六、地下室の子供

 慎重に一本道を進んでいくと、やがて広い空間にたどり着いた。

 コツ、と固い足音が周囲に反響する。足元を見ると、地面はきれいにタイル張りされていた。

 高い天井には、いくつもの電球が備え付けられており、痛い程に眩しい。


「すごい、広いところだね」

 

 芳香は辺りを隈なく見渡す。

 この広場はきれいな円形だ。その円形を囲うように、芳香たちが来た道と同じ、一本道の穴がいくつも先へ続いている。

 少し動いてしまうと、どこからこの場所へ出てきたのか、分からなくなりそうだ。


「頭が変になりそうな空間だ」

 

 信人が休憩とばかりにしゃがみこんだ。

 女性は蔓をいくつもの穴に這わせている。人の気配を探っているのだろう。

 女性の袂からは自由自在に蔓が伸び縮みしている。


「うん、やっぱりこっちに人がいるね。いいかい、さっきの奴らがここで何をしているのか確認できたら、すぐ帰るからね」

「分かった!」

 

 芳香が即座に返答する。

 いい返事だ、と女性が優しく頭を撫でてくれた。

 出てきた所とは別の穴へ入る。

 芳香は振り返ってみた。もう、どこから来たのか分からなかった。


 この一本道は奥へ進むほど道幅が広がっていき、左右には、やはりいくつもの小部屋が並んでいた。

 やがて、突き当りにたどり着く。

 すぐ右側にある小部屋の扉には、女性が伸ばした蔓が張り付いていた。


「ここから人の気配がするんだけどねえ。まあ、まずはこっちへ来な」

 

 地面はタイル張りだが、壁は岩肌が剥きだしたままで凸凹している。小部屋からちょうど死角になっている窪みへ身を潜めることができた。


「ここからじゃ、何も分からないね」

 

 これからどうするか考えあぐねていると、程なくして扉が開いた。

 女性が、信人と芳香を抱き寄せて気配を殺す。死角とは言っても、覗き込まれたらすぐにばれる、逃げ場のない突き当りだ。


「なかなか上手くいかないもんだな」

「そうだなあ。まあ、今日の分は全部運び終わったんだから、俺たちの任務は無事終了だ」

「おう。帰りは久しぶりに飲みに行くか」

「お! いいね!」

 

 扉から出てきたのは、先ほど見た作業員たちで間違いない。

 彼らの足音はのろのろと遠ざかっていった。

 完全に彼らの姿が見えなくなっても、三人はすぐに動き出すことができなかった。

 心臓が飛び出しそうなほど速い。手先の感覚がなくなる程に緊張した。

芳香は信人を伺いみる。すごい量の汗をかいていた。そして、自分も尋常じゃないほどの汗をかいていることに気づいた。


「さっきのやつらが運んでいた荷物は、きっとこの中だ」

 

 信人が額の汗を拭い、立ち上がる。

 三人は身を寄せ合いながら、そうっと扉を開いた。

 そこは薄暗い部屋だった。

 真っ先に目に入ったのは、頑丈そうな鉄格子だ。


「嘘でしょ」


 目前に広がる光景を認識して、芳香が真っ先に膝から崩れ落ちた。

 薄暗さに目が慣れた信人も、思わず力が抜けて壁に寄りかかる。

 鉄格子の向こう側には、ぐったりとした様子で横たわっている子供たちが、ざっと十人程いた。その中にこちらを見ている子が数人いるが、どの子も目が虚ろで無反応だ。


「・・・どうしてこんなところに子供たちが」

 

 自分の言葉にはっとした信人が、強く拳を握り締めた。


「木在が集めた被験者かもしれない」

 

 信人の声はひどく震えていた。

 もしあの時、木在に捕まっていたら、自分はここにいたのかもしれない。

 その考えに至り、ぞわりと鳥肌が立った。


「危ない事になった。人がこっちへ来るよ」

 

 蔓を伸ばして周囲を警戒していた女性が声を上げた。一気に緊張が高まる。

芳香は焦る。身を隠すような場所なんてない。

 この部屋には鉄格子と、その手前に小さな椅子が置かれているだけだ。


「こっちだよ」

 

 いきなり芳香の服が後ろに引っ張られた。


「うわ!」

「しー、静かにして」


 小さな人差し指を口元に当てた子供が、こてんと小首をかしげた。

 どこからともなく現れた子供は芳香を引っ張って、鉄格子の直ぐ脇にある小部屋へと押し込む。

 部屋が薄暗いせいで、扉があることに全く気付けなかった。


「ほら、早く」

 

 子供が信人たちを急かす。

 最後に信人が小部屋へ滑り込み、扉を閉じたのとほぼ同時に、人が部屋へ入ってきた。足音から、数人いることが分かる。

 若い男性の声が、古びた扉越しに聞こえる。


「今日届いた子たちだね。注射は痛かっただろうに、よく頑張ったね。明日から実験に参加してもらうから、今日はもうゆっくりお休み」

 

 やはり、この子たちは被験者だ。

 芳香が生唾を飲み込む。

 その音に気づいたかのように、足音がこちらへ近づいてきた。


「どうされました?」

 

 別の男の声が呼び止めた。


「いや、ひそかの様子も確認しておこうと思ってね」


 子供が芳香の背に縋ってきた。背中越しに震えているのが分かる。


「お願い、助けて」

 

 怯え切った小さな声が、芳香の胸に刺さる。

 程なくして、無情にも扉が開いた。


「密、調子はどうだい?」

「・・・いつも通り」

「それは何よりだ」

 

 若い男性は白衣を着ていた。首から下げている名札には宇能うのと書かれている。


「新しい子が入ったんだ。見たかい?」

「見てない」

 

 密は頑なに宇能を見ない。それでも宇能は笑顔で接し続ける。

 何度か問答が繰り返され、宇能は満足気に小部屋を後にした。

 扉がゆっくり閉まり、扉の裏側に隠れていた三人がほっと胸を撫でおろす。


「次こそ死ぬかと思った」

「私も」

 

 一先ず危機を乗り切ったが、次はこれからどうするかだ。


「この子たちを助けなきゃ。警察に言おう」

「きっと僕たちの証言だけでは信じてくれないだろうね。どうしたもんかな」

 

 悩み始める二人に、女性が呆れた声を出す。


「それはここを出てから考えな。厄介なことに、ずいぶんと人が増えてしまってるんだよ」

 

 無暗に蔓で探ると外の人間にばれるかもしれない。女性はしぶしぶ蔓を引っ込める。


「いつこの部屋に人が来てもおかしくない。早く脱出しないと」

 

 焦りだけが募っていく。

 何か、この状況を打破できる方法はないか。

 考え込む芳香の膝に乗り上げた密が口を開いた。


「逃げ道、作ればいいよ」

 

 小さな両手で芳香の頬を勢いよく挟み、壁の前まで連れていく。


「ここ、壊したら外だよ」

 

 密が期待を込めた目で促してくる。


「壊すって、どうやって」

「お姉ちゃんの木霊を使って」

 

 早く、と急かされる。悠長に考えている暇はない。とにかく今は、ここから脱出することを考える他ない。

 芳香は腹をくくってその名を呼んだ。


「タマ、助けて」

 

 突如、吹き飛ばされそうなほどの風圧が芳香たちを襲った。

 咄嗟に腕で目を覆い、巻き上がる砂埃から守る。

 ガタガタと小部屋の扉が派手に音を立て、ガラガラと何かが崩れ落ちる。地震と見紛う大きさの地響きに、ついに立っていられなくなった。


「全く、本来タマの背は芳香だけのものだと言うのに。いいか、くれぐれも大人しくしていろよ、芳香以外のひよっこ共よ」

 

 しゃがれた声に、芳香はほっと胸を撫でおろした。

 砂埃が薄らぎ目を開けると、壁には大きな穴が開いていた。そこから外を見ると真下には川が流れている。どうやらここは崖の中腹らしい。

 ドタバタと複数の足音が慌ただしくこちらへ向かってくる。


「さあ、背に乗れ」

 

 穴の外で浮遊しているタマがこちらへ背を向ける。


「なに、これ」

 

 タマを穴が開くほど見つめ、あんぐりと口を開けて立ち尽くす信人の腕を芳香が引っ張る。


「いいから早く!」

 

 全員がタマの背に飛び乗った。


「後で必ずタマの毛をブラッシングするが良いぞ、芳香」

「うん、するね」

 

 タマは鼻を鳴らして満足気に尻尾を揺らすと、大きく飛び上がった。

 ひたすら上昇する。


「うああああああ!」

 

 信人が絶叫する。密は興味深そうに辺りを見渡していた。

 清山周辺に民家は少ないが、緑に紛れるようにして遠くに豆粒ほどの町がある。


「あれが、町?」

「うん、町だよ。ここからだとすごく小さく見えるよね」

 

 芳香が教えると、密は目を輝かした。


「すごいね!」

 

 町に向かって密が無邪気に両手を伸ばす。

 芳香は危なっかしい密を抱え直し、真下を確認した。

 切り立った崖と、流れの激しい川しか芳香の目には映らない。


「よかった、私たちちゃんと逃げられたんだ」

 

 芳香はタマの背を大きく撫でる。やっと、逃げ切れた実感が湧いてきた。

 この後、取り残された子供たちのことを警察に伝えれば、すぐに彼らも助け出されるはずだ。

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