第4話
少年は、剣を支えに頬杖をつき、パチパチと乾いた音をたて燃え盛る焚き火を見ていた。イリオスと見張りを交代してまだそんなに時間は経っていない。少年は瞬きもせずぼんやりと炎を眺めている―ように周りからは見えていたことだろう。しかし、少年は視線を動かすことなく、襲撃者の数を確認していた。
(「5人…いや、あの木の影にもう1人いる。全部で6人。物盗りか?」)
少年はゆっくりと伸びをするように立ち上がり、ポケットから丸い木の実のようなものを取り出すと、それを掌の上で軽く弾ませた。
「よしっ!」
小さな掛け声とともに、少年はその丸い玉を勢いよく頭上に投げ上げた。どこかに穴でも空いているのか、風が通り抜けて鳴る笛のようなピューッという音が夜の森にこだまする。襲撃者が物陰で息を呑む気配が伝わってきた。
「イリオス! エピを連れて逃げろっ!!」
少年が叫ぶが早いか、イリオスは少女を小脇に抱え、寝床を飛び出し、敵の少ない通路を瞬時に把握して突っ込んでいった。彼女たちの前に飛び出てきた襲撃者の1人を峰打ちで倒し、イリオスはそのまま止まることなく走っていく。身を潜める努力さえしなくなった襲撃者たちは、迷うことなくイリオスと少女を追って駆けて行った。
「しまった!」
少年は襲撃者たちがただの物盗りではなく、彼女たちを狙ってきたということにようやく気がつき慌てて追いかけた。
しばらくすると、夜の深い森の中に、イリオスが倒していった敵や少年が追い着いて倒した敵が、うめき声をあげながら転がった。その数は6。少年が額に伝う汗を拭い、別れた同行者たちを探すようにぐるりと辺りを見回していると、突然、少女の悲痛な叫び声が森の中に響いた。少年は弾けるように声のしたほうへ走った。何が起きたのだろう。悪い想像が少年の頭を駆け巡る。少年は無我夢中で森を走り、少し開けた場所に出た。冷たい月光が辺り一面を照らしている。そこには、腹を押さえてうずくまるイリオスとそばに駆け寄り泣きじゃくる少女がいた。
何事かと少年が駆け寄ろうとした、その瞬間、少女の艶やかな長い髪が、横から伸びてきた手に鷲掴みにされた。青筋の浮き立った腕が力任せに少女をイリオスから引き剥がしていく。鋭い目付きをした銀髪の男が慣れた手つきで少女の髪を引っ張り、持ち上げた。少女のつま先は宙に浮いている。少女は頭を抑え悲鳴をあげた。少年の胸にこれまで感じたことがないほどの怒りが瞬時にこみ上げた。少年は考える間もなく剣を固く握りしめると男に向かって走っていた。
「その子を離せぇええぇっっ」
怒り狂う少年の猛進に気がついた男は少女の髪を掴んでいる手とは反対の手の平を上に向け、その上に小さなつむじ風を呼び起こし、少年の前に軽く差し出した。小さなつむじ風は瞬く間に大きく渦を巻き、少年を風で切りつけ、吹き飛ばした。少年は背中を強かに打ち付け、一瞬呼吸を失った。男は少年など最初からいなかったかのように、もがき続ける少女に話しかけた。
「エピヴァティス、また痛い思いがしたいのか? いい加減俺に従え」
そう言って、男は手の平を少女に向け、先ほどと同じように小さなつむじ風を作り出した。少女はひっと小さく声にならない悲鳴をあげた。恐怖から体は震えだし、瞳からはみるみるうちに輝きが消え失せた。微風が少女のまとった衣をはためかせ、隙間から少女の肌が露になる。
吹き飛ばされた先で胸を押さえ蹲っていた少年のこめかみに青筋が走った。
少女の肌には無数の切り傷があった。古いもの、比較的新しいもの、浅いもの、深いもの。人目につかない場所に、死なない程度に、執拗につけられた傷、傷、傷。
「うわあぁあああぁっっ!!」
少年は言葉にならない叫び声を上げ、怒りに任せて男に向かった。気がついた男は舌打ちして、少女に向けていた手の平を少年に向け直す。少年につむじ風が放たれようとした、その瞬間、ようやく起き上がったイリオスが少女の髪を掴んだ男の手を捻り上げた。うめき声を上げ体勢を崩した男はどこへともなく天へ向かってつむじ風を放った。男の捻り上げられた手の平から少女の金髪が流れるように解き放たれる。イリオスは男の喉元に切っ先を突きつけ、少年に叫んだ。
「エピヴァティス様を頼む。すぐに追い付く」
怒りで肩を震わせながら男を睨んでいた少年は、遠い目をして地面にへたりこむ少女を見てようやく冷静さを取り戻した。怒りで彼女を救うことはできない。少年は振りかぶった剣を鞘に収めた。
少女を抱えて走り去る少年の後ろ姿を見送りながら、イリオスは男の喉元からゆっくりと剣を下ろした。
「ボレアース、今はお前の番ではないだろう」
イリオスから解放された男は、捻られた手をわざとらしく撫でながら、肩をすくめた。
「お前も失敗したのかと思ったのさ」
「まだまだこれからだ」
「大層な自信をお持ちのようで」
嫌味たらしい男の言葉に、イリオスは微笑んだ。その眼差しの優しさは少女を見るときの優しさと寸分も違わない。
「お前のやり方ではだめだ、ボレアース。そもそもエピヴァティス様が持たない。まあ、指を咥えて見ていろ」
そう言うと、イリオスは男に背を向け、少年たちの消えて行ったほうへ歩き出した。
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