五、木霊の欠片

 木霊の会では兼ねてより噂されていた。


「ここだけの話しなんだけどね、何でもダム建設を推し進めたのは木在さんらしいのよ」

「あら、やっぱりねえ。でも、誰も木在さんには逆らえないわよねえ」

 

 木霊の会の会長であり、清山村の村長でもあった木在は、圧倒的な権力を持っていた。それでも人望が厚かったのは、彼が気さくで、村人のために尽力してくれたからだ。

 木在さんの言うことだから、とよく村人たちが言っていたことを思い出す。


「木在さんがダム建設を推し進めたっていう噂があったの。もしそうなら、元村長とダムの関係者に繋がりがあってもおかしくないよ」

 

 信人が息を飲む。


「確かに。どのみち見つかったら厄介だ。このまま山に逸れよう」

 

 信人の提案に芳香は頷いたが、木在たちの動きを疑問に思い口にした。


「様子がおかしい気がする。ほら、動いた!」

 

 作業員と木在は連れ立って、人目を気にしながら施設の裏手へと消えていく。

 芳香は辺りを見渡した。ジョギング中の男性や、遊び道具を抱えた親子が通る他に、人通りは無かった。


「人目を避けて何をするつもりだろうね。少しだけ、様子を見に行こう」

 

 二人は好奇心に突き動かされた。

 木在を追う前に、芳香がバックパックから虫かごを取り出す。


「この光、どうしたの?」

「昨日、見つけたの。かなり弱っているみたいだから、ここで元気を取り戻してもらおうと思って」

 

 虫かごを開けると、光がふわりと舞い上がり、そのまま近場の木々に定着した。


「ゆっくり休んでね。じゃあ、行こうか」

 

 できるだけ歩道ではなく茂みを通りながら、施設の裏手へ回る。

 近づくにつれ、慎重になる二人の進みは遅くなる。鼓動だけが耳に響くほど速まった。


「ここからじゃ、声は聞こえないね」

 

 壁に背を預けて、数メートル先にいる木在の様子を伺う信人は、作業員がトラックから大きな段ボールを降ろしている事に気づく。


「何を運んでいるんだろう」

 

 目を凝らすが、ただの段ボールだということしか分からない。

 作業員は木在に一礼すると、段ボールを荷台に乗せて施設から離れて行った。


「阿立君、木在さんがこっちへ来る」

 

 木在は迷うことなく二人の方へ進んでくる。

 信人が後退る。足元で、小枝が軽やかな音を立てた。


「誰かいるのか」

 

 記憶と違わない、野太い声が鋭く響く。

 二人は硬直したまま動けないでいた。


「相変わらず、危なっかしい坊やだねえ」

 

 信人の耳に、懐かしい声が届いた。

 信人が振り返る暇もなく、蔓が体に絡みつく。そのままゴミ捨て場にある、大きなゴミ箱の中へ押し込められた。

 すぐ近くで足音がする。


「なんだ、気のせいか」

 

 木在の声だ。二人は口元を手で押さえ、必死で息を押し殺した。

 やがて、少しずつ足音が去っていく。


「出ておいでよ」

 

 しばらくして聞こえた女性の声に、いち早く信人が反応を示した。

 ゴミ箱の蓋を押し上げて外を伺うと、あの時と変わらない、美しい女性が涼しい顔をして佇んでいた。


「あなたに、ずっと会いたかった」

 

 ゴミの中に放り込まれたものだから、信人の頬も衣服もすっかり汚れてしまった。

 女性が呆れたように笑う。


「そうかい。じゃあ、また会えてよかったねえ」

 

 信人の頭についたゴミや頬の汚れを袖口で拭う。

 照れくさくて、信人は顔を下に向けた。


「また助けてくれてありがとう。ずっと、あなたに会えたらお礼を言おうと思ってたんだ」

「おやまあ、律儀な子だねえ」

 

 女性は芳香をゴミ箱から引っ張り上げる。

 そして、信人にしたように、体中についたゴミを優しく拭う。


「弱った私をここに放してくれたこと、感謝してるよ。おかげで、坊やを救えたからね」

「あの光は、あなただったの」

 

 女性は頷き、両腕を広げて見せる。


「もうこの姿を象れないと思っていたけれど、この地の力は偉大だね。すっかり元気になったよ」

 

 どこか儚さを感じる、哀しい笑みで信人を振り返る。


「さあ、もうお家へお帰り」

 

 信人が勢いよく首を振る。


「ねえ、さっきの光があなただったと言うなら、僕の住む町にあなたも居たってことだよね。どうして、今まで僕に姿を見せてくれなかったの?」

 

 女性は目を伏せると、綺麗な長いまつ毛を瞬かせた。

 少しだけ言い淀んだのを、芳香は見過ごさなかった。


「言っただろう、弱っちまってこの姿になれなかったのさ。だから、傍にいても坊やは少しも気づかなかったじゃないか」

 

 信人は目を見開いた。

 真っすぐと信人を見る女性の目に、嘘や揶揄いは含まれていない。


「ずっと、傍に?」

 

 驚きから震えてしまう声はどうしようもない。

 女性は静かに微笑むだけで、口を開こうとしない。

 芳香は待っていられなくなって、説明を加えた。


「木霊は本来、欠片に分解されて存在しているの。阿立君が見せてくれた、あの光の粒子たちは、全て木霊の欠片だよ」

 

 芳香は女性の腕を掴み、信人の目の前に立たせた。


「こうして実体を象るには、莫大なエネルギーが必要なの。この人は例え象ることができなくても、ずっと木霊の欠片として、阿立君の傍にいてくれたんだね」

 

 そうだったのか、と信人は呆然としながらも頷いた。

 女性はまた、哀し気に笑う。


「気づかれなくても良かったはずなのに、こうして面と向かってみると、坊やが惜しくなる。これは、どうしたもんかねえ」

 

 芳香が名案だとばかりに口を開こうとした瞬間、ギイーと重量のある金属音が三人の耳に届いた。

 作業員たちが消えていった方向からだ。

 芳香は緩んだ靴紐を強く結びなおした。


「阿立君の目的は達成されたよね。だから、先に帰っていいよ。ごめん、私は行くね」

 

 芳香は口早に言うなり、音のした方向へ駆けていく。

 ただの好奇心で動いているのは百も承知だ。だが、どうしても胸騒ぎがして放っておけない。

 施設から真っすぐ離れて行くと、段ボールを乗せていたはずの荷台が放置されていた。

 視線を周囲に走らせる。

 工事中の立て札の向こう側に、作業員たちを発見した。


「地下に続いているのかもしれない。ほら、あそこに穴がある」

 

 いつの間にか、信人が背後にいた。女性も一緒だ。


「二人とも、ここからは危ないよ」

「分かっているよ。だったらなおさら、天木さんだけ行かせるわけにはいかないだろ」

 

 作業員が段ボールを三人がかりで抱え、穴の中へ消えていった。


「蔓を伸ばして、人の気配を把握しながら進もうか。本当に危なくなったら、問答無用で撤退させるからね」

 

 三人が顔を見合わせ、力強く頷いた。

 作業員が消えていった穴を覗き込むと、どうやら緩やかな下り坂になっていることが分かった。高さは百七十センチメートルほどある。

 先頭に女性が立ち、その後ろに信人と芳香が続いて降りていく。

 壁に手をつき、慎重に進んでいく。壁も地面も剝き出しのままだ。すぐに手が汚れた。

 裸の電球の弱々しい明りだけでは、足元はひどく不安定だ。時折つまずくたびに、音が反響する。

 女性が伸ばしている蔦は無反応なので、他の人間に気づかれている様子はない。


「地下から登ってくる人と鉢合わせたらお終いだよね」

「今この状況でそんなこと言わないでよ」

「ご、ごめん」」

 

 芳香の思いのほか苛立った声に、信人はすぐさま謝罪した。

 芳香が気まずげに顔を伏せたのを、気配で察する。


「さっき衝動的に動いちゃった。本当は、こんな事に首を突っ込むつもりなんてなかったの。ただの好奇心でこんな無謀なことして、本当にどうかしてるよね」

 

 好奇心が勝ったのは、信人も同じだった。

 黙り込んだ二人を景気づけるかのように、女性があっけらかんと言ってのける。


「ここまで来たら一緒よ。どうせ中途半端に引き返したところで、気になってどうしようもなくなるだけだろうし。だったらいっそ、思いのまま突っ込んだ方がすっきりするさ」

 

 芳香はしばらく逡巡したのち、力が抜けたように小さく笑った。


「ふふふ、確かにそうだね」

 

 時間の感覚がなくなるほど、ただ無心に下り続けた。

 やがて、左右に木製の脆い扉が立ち並ぶようになってきた。中を覗いてみると、二畳ほどの小部屋だった。物は一切ない。どの部屋も同じ作りだ。


「何のために使われているか、さっぱり分からないな。いてっ」

 

 信人は、急に立ち止まった女性の背に鼻をぶつけた。


「おや、まだ遠いようだけど、微かに人の気配がするよ」

 

 段ボールを運んでいた作業員だろうか。

 芳香の生唾を飲み込む音が、やけに大きく聞こえた気がした。

 

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