイッチやおにぎりをいくつも取り出した。


「他の子には配り終わった。お前らが最後だ。見つかる前にさっさと食えよ」

 

 密が慌てて明里を揺り起こす。


「眠たいの、やめて」

 

 嫌がる明里の前に、おにぎりを差し出す。


「安住が持ってきてくれたよ! 一緒に食べよう」

「安住?」

 

 明里が小さく身じろいだ。


「おう。さっさと食べろ」

 

 密に支えてもらいながら上体を起こした明里は、嬉しそうに安住に手を伸ばした。


「久しぶりだね。ご飯持ってきてくれてありがとう。最近はスープばかりだったから、すごく嬉しい!」

 

 よしよし、とまるで子犬のように撫でられた安住は、苛立たし気におにぎりの包装紙をはぎ取り、無理やり明里の口へ放り込んだ。


「ちゃんと噛めよ」

 

 明里はおいしそうに頬張る。

 たくさん食べて、少しでも元気になってほしい。安住と密は同じ思いで明里を見つめた。


「なに、ご飯粒でもついてる?」

「ついてないよ」

 

 密は自分の口角が自然と上がっていることに気づく。

 口いっぱいにおにぎりを頬張る明里を見て、束の間の安堵を得ることができた。

 この少女の傍に、少しでも長くいたいと切望せずにはいられない。


「さっき宇能に会ったら、次の実験は明里を使うと言ってた。今のうちにたらふく食って休んでおけよ」

 

 子供たちは順番通りに実験に参加する。確か、明日は違う子だったはずだが。

 やけに暗い声だな、と密は思った。

 安住を横目で見ると、噛みしめた唇からは血が流れ出ていた。


「安住?」

「・・・・・・ゴミは雑誌と一緒に隠しておけ。また回収しに来る」

 

 密は去っていく安住の背中を追いかけた。

 地下牢がある部屋から出たところで振り向いた安住は、迷子になった子供のように頼りない顔をしていた。


「まだ死ぬと決まったわけじゃない。でも宇能が言ってた。そろそろ明里は限界だろうから終わらせようかって。それってどういう意味か分かるか?」

 

 がつんと頭を殴られたような衝撃が密を襲う。

 嫌でも察する。明日の実験の真意を。


「終わらせようかってどういう意味だ? 明里はもう、実験に参加しなくていいってことか? それなら、もう明里は苦しまずに済む。それは嬉しい事だ」

 

 全く嬉しくなさそうな顔の安住も、薄々勘づいているのだろう。

 密は急いで身を翻した。


「明里ちゃん、今すぐここから逃げよう! じゃないと」

「知ってるよ。でも、いいの」

 

 明里は地面に寝そべったまま、弱々しく笑った。


「ごめんね密、ご飯食べたら眠たくなっちゃった。だから少し休ませて」

 

 あっさりと目を閉じた明里に近づき、呼気を確認する。

 弱々しいが、まだ生きている。密は明里を抱き上げようとするが、重たくて持ち上がらない。


「お願い、これからも一緒に生きてよ、明里ちゃん」

 

 密の願いは誰の耳にも届かず消えていく。

 こんなにも、非力な自分を憎んだことは無い。こんなにも、明里にひどい仕打ちをする世界を恨んだことは無い。

 研究員が明里を迎えに来るまで、密はずっと明里の顔を眺めていた。

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