025 めんどくせーけど



 目が覚めたら冒涜者ブラスフェミアは既にいなくなっていた。代わりに誰かの気配がする。のっそり起き上がって、靴を履く。踵を踏み潰したまま廊下に出ると、バカみてぇに目立つ赤色が目に入ったから、ちょっとだけゲッと思った。

 白けた顔をした夕月が立っている。コイツもの説明を受けにここへ来たんだろう。そういう理由で呼び出された時のコイツの顔は、あまりにもわかりやすくつまらなさそうにしている。いつだって。

 夕月はおれに一瞥くれると、ふいと視線を逸らして別の方向へ歩き出した。しかし口ぶりは反して「ついてきて」などとのたまう。

 踵をカパカパ言わせながら無言でついていくと、応接間に通された。きっとさっきまで冒涜者ブラスフェミアとコイツで飲んでいたのであろうココア入りのマグカップが、まだ放置されていた。


「あのさ……ごめん」


 向かい合うように配置されたソファにそれぞれ座って、古びたスプリングに尻を落ち着けるより前に夕月が切り出した。何に対してどのように謝られたのかぜんぜんわかんなかったから、ちょっとビビって声が出なくなる。

 夕月の方も流石にちょっといきなりすぎたと思ったのか、口の端をまごまごさせながら視線を逸らして、それでも続けた。


「あの……前会った時に、なんかこう……感じ悪い態度で帰っちゃって、モヤモヤさせちゃって」

「ああ」


 あれは別に、おれの方に非があると思ってたからいーんだケド。そうは思っても口に出さなかった。無言で続きを催促するよう足を組むと、夕月はゆっくり瞬きをして、半分くらい瞼を伏せた。


「あとから考えたんだけど……あんたは別に、あたしを哀れんでいろいろ……隠してくれてたわけではないんだろうなって、思い直して」

「まーそーね。言って、おめーに必要以上に病まれたらめんどくせーってだけだったし」

「……。実際、今、どう思ってる? こーいう話するあたしって、めんどくさい?」

「そりゃまー、めんどくせーけど」

「けど?」

「……意外と病まなかったなって。思ってたよりずっとあっさりしてるっつーか」


 そう。もっと盛大に病み散らかすと思ってた。そんなコトされてたなんて耐えられないマジ無理死にたいみたいな。一ヶ月くらいは姿くらますくらいの覚悟はしてたんだケド、意外と全然、ぜんぜんってワケじゃねーけど……平然としてるのが不思議だった。

 夕月はぎくりとしたように目を見開き、じっとおれを見つめて、また居心地悪そうに伏せて、息を吐く。


「だって……やっぱり思い出せないから実感湧かないし、病むより先にわかんないことが増えちゃって、そっちの方が……」

「わかんないコト?」

「うん……たとえばあたし、手足切り落とされて……殺されたんでしょ? だったら今どうして、あたしにはきちんと動く腕も脚もあるの?」

「それはまー、冒涜者ブラスフェミアの技術ってコトで……。なんだったカナ、おめーにもともと手足は回収しきれなかったから、体格の似てるのを付け直したって言ってたよーな」

「じゃあこれ、あたしの本来の手足じゃないんだ……。……誰のなんだろう?」


 両掌をじっと見つめてぐーぱーする夕月の顔に、瞬く間に困惑の色が満ちていく。わからんでもない、今自分のモノとして動かしてる身体のパーツが後付けされたモノですって言われても、すぐには受け入れらんねーよ。

 すっかり眉をハの字に吊り下げた夕月は、不安げに惑う視線をこちらに寄越した。そんな風に見つめられても、おれにはどーしよーもねーってのに。


「わかんないこと、まだある……。あたし、娼婦? だったんでしょ? そーいうお仕事って……なんか特別な理由でもなけりゃフツーはしないじゃん。どうしてあたし、そんなことしてたの?」

「いや、そこまでは知らん」

「お金がなかったのかな? 普通のおうちで暮らしてなかったのかな。親とか、友達とか、いなかったのかな……」

「知らねーっつの! だいたいそこまで知って何になるワケ」

「え、だって、もしかして、……そーいう人たちがいたんだとしたら……」


 会いたいよ。

 ごくふつうの、年頃の少女みたいな顔をして、夕月はそれ以上の言葉を紡がなかった。

 覚えてもねーのに会ってどーすんだよって思った。けど、あまりに切実そうに言われたから、言い返せなかった。

 じわっと空気の湿っていくような感覚がする。雨が降り始める直前みたいな、嫌な予感。なんだか思ってたのと違う方向でクソほどめんどくさくなっちゃった。ああそうだ、コイツはいつでも全部つまんねーって顔して人を遠ざけようとクセに、内心とても臆病で、寂しがりの、どーしようもないバカなんだ。

 ほっといたら泣き出してしまいそうなバカを見たくなくて天を仰ぐ。蛍光灯のあかりにじんわり目を焼かれる。

 どうにでもはなってほしくねーけどどうにかなれ、と念じていると、いつにもなくタイミングの良すぎる乱入者が現れたので、今日だけは感謝してやることにした。


「よかった、二人とも揃ってる。じゃあこっち来て、きちんとした話、するから……」


 ドアの隙間から頭だけ出した冒涜者ブラスフェミアは、闇の深くなる方へとおれたちを手招きしていた。


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